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8時間ある動画をYouTubeにアップロードしたらどのくらいの時間がかかるのか?
読書が苦手である。
小説を読んでいてもすぐに違うことを考えて筋が分からなくなる。読み終わってからネットであらすじを確認して「そういう話だったのか!」と衝撃を受けることもしばしばである。
私のような人は少なくないだろう。
そんな人におすすめなのが、ホワイトノイズである。
ホワイトノイズ:すべての周波数の音が混ざった音。集中力や睡眠の質の向上に効果があると言われている。
具体的には雨の音とか川の流れる音、波の音や鳥のさえずりなんかもホワイトノイズらしい。じっさいに集中力が上がっているのかは諸説あるが、聞いていると心地良い。
たわむれに「雨の音」といったキーワードでYouTubeで検索をかけてみると、上記のような動画が大量にヒットする。
休日に誤って早い時間に目覚めてしまったときなど、自宅から歩いて三十分ほどのところにあるガストで読書をすることがあるのだが、そんなときにもホワイトノイズはかかせない。
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そっと目を閉じると、凪の時間が流れる。本読んでないじゃんと思った人は鋭い。
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それにしても、ホワイトノイズ動画は再生時間が長い。上記の動画はなんと8時間もある。
同じリズムを延々と刻むというのがホワイトノイズの条件だから当然といえば当然だが、それにしても長い。
ところで少し話が変わるが、かつて私はYouTubeに動画を投稿したことがある。
上記のトイレのやつもそうだが、2013年あたりに一度、愛犬の動画を世に放ったのである。
その頃はいまいちYouTubeというものが分かっておらず、大量の愛犬動画が当時使っていたパソコンの容量を圧迫していたので、緊急避難ストレージ的な意味合いで動画の一部をYouTubeに“移した”のだった。そのときにつかったグーグルアカウントの情報を失念してしまい、二度とログインできないため、動画を消しに行くことはかなわないのだが、それはともかく、そのときに感じたことがある。
YouTubeに長い動画上げるの、クッソ時間かかる。
たしか一本一時間くらいだったかと思うが、まるまる一時間かかった。
それでいくと、8時間もあるホワイトノイズ動画は一体どれだけのアップロード時間がかかるのだろうか……。
そこで私は、その疑問を解消すべく、じっさいに上記の「雨の日にテントで寝る」をYouTubeにアップロードしてみることにした。
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まず、自分のスマホに動画をダウンロードする。この行為はなんかグレーな気がしなくもないのでその方法は詳らかにしない。
5GBもあり、ダウンロードに10分ほどかかった。
今回YouTubeへのアップロードに使用するデバイスは普段から私が使っているPixel6である。通信環境は、ガストのFree Wi-Fiを使う。これは一時間すると切れる仕様なので切れたところでまた始めからになると怖いのだが、そのときはそのときということにしておく。
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公開設定はもちろん非公開である。アップロードが完了した瞬間に消すつもりだ。
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アカウントの確認を求められた。
「この動画のような長い動画を公開するには、電話番号でアカウントを確認する必要があります」……。
“お前に覚悟はあるのか?”ということだ。
もちろんだ。私はこの他人の動画と心中するつもりでここに来た。
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電話番号が通り、動画のアップロードが始まる。
ご覧の通り私はRYUCHELLの新曲のミュージックビデオを視聴している。
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8時間を覚悟していることもあり、これを機に読みさしの本の続きを読むことにする。
今回は大江健三郎の『同時代ゲーム』を持ってきた。
海に向って追放された武士の集団が、川を遡って、四国の山奥に《村=国=家=小宇宙》を創建し、長い〈自由時代〉のあと、大日本帝国と全面戦争に突入した!? 壊す人、アポ爺、ペリ爺、オシコメ、シリメ、「木から降りん人」等々、奇体な人物を操り出しながら、父=神主の息子〈僕〉が双生児の妹に向けて語る、一族の神話と歴史。得意な作家的想像力が構築した、現代文学の収穫1000枚。
あらすじを見ると非常に面白そうなのだが、おそろしく読みづらい文体で書かれていて、Amazonレビューでは以下のごとく悪評芬芬である。
1時間くらい読みましたが
私には難解すぎるようで諦めました
非常に読みにくい作品です。前半はあまりよくわからない。後半すぎからなんとなくわかりかけ、最後まで読むと霧がはれ、全容が見えてきます。大江作品は難しいと聞いていましたが、M/Tを読んでからゲームを読んだのてすが、M/Tのほうがま だ読み やすく、読後感もよかった。ゲームはひたすら我慢して読まないと最後まで辿り着けないくらい難しい。
また、物語の構成手法及び文体共に拙い。特に、文章の下手さ加減は目を覆いたくなる程で、作家としての資質が疑われる。
