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ショート アトリエ
近所にアトリエがある。懐かしくて覗いてみた。三階建てのビルで、クロッキー・デッサン教室の張り紙がある。教室と言うからには先生が居る。いかにも美術の先生といった風貌の老人が教えている。教室には中学生からシニアまで居る、時節柄か、圧倒的にシニアが多い、ゆっくり見ていたら、絵の具まみれの白衣を着た青年が、「描いてみませんか? やってみると面白いですよ」と声をかけて来た。「ありがとうございます。学生時代を思い出し、懐かしくて、お邪魔しているだけです。」と言うと、「そうですか、それなら会員になりませんか?1ヶ月千円で、アトリエ使い放題ですよ」と、中々のセールス上手、結局会員になっちまった。
せっかくだから、週末に行ってみることにした。久しぶりに入った物置、あった、捨てなかったんだな俺、イーゼル・画板・黄色くなった木炭紙・キャンバス地のロール・張り掛けのカンバス・絵の具で重たくなったパレット・あの日、作品は全部燃やしたのに、捨てなかったんだ。
部屋に戻り、薄い水割りとタバコで、思い出に入り込む。
天井の高い広いアトリエ、好き勝手な方向を向いた大小のカンバス、それを乗せたイーゼルが立ち並ぶ、俺の描きかけのカンバスの向かいには、いつもその女性が居た。彼女は洋画専攻の画学生だ。花と果物を並べて静物画を描いていた。
俺は抽象画を描いていたが。モチーフが密かに彼女に似て来てしまう、もう3年以上も片想いしている。表情が素直に顔に出る人で、どの顔も大好きだった。あまり見つめていると、時々目が合ってしまうので、焦った俺は、小さな鏡で、自分の作品の全体を見るフリをして、彼女に背を向け、小さな片手サイズの鏡の中で彼女を追い続けた。なぜか、告白どころか口を聞くことも無かった。そんなある日、彼女の顔色が明らかに悪い、青白く、泣いている様にも見える。
俺は動揺して立ち尽くす。彼女は「龍一君、来て、お願い」と言った。小声でもハッキリ聞こえた。俺の名前知ってたんだ。・・・嬉しくて。イーゼルにぶち当たり、カンバスぶち落としながら、彼女の元へ、その時「キャー、やめてぇー」悲鳴をあげて彼女が窓から落ちた・イヤ飛び降りた。ここは2階だ。「グアー、ギャー! 痛い痛い」と泣き叫ぶ声に、震えながら下を見ると、足があらぬ方向に曲がり、泣き叫ぶ彼女が見えて、救急車を呼んだ。後のことは覚えていなかった。俺は警察に呼ばれ、事情を聞かれたのだ。彼女は、俺に落とされたと言った。幸い目撃者が大勢いたので助かった。
さらに数日経った頃、彼女の父親に呼ばれて病院へいった。「そっちから来いやァ」と激怒する母親と2人で向かった。病室で土下座せんばかりの彼女の両親と挨拶を交わし、父親に「自分で言いなさい」と言う怒号に促されて、彼女が話した。「お願い!名誉毀損とかで、訴えないで! 私だって大変だったの、お腹に赤ちゃんは出来るし、彼に、別れようなんて言われて、ああすれば子供は流れるだろうし、病院代は龍一くんが払ってくれると思って、ごめんなさい」だってさ、おまけに、お腹の子供は無事で、ご両親の説得で彼とは結婚が決まったそうだ。あとは俺が、不起訴を決断するだけと言うわけだった。脱力する俺に、母親の歯軋りが聞こえて来た。彼女のすすり泣きだけが聞こえる中、俺は言った「分かりました。訴える様なことはしません。俺はずっと貴方が好きでした。でも、今は大嫌いです。どうぞお幸せに、さようなら」母の手を引いて病室を後にした。駅前で、母の好物のナポリタンを食べながら、「母さん、俺、大学辞めていいかな、サラリーマンになりたいんだ」と言ったら「エッ本当に?! 母さん嬉しい」と言って、ガッツポーズ決めてくれた。救われたよ、彼女の退院を待たずに退学して、父のツテでトットと就職した。その両親も今は無く、俺も中年だ。あの時、本心を言えなかった。本当は「俺の名前を知ってたんだね、ありがとう、足りないかも知れないけど、俺の貯金を使って欲しい、俺は唯、貴方を見ていたいだけなんです」
これじゃ、ストーカーだよね、あの場面で彼女と2人きりだったら、そう言っていたと思う、今だって運転中に、幸せそうな家族を見かけると、彼女の面影を探している。通り過ぎるだけでいい、遠くからでいい、見るだけでいい!
会いたい!
おしまい