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大学を辞めた話 2 〜第一章 進学を決めた理由〜

皆様、お久しぶりです。ひいらぎです。
あれから続きを書こう書こうと思っていたら、
あっという間に時が経ち、なんと年が明けて2月になってました….笑
昨年の9月中に、なんて言っておきながらすみません。
これからまた書いて行けたらと思ってますので、どうぞお付き合い頂けたら嬉しいです。
それから、以前の序章の記事にいいねを下さった方々、読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
とても嬉しかったですし、自信に繋がりました。心より感謝申し上げます。

前回の記事では、私が大学に入学したての頃についてお話をさせて頂きましたが、大学2年間の生活を語る前に、

まず、今回の記事では
何故、進学を決めるに至ったのか。


これらに沿って、過去のことや進学を決めた理由に関する様々な出来事についても、一つ一つお話してゆきたらと思います。

長くなりますが、お付き合い頂けると幸いです。

私が大学を辞めた話 2 第一章

【1話:高校生活、そして将来のこと】

高校2年の時、アルバイトを始めました。
最初に始めたアルバイトは飲食店でしたが、
飲食店ならではのやることいっぱいの業務内容が自分には激し過ぎたのと、
引越しが重なったことを理由に早めの段階で辞めました。

2度目のアルバイトは、引越しの最中に知り合いの方から紹介してもらった学童のアルバイトで、
始めたばかりの時は何が何だか分からず苦労しましたが、なんとか慣れてゆき、
貯金を出来るぐらいにまでは働けるようになりました。
なんですけど、実はそのバイト、本当は夏休みの間で終わるはずだったんです。
有難いことに、働いている方々が引き留めてくれて、勇気が出た私は続けてみようと思い、
バイトを継続してみました。

しかし、そうやって続けたはいいものの….。

私はとにかく何かと何かを両立させるということが大の苦手でして。
それに加えてかなりの不安症でした。
(今もですが笑)
テストの前や当日はものすごく緊張してしまうタイプでしたし、いざと言う時に力を出せないことが多く、テスト終わりにはいつも意気消沈していました。
どれだけ勉強しても緊張には勝てないことの方が多かったです。
ですので、アルバイトと学校の勉強を両立させることは、私にとってプレッシャーと不安、緊張が同時に襲いかかって来るようなものだったので、すごく大変でした。
それでも、姉が紹介してくれた奨学金を頂けたりと、自分で言ってはなんですが努力の甲斐あって、成績を良く保ったり、生活面で評価して頂けたりして、少しずつ成果は見えてきていました。

ある日、進路について考える時間を設けられ、
卒業後どうするかをグループの班になり
それぞれ考えていた時でした。
正直、その時の私は将来、自分が何をしたいのかよく分かりませんでした。

中学を卒業する際に、将来は大学に進学したい
と、思っていたのですが、
高校生活を送るようになり、高校2年の時点ではかなり考えが変わっていました。
中学の頃もよくあったけれど、
学校ならではの教師によるエコヒイキとか、
理不尽さとか、高校でもバイトでも色々と嫌な目に合って、
日々、普通に生きてゆくことがどれだけ大変かを改めて思い知り、将来について考える余裕が無かったのも多少、ありました。

でも1番は、
とにかくお金のかかることはしたくない
と思ったのが切実でしたね。

高校は定時制で全日よりも学費はかかりませんでしたし、
家族や自分のアルバイトで稼いだお金を使ってまで大学に行きたいとは思えませんでした。

てか、高校卒業するだけ立派じゃん。

本当のところ、そう思っていたんです。
自分のお金で妹とライブに行ったりすることがすごく楽しかったのもありますが、
将来にお金を掛けたくないと思ったことには
理由がありました。


【2話:母、そして家族のこと】



一度、金銭面に関して母が私を頼ってくれたことがあったんです。
母は、ブランド物や派手な生活に一切の興味は無く、ただ安くて可愛い服や文房具、掘り出し物を見つけるのがすごく上手で、いつもお洒落なものを身につけさせてくれていました。
なによりも食事に関しては、
"お腹を空かせたままでは絶対にいて欲しくない"
と、私たちが食べたい時に食べられるように
・菓子パン
・お弁当
・白いご飯
・お惣菜
・卵
などなど。
食べ物が常に家にあるような生活を心掛けてくれていました。
外食も多かったですが、贅沢で高級よりも安くて美味しいファミレスでみんなと楽しく、わいわい食事をする感じでした。
"自分が食にも生活にも困らず
充分な暮らしを両親にさせてもらってたから
自分の子供にももちろん、そうしたい"

