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ショート タロウと次郎 前編

毎日通りを眺めている。アパートは2階建てで、部屋は通りに向かって右側の隅の2階、スミッコ暮らしである。3LDKの他の部屋に比べて、隅っこの1・2階の部屋は、1DKと狭く、家賃も格安だ。

俺は、10年勤めた会社を、上司に辞表を叩きつけて辞めてしまった。そしたら、次の仕事が見つからず、現在無職、ここ数日、ハロワに行ってないし、来月で失業保険も切れる。何とかしなくちゃいけないのに、連日通りを見てる。ただぼんやりとだ。

午前10時 人通りの途絶えた通りに、必ずお婆さんが来る。箱型の乳母車を押しながら、ゆっくりとやって来る。そして、アパート前のバス停で一休みする。乳母車には、柴犬が大人しく収まっているのだ。チョット休むと立ち上がり、向きを変えて、来た方向へ戻って行くのだ。・・・犬の散歩? いやいや犬と散歩だろうか?

その日は珍しく、昼少し前になってお婆さんはやって来た。ベンチに座ろうとして、そのまま転んでしまった。犬を乗せた乳母車がフラ〜っと車道へ出て止まった。それなりに車通りもあるので、俺は慌てて駆け付けた。乳母車をバス停横に固定し、お婆さんを助け起こすと、右足を痛めてしまった様だった。救急車を呼ぼうとしたら、大丈夫だからと、頑なに拒否して、帰ると言うのだ。それならばと、「じゃあ、送って行きますよ、ハイ! 負ぶさって」と背中を向けると、ありがとうと言って背中に捕まる。それをヒョイと揺すり上げ、わぁ!軽いなー、なんて思いながら柴犬車を片手で押す。大人しくて可愛いけど、よく見ると随分老犬だ。「悪いわねぇ次の角を左よ」「はい分かりました。着いたらワンちゃん置いて、医者へ行きましょう、俺がオブって行きますから」「ホホホ、優しいのね、でも私、長いこと看護婦だったの婦長もやったベテランよだから大丈夫」・・・

到着し、ソファーに座らせると、元看護婦長から、テキパキとした指示が飛ぶ、気付けば俺が、犬に水と餌をやり、人生初めてドリップ式でコーヒーを入れていた。その間に彼女は、自分でしっかりと手当てを済ませ、捻挫用ゼノールで固めた右足はしっかりと包帯で巻かれ、立ち上がって、「ヨシ!これなら歩ける」なんて言っている。どうぞと促され、自分で用意したコーヒーを飲む「アッ、これは美味しい」と感嘆すると、フフ!そうでしょう、とおっしゃる。「今日は本当にありがとう、お時間大丈夫なの?」今更である。「アッ、俺今無職なんで、だから時間は大丈夫です」「アラ、それなら此処でアルバイトしない? 私、全治1週間ほどなの、だから、七日間のアルバイト!どう?」「いやいや、俺にできることなんて無いし、職安にも行かなくちゃだし」「日当2万でどう?」「はいやります!やらせて下さい」・・・短期アルバイト決定だ。

「宜しくお願いします。申し遅れました。田口由美子、88歳です」「こちらこそ、吉田次郎、32歳です。ワンちゃんのお名前は?」「あの子は、タロウと言います。太郎は全盲、目が見えないんですよ」「ェエ〜、でも、今全力疾走してるじゃ無いですか、障害物も避けてる」

柴犬タロウは、広い庭を疾走し、庭木をジャンプしていた。

つづく


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