何事も本題に入る前に一呼吸。
本日はこちらの書籍を読んで感じたことの続きを。
効果量の視点から見て,具体的な事象を考えていこうと思ったのですが,その前に,効果量で考えることの良さを確認していこうと思います。
前回も同じような内容だったのですが,少し視点を変えて。
本書ではこのように分析しています。
原書には6つの要因に分けて検討しているのですが,本書では5つの要因に分けて分析しています。
①学習者要因
②家庭要因
③学校要因
④教師要因
⑤指導方法要因
それぞれについては,これからのnoteで触れていきますが,なんとなく生wからイメージできるのではないでしょうか?
③学校要因は,学級担任制や学力別編成,学校風土などの学校,学級のシステム的なことを指すものが入ってきます。
分けて考えることの良さは?
さて,要因を分けて考えることで見えてくるものは何かというと,「これまでの勘違いが鮮明に見えてくる。」ということかな?と思っています。
例えば,前に例示した宿題の件ですが,私個人は宿題自体はあった方がいいと感じています。
ただ,取り組ませ方によっては悪いほうに進めてしまうことも考えられます。あんまりにも宿題を忘れてくる子に怒ってばかりいたら関係が崩れてしまったみたいなやつですね。
この宿題というものには①学習者要因と④教師要因,⑤指導方法要因の主に3つの要因が含まれていると考えられます。
①学習者要因にばかり目を向け,そこのみを改善しようとしていると,例示したような事件が起きちゃうんですね。
こういう例は気づかないだけで結構あるのだと思います。
しかも自分では気づきにくいのではないでしょうか?
先生方は基本1学級1担任だと思うので,そういった落とし穴にはまっているかどうかというのは外からも見えにくいところがあり,知らずのうちに取り返しがつかないことに…なんてこともあるかもしれません。
せめて,自分の指導の勘違いに気づくために,こういった複数の要因から見た検討をする癖とそれらの知識を持っていることはいいことなのではないでしょうか?
自分の実践に生かしていく前に。
でも,要因に分けて考えるだけでは不十分だとも考えています。
それは,非認知能力と認知能力のように,表裏一体であったり,互いに関係を及ぼすものがたくさんあるということです。
どんなに優れて,洗練された指導法をもってしても,語り手である教師が子どもたちの可能性を信じきれないときは,その指導法の良さを発揮しきれなかったり,悪い場合は教師か指導法か,どちらかにのみ原因を見出し,ぎくしゃくした感じになってしまう恐れもはらんでいます。
本書で取り上げられていることをよく理解しながら,構造的にものを見る視点を培っていきたいなあと思っているところです。
本書自体に何か画期的なシステムがあるわけではないのですが,自分がこれからこうありたいという指針を立てる際の大きなよりどころになる考え方がたくさん載っているので,十分に理解したいと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。
誰かの「よりどころ」となりますように。