というのが母のモットーで、
家計が苦しかろうがなんだろうが
私たちのことには惜しみなくお金を使ってくれる人でした。
だからと言って共働きはせず、
ちゃんと私たちが物心つくまで働きには行かず、ただいまと学校から帰ってくれば
おかえりと必ず声がして

家で私たちの帰りを待っていてくれました。
母は小さい頃、両親が共働きだった為、
家に一人でいることが多かったそうです。
だから私たちには寂しい思いをさせたくなくて、家にいてくれたみたいなんです。
「寂しかったことはしたくない。
でも、されて嬉しかったことはしてあげたい」

と、母はいつも語りました。
私にはありがたいことに家計が苦しいって自覚、物心つくまでなかったですし
(なのに物欲は無い子供で、母曰く私は特に手が掛からなかったらしいです笑)
家計の苦しさを自覚してからも、
食べ物や着るものに苦労しない幸せな暮らしだったからこそ、この家に生まれて良かったと思えました。

そう私に思わせてくれた優しく強い母が、
私をお金のことで頼ってくれた時。

頼ったと言っても、
本当にいくらかお金を借りたい
と、言われた程度で
後に多いくらいのお金を返されました。
それでも、私はそんな母に頼って貰えたのが何よりも嬉しくて。
嬉しくて、堪らなかったんです。
だから、大学は行かずに
貯金は家族の為に使いたいと思いました。
でも、ここが私の矛盾しているところであって、そこまで言っておきながらも
就職したいとも思えなかったんです。
就職して両親に楽をさせる。
そこまで大層なことを出来る根性は自分に無いと、私は自覚してました。
社会は理不尽で、優しい人ほど苦しい目に遭うと、一番上の姉が真面目に会社に勤めていた時に苦しんでいた姿を目の当たりにしていたので
私は特に就職に対する恐怖が大きく、
自分に就職を選択する勇気はありませんでした。
結果、私はひっそりと心の中で、
大学も行かないし、就職もしない
とにかく、今は頑張って高校卒業する。

と、宣言してました。
もちろん、そんなのワークシートに書ける訳ないので家族にしか言うつもりはありませんでした。
さすがに家族にも怒られるかな、と思いつつ
「今は高校卒業しか考えられない」
と、恐る恐る母に告げてみたところ、

「じゃ、とりあえず進学もせず、就職もせずでいいんじゃない?」

と、あっさりと受け入れてくれました。
それどころか、

「ていうか、未来がどうなってるかなんて誰にも分からないんだから、考えたってしょうがないよ」

と、見えない先のことで悩む私を慰めてもくれたんです。
でも多分、私はきっと心のどこかで
"母はそう言ってくれる"
って、分かっていたんでしょうね。

中学の頃、
学級崩壊による不登校で自信を無くした私にも
「行かなくていい」
そう、言ってくれるような母でしたから。
母はそういう優しい人だと、私は既に知っていたんだと思います。

母の力強い言葉によって、とりあえず高校生活を頑張ろうと思い直せました。
ところが、そんな矢先。

2番目の姉が第1希望の大学に合格しました。


【3話:親戚や、周りの人間のこと】

その頃
私はちょうど友人関係で悩んだり、
2番目の姉と自分を比べられたり、
将来に関する悩みと似通った苦しみを抱えて
日々を過ごしていました。

問題の友人関係には実は2番目の姉が絡んでいたりもして….
とにかく、色々と苦しい時期でした。
2番目の姉と私は同じ高校に通っており
姉は入学時に成績1番で生徒代表に選ばれたりして
奨学金を貰ったり
いち早くアルバイトも始めていたり
私とは反対に行動的で常に輝いている人でした。

