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里子と洋一とムルの話

その施設は、親族が居ながら様々な事情から育児不可能と認められた、5才から16才迄の子供達の為に出来た、公的な一時預かり施設で、衣食住と地域の学校通学を確保(義務教育に限る)する為のものだ。原則的に子供達は、やがて家族の元へ帰すと言う建前だ。従ってここには、養子縁組のような話は無い、殆どの場合、年齢になると次の施設へ移行され、そこから社会に出るという形態だ。子供達は皆“家庭に居場所が無い”という特殊な境遇で、そこの先生達は心療内科に詳しい。現在子供は37人居て、対する先生達は6人、施設は日常的に手不足だった。その為、子供達の中で、ごく自然に 先輩の女子が後輩達の世話をしてくれる、何人かのお姉チャン役に支えられ、なんとか運営している状況だった。その結果、疑似兄弟の様な素敵な関係も生まれている。子供たちは5歳から、小・中学生、16歳を過ぎてしまうと、お別れだ。 

最近、向井洋一君5才が新しく入って来た。若い父親に手を引かれた洋一君は、父親が居る間とても聞き分けが良く大人しかった。父親が行ってしまうと何か嬉しそうに見え、そして豹変した。洋一君は5才なのに字が書けて本も読めるのだが、殆ど喋らない、先生の言う事は一切聞かない、多動等有り、でも俗にいう障害児ではない。賢くて扱いづらい子供 その理由を知る先生方は ただもう困った 母親に依る虐待 服に隠れて見えない所に無数の痣、傷 普通の5歳児より一回り小さい体育等 
洋一を強く叱れないでいた。未だ直らない小さな切り傷が沢山有るのだ。心療内科の必要は無いが、時間はたっぷり必要だった。未だ5才だし、ゆっくり対応しようと思っていた。でも これに納得出来ないのがお姉ちゃん役の10人の中学生達、洋一はとても可愛い少年だったので来た当初は大人気!小さい可愛い弟に見えた。
それが瞬時にひっくり返った、洋一君は何に対しても「嫌!」を連発する
寝る前にオシッコしようね/嫌!
歯磨きするよ/嫌! お着替えしようね/嫌! シーッ静かに/嫌アー!

結局、先生の誰かが世話をする事になる、そうして遂に怒った13才の少女が言ってしまった。「こんなに言う事を聞かない子は、お父さんに迎えに来てもらおう!」それを聞くとビタッと動きを止めた洋一は、次に脱兎のごとく逃げ出した、捕まえようとする手を全部すり抜け 入り口に立つ男の先生の腕をも抜けた。外はもう真っ暗だったが、その闇の中にあっという間に消えてしまった。
この施設は自然豊かな郊外に立っているので、野生のイノシシがたまに出る。里山は草深く、小さな流れも多く有り、暗くなると危険だ。何と言っても未だ5才だ。先生総出で事務方迄一緒に探しに出たが2時間発見出来なくて、警察か消防に頼もうとした時だった。小学3年生の里子が洋一の手を引いて帰って来た。里子は「先生、洋一君を叱らないでぇ」と泣きながら言った。洋一は里子の後ろに隠れて眠そうにしている。民家の暗い生け垣の中で寝ていたと言うのだ。半分寝ちゃっている洋一を先生が抱き取り「はい、叱らないよ、里子は偉いねぇ! 優しいね」と里子の頭を撫でた。他の先生も、お姉ちゃん達も、偉い! 良い子だ! と里子を誉めそやした。特に「お父さんに」と口走った少女は里子に抱きついて、号泣しながら詫びていた。

川上里子9才は、事故で在宅介護状態の姉が居る。両親は姉の世話で手一杯、里子の面倒を見られなくなった。体の不自由な祖母が此所に連れて来て以来1年、親からの連絡は全く無かった。里子は事情を理解していて聞き分けも良く 元気な子供だ。それ以来、里子は洋一君の世話を積極的にする様になり、私達は。幼いお姉ちゃんに付いて歩く小さな弟の可愛い姿に癒されていた。

