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オキツネサマと律子の話
私は生田直子といいます。幼い頃私が住んでいたのは、古い平家の二件長屋でした。普通の平家を、間仕切りを付けて、無理やり二世帯にしたような建物でした。私の家は母と私と弟の3人家族で、父は3年前に他界しています。社宅住みであったので、この家に引っ越して来たのも3年前でした。
私がお隣の家族を知ったのは、転校の挨拶の時だった。担任の先生がとても嬉しそうに、「あらっリッちゃんとお隣同士なのね、リッちゃん良かったわね」そしてその子の隣の席を空け、そこが私の席になったのだ。リッちゃんは律子という名前でした。ニコニコと笑顔が可愛い少女でした。クラスのみんなも口々にリッちゃんよかったね、と言うのだ。転校してすぐ友達が出来て良かったと思ったが、理由はすぐに分かった。一時間目開始の直後、リッちゃんはガタッと立ち上がり、私の腕を思いっきり引っ張ると、「行こう!」と行って来たのだ。
私は当然「ダメだよ!すわって」と言ったが、大きな声が出てしまい、自分でもビックリした。けれど、リッちゃんは「はーい」と言ってチョンと座り直した。その姿が可愛くて笑ってしまった。その時から私は、リッちゃんの係になってしまった。リッちゃんのお世話係りだ。
リッちゃんには、先天性の障害があり、地域では、特殊学校への入学を薦めたが、ご両親が普通学校への進学を希望したため、この学校に通学していた。
朝、お隣に迎えに行き、学校ではもちろん一緒、そして一緒に帰った。夜寝る時以外、私はずっとリッちゃんと一緒だった。初めは転校したばかりで心細く、リッちゃんが、いつも一緒にいることが嬉しかった。リッちゃんは、色白で笑顔がとても可愛く、良い時は天使のようだ。良い時というのは逆に悪い時というものがある。そんな時は、ぐるぐる動き回ってジッとしていられないのだ。金切声も上げる。大声でワンワン泣いて叩いて来る。その力が、容赦ないのだ。
一度、頭にきて、律子に本気で怒鳴りつけた。するとしばらくは、私に寄り付かなくなった時があった。ホッとしていたが。ある日の夕方。隣のご夫妻が訪ねて来て、母に何か言っているのを見た。母は俯いて、数枚のお札を受け取っていた。夕食が終わると母は、小学生の私に、明日の朝からお隣のリッちゃんを迎えに行って、一緒に通学する様に言った。お隣なんだし、リッちゃんは可哀想な子なのよ、だから仲良くしてね!と言った。母は辛そうにしていた。母の仕事が決まって無い事も、弟が「お腹すいた」と騒ぐ時、何か出してやろうとしても、食料のストックは無かった。考えて、全部私なりに理解した。むしろ小学生の私が、母の役に立つかもしれない事が嬉しかった。
俄然!律子のお世話がかりをやる気になった。翌日から元気よく「リーッちゃん学校行こう」と朝、誘いに行った。
律子は色白で本当に可愛いのに、出会った頃から生傷が絶えなかった。心配して気を付けて見ているが。絶対に虐待では無かった。
律子には、私しか知らない障害があった。それは、律子にはたぶん痛いという感覚が無い!と言う事だ。これに気がついたのはある日の朝でした。右の頬をパンパンに腫らした律子が来た。アーンしてと言うと、素直に口を開ける。虫歯だ! 痛そうな虫歯だった。私が「リッちゃん、今日は学校お休みして歯医者に行こう」と言うと、「ヤダ!学校行く!」と言うリッちゃんは、学校大好きなのだ。全然痛くない!と言うので、(学校が終わったら一緒に歯医者へ行く)と言うことになった。お昼休み、リッちゃんは給食をパクパク食べると、大人しく座っていたが。ナオちゃん見て見てーと、右手で掴んだ虫歯を見せて来て、ニコニコしている。自分で引っこ抜いたのだ。で、鮮血が口の端からタパーッ!と、担任の女教師は、ギャーっと白目を剥いていて使い物にならん!後ろの席の小池くんと私とで保健室に担いで行ったが先生がいない、小池くんが近くに歯医者がある! と言うので二人でそこまで担いで行った。途中リッちゃんは嬉しそうにハシャイデいた。歯医者の先生は治療後、3人に連絡先を聞いた後、律子には、どうやら疼痛が無いようだ。先生もご家族と学校に連絡を入れるが、お友達も律子が怪我しない様に、気を付けてやってね、と言われた。