そんな姉の大学合格を祝って、メールを下さったとある親戚がいるんです。
その親戚の1人と私は中学の時からやり取りをしており、父が特にお世話になった人のようでしたが
何故か主に私と母が家族を代表して
定期的なご挨拶の連絡をし合ってました。
(この時点で、色々と不満はありました笑)

なので、
姉とその人とのやり取りがあったにも関わらず、妹の私から何も言わないのは失礼なのかな
と思い、私はご挨拶がてら
姉の合格を祝ってくれたことにお礼の文を送りました。
先手を取られて将来について何か言われるのが
嫌だった私は、
「ありがとうございます、進路は今の時点では就職です」
と、送りました。

今思えば、これが間違いだったんでしょう。
親戚の1人は、私にメール上でこう言いました。

「お姉さんは大学を合格するに至って、アルバイトをしてお金を稼いだり、成績が良かったり、奨学金を貰ったりと努力をしているようだけれど、」

「あなたは何か努力をしているの?」

その文を読んだ瞬間、私の時が止まりました。
そんな文を寄越してきた親戚の方と
兄妹の中で1番やり取りをしていたのは私でした。
2番目の姉は、大学に関することを始めてから
連絡を取り合うようになったそうです。
以前からメールのやり取りをしていただけに
これにはショックを受けて
私もしばらくは立ち直れませんでした。
その後も、たまにメールが来たかと思えば、
「どうせバイトもせずに暇なんでしょう?
こういう本でも読んでみたら?」

なんて言う、嫌味とも取れる文章でした。
そのメールを寄越されたのも
姉が大学に合格したのも
私が学童のアルバイトを始めてから結構経っている頃でした。
随分と前、ご挨拶と共にアルバイトを始めたことも報告済みでした。
忘れてたんでしょうね。
私が働いていることも、奨学金を頂けたことも。
そんな親戚、周りの人間、ついには友人にまで
私は2番目の姉と比べられるようになり
合格を祝うどころか、姉と顔を合わせずらいと
感じるようにまでなりました。

「お姉さんのように頑張りなさい」
「お前も頑張って大学行けよ」
「将来についてそろそろ考えないと」
「アルバイトもっと頑張らなきゃじゃん」
「あんたと違ってお姉さんすごくない?」
「大学に行って、立派な人間になってね」

一人、お風呂で涙を流しながら
これらの言葉に耐えきれず
全てに押し潰されそうになった私は
なんとか自分を保つ為、ある一つの決断をするに至りました。

「私も、大学に行かなくちゃ」

でなきゃ、どれだけ頑張っても誰にも認めて貰えない。

これが、大学進学を決断する切っ掛けでした。
そうなんです。
私は、
親戚や周りの人間に褒められたくて
頑張っている自分を認めて欲しい
その一心で大学進学を決めるに至ったんです。

本当はもっとすぐ側に
私の頑張りを見てくれていた人が居たにも関わらず…

私は、母の
「じゃ、とりあえず進学もせず、就職もせずでいいんじゃない?」
「ていうか、未来がどうなってるかなんて誰にも分からないんだから、考えたってしょうがないよ」

これらの言葉を振り切り、

私は、自分の
「家族や自分のアルバイトで稼いだお金を使ってまで大学に行きたいとは思えない」
「てか、高校卒業するだけ立派じゃん」

この気持ちすら振り切って、

最終的には大学進学を目指して高校生活を送ってゆくことになりました。
母は私を止めませんでした。
私のやりたいこと、決めたことならば、
全力で応援すると当然のように言ってくれました。
私は親戚とのやり取りを母に話すことも
周りの人間に比べられていることも
ろくに話さぬまま、大学進学を決断しました。


以上、ここまでが大学進学を決めるに至った理由となります。
第一章の高校生編は終わりです。


次からは
大学生活が始まってから自主退学を決意する
それに至った経緯を綴りたいと思います。
大学1年次のことが長くなりそうな場合は、記事を分けようかなとも考えているんですが….
どうするかはまだ検討中です。
しかしまぁ、今回もだいぶ長くなってしまい
申し訳ないです….

私の言葉や思い、過去の出来事が
誰か一人にでも引っ掛かってくれたら嬉しいです。

それでは
また次回、お会いしましょう。

頑張って続き書きます!

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