とのことだが、読んでみると結構面白く、私は全6章あるうちの3章の途中まで読んでいる。読みにくいのは読みにくいので胆力のあるときしかページをめくれないのは確かであるが。
ちなみに以下が、これから私が読んでいく部分である。
さて妹よ、幾度目かの、この身体訓練とわれわれの土地の神話および歴史との交換授業において、演出家はかれの考える効果が僕においてあがらぬのに業をにやしてのことだろう、僕の歩きぶりには、幼・少年期のコムプレクスが影響を残しているために、それがかれの訓練システムと衝突するのだといいだした。
何度が読むと、「ふーん、そうなんだ」となる感じである。
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YouTubeアプリは、動画をアップロードしながら他の動画を視聴することができるので、いつも通り「雨の日にテントで寝る」の音をイヤホンで聞きながら読書を進めることとする。
9時2分
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開始から10分くらい経ってチラッとスマホを見ると……
あれ? もう半分以上アップロードされてる!
私の愛犬事変から10年が経ち、YouTubeもかなり進化しているようだ。
これは『同時代ゲーム』どころじゃないかもしれない……。
などと思っていたら。
9時7分
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5分後、アップロードバーの位置が戻っている。
両耳に流れ込んでくるしずかな雨の降る音を聞きながら私は、はて、あの快進撃はよもや夢だったのだろうかと不安になる。私は狐に化かされたのだろうか。
9時17分
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さらに10分が経過した。アップロードバーは完璧な円へと向かって前進しつづけているように見える。
やはり先ほどの後退は見間違えだったか。
9時17分
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だが、またしても時間は巻き戻る。それはなんの予告もなく、さながら降りつづける雨に洗い流されるごとく、それまでの着実な前進はすべて“なかったこと”にされる。
間違いない。このアップロードバーはときに後退している。
妹よ、講義は進行して、われわれの土地にむけて川を遡行するルートによってでなく、
『同時代ゲーム』に目をやろう。
この小説のそこかしこに「遡行」という語句が見られる。
それは、妹に向けた手紙の中で歴史をものがたるという『同時代ゲーム』の構造に対応する。
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川を遡ること、歴史を遡ること。
流れる川の流れに抗い、上流へと歩みをすすめる行為は、流れる時代のなかでひとびとに語り継がれるうちに事実と大きく異なってしまった“歴史”を偽史と受け入れ、物語として捉え直すこと、そしてそれを“今”の時間軸から語り始めることと同じ曲線をえがく。
さらにその曲線は、前に行き、後ろに戻るアップロードバーの在り方とも、まったく一致する。
きわめて不自然な行為である「遡行」を、私は今、現在進行系で目の当たりにしているのだ。
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そのあともアップロードバーは幾度かの「遡行」を私に見せた。
一進一退がつづく。
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雨の中、『同時代ゲーム』もまた、“かつて”を“今”の時点からなぞり、いくつかの視点と出来事を行き来しながら、“かつて”を語り直したり、“今”に寄り道して妹に語りかけたりする。
9時36分
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そして、何度目かの“もう少し”が来る。
9時44分
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この前進は“今”の前進なのだろうか。
9時46分
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それとも、ふたたび歴史を“語り直す”ための、ちょっとした現在への寄り道なのだろうか。
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読書開始から1時間が経過して、物語は一段落した。
そして、突然に“そのとき”を迎える。
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9時51分、アップロード完了……。
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私は即座に動画を消した。
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私の世界ではまだ雨が降りつづけていた。
しとしとと、まるで“時間”など存在しないかのように、一定のリズムで雨は地面に落ちつづけている。
そしてそれは私の耳が捉えた情報であり、現実のものではないのだ。
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ふとスマホに目をやると、再生バーだけが“時間”の存在を盲信し、一本の線を先へ先へと伸ばし続けていた。