ここの子供は皆、複雑な背景を持ち心に葛藤を持っている。その意味で全員手のかかる子供だ。今年は10人の卒業生の進路を、連絡の取り辛いご親戚と交渉する仕事も有る。勿論何でもする覚悟だが心も神経も疲れきった先生達にしたら、里子の行動は救世主に見えてしまう。アマノジャクの洋一の面倒を、里子1人に任せて、頼り切ってしまっていた。
始めの頃は「洋一チャン!頂きますは?」「嫌ア!」「エ〜ン頂きますって言ってぇ」小さな声で洋一が「頂きます」

最近は「頂きま〜す」と2人でハモっている。食器のお片付けも、里子の後を自分の食器を持たされた洋一がチョコチョコと付いて行くのだ。
正月も過ぎ3学期が始まろうとする頃、里子が、膝から血を流した洋一の手を引いて連れて来た。洋チャンがお座りして動かないから見に行って、連れて来たのと言う、見るとけっこう酷い傷で、医者に連れて行き1針縫った。膝を包帯でグルグル巻きにした洋一の、立つ、座る等の面倒を「嫌ア!」と叫ぶのを、泣きながら里子が引き受けていた。翌日から洋一は包帯の足を気にもせず、元気に外で遊んでいた。6才になったので友達が出来たのかなと思っていた。学校から帰った里子は心配そうに洋一を探すのだ。優しいお姉ちゃんだね大丈夫だよと頭をなでながら、この子も、いわばネグレクトみたいな環境だったから、きっと里子のほうが寂しいのだろうと思った。聞き分けが良い里子が洋一の事が切っ掛けで、あの日始めて此所で泣いたんだった。泣く事も治療の一つ、3年生のプライドで寂しいとは言わないが、そっとしておいた。

包帯の取れた洋一は、今度は熱を出した。幸いインフルエンザではなかったので、擦り下ろしたリンゴを食べさせ、薬を飲ませて寝かせた。夜色々な仕事を済ませて、様子を見に行くと、薄暗い室内で里子が洗面器に水を入れて、音がしない様にそっと手ぬぐいを絞っては洋一の額にあてている。手ぬぐいはキチンと絞られている。良いお姉ちゃんだなあ!泣きそうになってしまう、職員がいる部屋へ里子を連れて行き、この事を話すと、感激して目頭を押える先生もいた。こんなに優しく、思いやり有る子供に育ってくれた里子が誇らしくて、嬉しくて、この嬉しい成長ぶりを、ご両親にお知らせしたかったが電話では、忙しい看病とお仕事の邪魔になるかと思い、独断ではあったがお手紙を出させて頂きました。
熱が下がると直ぐに洋一は飛び出して行ったが「友達と約束が有るから」と言うので、頭痛くなったりダルくなったら直ぐ帰ると約束させて送り出した。

夕飯の支度で忙しく動いていた時、子供が「先生誰か来たよ」と言うので、玄関に出ると、隣家のお爺さんが、綿入れに包み込む様にして眠っている洋一を抱いて立っていた。スミマセンと洋一を抱き取ると、6才児はずしりと重い、ゲストルームへご案内し、改めて、申し訳ありません有難う御座いました。今後気を付けます。とご挨拶した所、ご老人はニコニコとして、イイエ家内も喜んでいますよ。いつも家のムルに引っ付いて遊んでいて、それが可愛くてねえ、ムルって言うのは、黒柴犬で雌の老犬です。決して危険は有りませんよ、今日は洋チャンがよく寝ていて起こすのも可哀想でね、暗くなって心配していらっしゃるとも思いまして、可愛くて、抱っこして来ちゃいました。いつでも来て下さい、家内も私も待っていますよ。と言ってくれるので私も、ありがとうございます。洋一も同じ年頃の子供がいなくて寂しかったんだと思います、どうぞ宜しくお願いいたします。と言った。お爺さんをお送りした後、洋一を見ると、綿入れに繰るまれたまま爆睡している。友達ってムルかぁ、手作りらしい小さな綿入れ、親の居る子供達なので身内以外からの贈り物は受け取れない、良く出来ている小さな綿入れだけど、明日返しに行かなければ、残念だが規則だから仕方がない。

