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ライブビューイング「ローエングリン」

去る4月30日、東劇にてメトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ローエングリン」を観てきました。舞台装置や演出、もちろん歌手たちもレベルが高く、星5つを与えたいと思うほど良い舞台でした。
 
オペラ「ローエングリン」は、ワーグナーがローエングリンの伝説に関する叙事詩に触れたことが発端となり製作され、そこにオランダ伝説集やメルヘン集から白鳥、騎士、王子といったモチーフが取り入れられたそうです。
 
あらすじはこんな感じです。
ブラバント公国の公女エルザが、弟ゴットフリート殺しの罪を着せられ危機的状況にあるとき、神から遣わされた騎士が現れる。騎士は自分についての素性を知りたいと思ってはならないとエルザに告げ、公国の庇護者となる。しかし反目するオルトルートの策略にはまり騎士の素性に対する疑念が芽生え、ついには抑えることができなくなる。騎士は自分の素性を明かしブラバント公国を去る。残されたエルザは失意の中息絶える。
 
本筋だけを簡単に書きましたが、結末は悲劇的です。制作過程で近しい人たちから批判を浴びたことで、結末を再考したこともあったようですが、結局は悲劇のまま完成しています。確かにこの物語がハッピーエンドであったら、どうなっていたのかを考えると、思想の無い薄っぺらな英雄物語で終わっていたように感じます。
 
映画の中で演出家も言っているのですが、この物語には様々な哲学があると思います。もちろん時代によって重要視されることが変化することもあるでしょう。最近では素性の分からない人を愛せるのか、あるいは肩書のない人物を信用できるのか、といったことが検討される傾向にあるらしいです。なるほどローエングリンはただ「信じて欲しい」と訴えます。
 
しかし、この「信じて欲しい」がこの物語のテーマであるような気がします。ローエングリンはセリフにもあるように聖杯を守る騎士なので、キリスト教の守護者ということになります。イエスはただ、神を愛し信じなさいと説教しています。つまりエルザに対してただ「信じなさい」と説いているだけなのですが、オルトルートの策略にはまり疑念を持ってしまいます。
 
誰でも真実を知りたいと願うものでしょう。しかし知ってはならない真実が存在することをこの物語は示しています。例えばパートナーの過去の異性関係などはその最たるものではないでしょうか。知りたい気持ちも分かりますが、知ったら戻れなくなることもあるでしょう。新たな疑念に悶々とすること間違いなしです。お気をつけて。
 
ではどうすればよいのでしょうか?
 
ネガティブケイパビリティという言葉をご存じでしょうか。これは解決できないような問題、または簡単には解決できないような問題に対して、それをそのまま(曖昧なまま)受け入れ続ける包容力のことをいいます。エルザの立場で言えば、騎士の素性を知りたいという気持ちと、知りたい気持ちなど持たないことを騎士に対して誓ったという事実との葛藤を持ち続けるということでしょう。エルザは知りたいという欲求に負けてしまいました。疑念に負けたとも言えるでしょうか。
 
疑念とは疑いのことで、騎士に対する疑いとは、神に対する疑いでもあります。素性を聞かないと誓うことは「ただ神を愛し信じます」という宣言であるだろうし、聞きたいという気持ちは神に対する疑念であり、神を疑う行為でもあります。エルザは神を疑うことで、神から見放されたということになるのでしょう。その結果、後悔のあまり命を落としてしまいます。
 
ワーグナー自身が結末を再検討しながらも悲劇のまま終わらせた理由は、エルザの信仰の揺らぎが彼女自身を破滅へと追いやる危険な毒であると考えたからではないでしょうか。この結末は、キリスト教への信仰に対するワーグナー自身の一つの結論だったと言えるのかもしれません。
 
さて舞台演出ですが、SF映画を見ているような幻想的な世界観です。舞台中央に大きな円形の穴があり、人類はあたかも地下世界で暮らしているかのようです。大きな穴から見える空には星々が輝き、大きな月が何度も満ち欠け悠久の時を刻みます。
 
地下世界でひっそりと暮らしていた民族が、外の世界から英雄を迎え入れることになるのですが、英雄は白いシャツに紺のスラックスという、ラフなサラリーマン風の姿で登場します。演出家の説明では、危機的状況の中に現れる英雄は実は普通の人間なのだということを表現したかったらしいのです。神秘的な英雄ではありますが、演出家はそこに神性よりも人間に対する信頼を見出していたのかもしれません。
 
さて、東劇では5月4日木曜日まで上映しています。あと毎年恒例で夏休み期間に過去の作品を多数上映しています。詳しくはメトロポリタン歌劇場ライブビューイングの公式ホームページでご覧ください。今年もそうだとは思いますが、まだ分かりませんのであしからず。
 
では。

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