その日リッちゃんを連れて帰って、リッちゃんのママに事情を話すと、ウンウンと泣きながらお礼を言うおばさんは、リッちゃんにやられたらしい青あざが沢山出来ていた。リッちゃんが人を思いっきり叩くのは、痛いのが分からないからだった。私と協力者の小池くん二人で、リッちゃんを徹底的に教育した。してはいけない痛いことを教え込んだ、ついに私の弟が、リッちゃんとお菓子を取り合いをしても、弟を叩かなくなった。自分で何かにぶつかる不注意も、殆どなくなった。小池くんの家は大きな和菓子屋さんで、庭の隅に小さな稲荷神社があった。その祠の中のオキツネさんはとっても可愛かった。3人でしょっちゅうそこで手を合わせお祈りした。リッちゃんが傷つきませんように!人を傷つけませんように!そのご利益があったかも! 小池くんの家族も京人形の様なリッちゃんを、事情を知った上でとても可愛がった。
中学3年生の夏、リッちゃんはついに、ひらがなを全部マスター!ママへのお手紙も書いたのだった。おしゃべりも随分と上手くなった。この頃になると、リッちゃんは私より、小池くんといつも一緒で、私はチョット楽になった。
やがて私も就職し、律子のことを小池くんと可愛いお稲荷さんによーくお願いして、上京した、律子も手を振って見送ってくれた。ちょっと寂しいお別れをして、律子は私の前から消えた。
順調であった社会人生活だが、3年目に大地震に遭遇してしまった。私も大怪我をして、入院を余儀なくされた。3回もの手術と回復のためのリハビリで、もう心が折れそうだ。そんな時、いつもお見舞いに来ている弟から、律子と小池くんが結婚しそうだと、久しぶりに幸せなニュースを聞いた。小池くん本人からも、電話が来た。律子のことは、絶対幸せにするから任せておけと、嬉しくて泣いた。結婚式までには、リハビリ頑張らなくちゃと張り切った。
それから2年、律子のニュースが入らなかった。どうしたんだろう?別れちゃったのかなと心配だったが、直接聞くのも躊躇われていた。退院して新たに就職し、久しぶりに故郷へ帰った。母と私で弟の就職祝いをする為だった。
落ち着いてから、和菓子の小池店に挨拶に伺った。お店の跡を継ぎ、すっかり立派になった小池くんが、店主として応対してくれた。なんだか随分痩せた様に感じた。奥へ通されて二人になると、小池くんが私に土下座した。びっくりしていると、泣いているのだ。以下は小池くんの話だ。
律子は、俺のせいで 死なせてしまいました。
俺は本当に律子を愛していました。俺だけじゃないです。家族はみんな律子を愛していました。律子のご両親も納得で、律子に結婚を申し込んだんです。律子の答えはいつも決まって ヤダ! という物だった。俺が嫌いなのかと聞くと、 ダアーイ好き!と言うのだ。律子のご両親が、あんな風だけど どうか末長く可愛がってやってください。多分あの子は、訳がわからないんだと思います。と言って頭を下げる。実際、律子は結婚式場見学も目を輝かせていたし、白無垢も喜んで試着した。嬉しそうな律子を見て、律子のご両親も涙ぐんでいた。律子は本当に美しかった。俺の母親が律子に何枚か着物を新調した、家に帰って、赤い牡丹の着物を着せてもらった律子は、嬉しそうにしていた。とても似合ったので、母は手を引いて店の前に出た。通りの人達に絶賛されて。客の回りを巡っていた。そのうち律子が見えなくなって、大勢で探したが、見つからず。夜になって裏の蓮池に 律子は浮いていました。
何もかも終わってしまっても、ナオちゃんにどうしても電話できなかった。
ぼんやりと、俺も律子のところへ行こうと思っていた時。庭のお稲荷様がヤケに目について、前まで来たら祠に紙が挟まっていたんだ。
そう言って見せられた紙がこれだ。
きつねさんなおちゃんをなおしてくださいなおしてくれたらかわりにれんあいがまんしますおよめがまんします
言葉も無い 我慢するって!何だよ!二人とも黙って泣いた。私はその紙を貰って、フラフラと実家に帰った。
翌日 小池屋を訪れ一枚の紙を小池くんに見せた。彼は泣いて頷いてくれた。二人で、お稲荷さんの祠にその紙を差し込み 長い時間手を合わせた。
その紙に、私はこう綴った。
お稲荷様、私は結婚して女の子供を産みます。私のお腹に律子を授けてください。律子を産まれ直させてください。その代わり毎日湖池店の倅が美味しいお揚げを供えます。
今、仕事をしながら良い人を探しています。絶対結婚して幸せになる。そして可愛い女の子を産む!絶対に