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私には観れない映画がある 観れない映画を考えると自分という人が少し分かった話

最近気づいたことがある。

主人と私は映画が好きだ。
だから付き合ってるときなんかはナイトショーをよく2人で観に行った。
多い時は週に2〜3回行ってたんじゃないかと思う。

ネトフリなどない時代だったのでレンタルビデオ屋でもよくDVDを借りて2人で見た。

好きなジャンルは微妙に違ったが、そこまでズレることはなかった。
どちらかと言うと主人の方が雑食だったからだ。どんなジャンルでも彼は観た。

結婚して子どもが生まれのんびり映画を観る時間が無くなったときはあったが、今は子供が成長しそういう時間も確保できるようになっていた。

そして、アマプラやネトフリなどとても便利なツールが出来て今ではそれを目いっぱい活用している。

この間、私が「シャイロックの子どもたち」という映画を観ていた。

すると横で一緒に観ていた主人が映画の最初の方で言った。
「ごめん、これおれ観れないや。悪いけど、一人で観て。」
「あ、そう?いいけど。」
私がそう言うと別の部屋へ行ってしまった。

映画の内容は銀行内の話。
詐欺をした人たちが追い詰められていく様を描いていた。

後から主人に聞くと、映画内で起こってる事が自分の職場と少しリンクするらしい。
もちろん詐欺のような犯罪が起こっているわけではない。
けど若い人が食い物にされたり、精神を病んでしまうほどプレッシャーをかけられたりと、自分の若いころや同僚を思い出したりして苦しくなってくると言った。

「興味がなくて観たくない」ではなく「精神的に観れない」のだ。

それを聞いたとき私もそんな映画が自分にあることに気が付いた。

例えばアクションや、スポーツものはあまり興味がなく観ることは少ない。
純粋に観たくないのだ。
しかし「動物もの」と「子供が事件に巻き込まれる」系の映画は興味が湧いても私は観れない。

「動物もの」は万年通して観れない。
私は動物が好きで(特に犬)動物が純粋に頑張ってる姿を見ると涙が止まらないのだ。
「ハチ公物語」は中学生の時に観たのだが観ている最中は呼吸困難になるくらい涙が出た。
正直言って今は「ハチ公物語」のパッケージを見ただけで泣けてくる。

小さな子どもが犠牲になる映画は、特に自分が母親になってから観れなくなった。
私は松たか子さんが好きだったので、彼女主演の「告白」を映画館で観たのだが子供がちょうど2歳くらいだった時で、見た後すごく苦しくなったのを覚えている。

基本的にずっと観れない、もしくは今は観れない映画(映画に限らず物語、物語全体ではなくてこのシーンなど)と言うのは、自分の性格や今向き合っている問題が何かを教えてくれているような気がする。

例えば、失恋した後に楽しい恋愛ものを観るのはつらいだろうし…。
けど、あの時観れなかったあの映画が最近観れるようになってきたならその傷が癒えて来たんだろうなと思う。

そしてそういう「自分が観れない映画のジャンル」はこれから生きていく中で微妙に変わっていくんだろうな。

たまに自分を振り返ってそういう物語を考えたとき自分がどんなふうに成長してきたかが分かるかもしれない。

私は相変わらず動物が好きで、子供が大切。
要するに「純粋」な生き物が愛おしくてたまらない人なんだなぁと思った。



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