離婚を計画している友達と話をして感じたこと
「離婚」
結婚した時はお互い「一生一緒にいる」と誓いあった者同士が別れを選び、別々の人生を生きていく。
最近私の周りで離婚、もしくは離婚しようと思ってる人たちがちょこちょこ出てきた。
どうしてか考えたとき、1つの理由を思いついた。
私も結婚していて、もう20年になる。
子供は2人いて、上の子は高校2年生になった。
だから、私よりも早く結婚した友達の子供は大学生になっていたり、もう成人しているお子さんもいる。
最近友達が「離婚」を決める理由。要するに子供が育ったのだ。
そして、この間、離婚はまだしていないが離婚を計画している友達と話をする機会があった。
そのご夫婦は初めは良かったのが、だんだんと考え方のすれ違いが起きた。いわゆる「性格の不一致」と言うやつらしい。
だから、どちらかに決定的な不貞があったり、借金があったりとかではなかった。だけど「もうこれ以上一緒に生活するのは無理」という事になって、10年ほど前に1度、両方の両親を交えて6人で話をした。
2人とも別れることで考えは一致していたが、ご両親の説得や家のローン、子供がまだ小さい事を考えると別れるのは「今」ではないと思ったらしく、当時は一旦踏みとどまった。
しかし、いつかしようとしていたらしい。
そして、その時が来たのか、今再び離婚する計画を2人で立てている。
やはりそれは一番下の子が成人するタイミングだそうだ。
しかし、私はその友達に対して1つ疑問を持っていた。
なぜなら、1度離婚の話が持ち上がった10年前、お子さんは2人だった。
一旦別れるのは止めたものの、それから後も「別れたい」とその友達はたまに愚痴っていた。
けど、その後3人目の子供を作ったのだ。
3人目が出来たと聞いたとき、私は正直不思議だったが、「おめでとう」しか言わなかった。
内心「別れたがってたのにどうして3人目を作るんだろ?」と思っていた。
そして今、その3人目のお子さんが成人するタイミングを考えてお互い離婚しようとしている。
私は初めてその事について彼女に聞いてみた。
「ねえ、聞いてもいい?
2人目の時点で別れたいって思ってたんでしょ?なのになんで3人目作ったの?」
すると友達は少ししみじみとした表情になり、
「あのねぇ、人間でしょ……。旦那も私も。」
「うん…?」
「人間なんだからさ。ずっと同じなわけじゃないのよ。変わっていくんだよね。そういうもんじゃん。
私たちもさ、一度別れようって決めてから思いとどまって一緒に過ごしたけど、だんだんと仲が良くなっていった時期があったの。
お互いその時思ったのよ『このまま別れなくて一生いられそう』って。
なので、3人目作ったのよね。」
「あぁ…、なるほど。」
「だけど3人目が出来て今もう14年。やっぱりムリだったわ~。もう本当に今度こそ別れたいって2人とも思ってる。」
お子さんたちの精神的なケアだとか、経済面だとかその他いろいろな事はもうきちんと整理しているらしい。だから友達は目を輝かせて、
「3人目の子が成人する時にしようって約束してんのよ~。
だから、あと4年!お互いあと4年の辛抱だ!」
と言っていた。
この友達の話は深い意味を持っていると思った。
人は「変化」する。
生まれた時からずっと同じ容貌なんてしていないし、生きて色んな出来事に出会えば、考え方や気持ちも変化していくものだ。
人に限らず「自然」なものは変化して当然なんだ。
平家物語のあの有名な冒頭を思い出す。
「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の…」
中学生の時習ったが確かそういう意味だったと思う。
この世の全てものは常に変化し続けるという意味。
この理は案外忘れている人が多い。それどころか「自分は変わらない」と思い込んでいる人も多い気がする。
でも私は今までの経験を考えると「祇園精舎」のように万物は変化することこそが世の中のベースになっている気がしてならない。
人は変化するもの…。
だからふと思ったことを友達に言った。
「ねぇ、じゃあさ、その4年の間にまたお互いの関係が修復するってこともあるんじゃないの?」
友達は少し考えて
「んー…。理屈からいくとゼロじゃないね。だけど、限りなくゼロに近い!もう2度目だしね。お互い決意は固いから。」
と笑って言った。
私は自分たち夫婦の事を考えた。
変化することが大前提にあるなら、結婚20年目の私たちも気を付けなければいけない。お互い以前より不満があったり飽きてきたりしていないだろうか。
けど、こうも思う。
決してそんな変化ばかりじゃない。
変化を味方に付けることも出来る。
出会った頃より、10年前より、昨日よりもっと好きになる、もっと幸せになっている。
これも「変化」なんだから。
お互いそう思えるように良い「変化」をしていけたらいいな。