翌日、子供達を学校へ送り出した後、調理場に頼んでおいた土産用のクッキー少しと、お借りした綿入れを持ち、洋一を伴って隣家を訪問した。電話しておいたので、老夫婦は揃って待っていた。事情を話すと快く納得され、綿入れは遊びに来た時だけ着せて下さるそうだ。そればかりか、おやつはあげて良いか、 良いならアレルギーは有るか等聞いて下さる。有り難さに泣きそうになった。話の中で一つだけ気になる事があった。里子が時々迎えに来ると言うのだ。入り口から顔だけ出して「洋チャーン 帰ろう」と呼ぶと、洋一は「嫌アー 里チャン嫌いぃ」と言うのだそうだ。里子はエーンと泣いて帰って行く、こんな事が何回かあったそうだ。そうして先日いつもの様に来た里子チャンが、帰ろうとしない洋一に業を煮やしたのか、一二歩中に入った。すると老夫婦も聞いた事の無い声でムルがウーと威嚇しワンワンと吠えた。里子は驚いて泣きながら帰って行ったと、危険は無いと思いますが、それ以来、繋いでいます。極稀に犬が嫌う臭いを持つ人間が要ると聞きます。大丈夫だと思いますが、出来れば里子さんは、来ない方が良いと思うのです。とおっしゃる
見れば洋一はムルにピタット張り付いて、ムルもまた守る様に丸くなって洋一にくっ付いていた。お婆さんが庭に降りて綿入れを着せると。ムルと洋一は揃ってお婆さんの足元で甘えはじめる。洋一に夕方迄に帰る様に言うと「はーい」と言ういい返事だ。

戻ると、里子がフリールームの隅に独りぼっちで座っている。可哀想に相棒をムルに取られてしまったのか、里子は同級生と遊ばないのだ。幼い所が有るからなあと思った。夕方洋一が帰ると、里子お姉ちゃんはダメダメと世話を焼きまくり、洋一もコクコクと素直に従っている。
卒園の季節を前に、毎年近くの山にお花見に行く、ピクニックみたいな物だ。

昨日、里子の母親から電話をもらった。始めて聴くその声は疲れたハスキーボイスだ。外で会ってお話がしたいと言うので、ピクニックの日に私だけで会う事にした。指定の喫茶店に着くと、ご夫婦が揃って座っていた。里子はお父さん似だなと思った。母親は「お手紙拝見しました。大切に育てて頂いて感謝しています」と言ったきり唇が震える、後は、私が話すからと妻の肩に手を置いて、父親は深呼吸をすると、静かに話し始めた。

里子の姉は事故にあって、命は助かったのですが、意識がありません。脳波は動いているのですが、弱くて、点滴と介護で生きているのです。容態が安定していたこともあり、主に医療費の関係で、私たちは病院の近くに引っ越し、在宅介護を始めました。夫婦二人で仕事をしながら介護をしていました。里子には全部話していたので状況は良く理解して、聞き分けていたと思っていました。
母親は、静かに泣き始めた。ポロポロと膝に置いた手の上に涙が滴る。父親が鞄からタオルを渡すと、彼女はそれで顔を覆ったまま時折嗚咽を漏らしていた。

父親は続けた。夫婦のどちらかが在宅の状態にしたかったのですが、どうしても昼間4時間程は、家の中に姉と里子だけになってしまい、何かあったら連絡する様に、使い方を教えて携帯電話を持たせました。ある日の夕方、里子から「お姉ちゃんの手が動いた」と連絡が有り、飛んで帰りました。でも、脳波の記録に異常がなくて、お姉ちゃんに反応してほしいという里子の願いが見せた幻だろう。里子の気のせいだったと言う事になって、里子が可哀想で抱き締めました。でも里子は、また手が動いた、足がビクッとした。果ては目を開いた等の連絡をして来て、その度にもしや!と思い、駆けつけていたが、とうとうある時、叱ったのです「嘘をつくな!脳波が動いていないんだぞ」と、里子は泣いて、ごめんなさいと言いました。その翌日の事です。里子から、また手が動いたと連絡が有りました。この時は母親だけ帰りました。すると脳波に激しい動きがあったと言うのです。すぐに医者を呼びましたが、医者は首を傾げるばかり、何かの刺激を受けたのか脳波は、一度激しく動きすぐ通常に戻っていると言うのです。そのあと連日同様な事があり、入院して精密検査をする事になり、私達夫婦に希望の兆しが来た様な気がしていました。病院が近いので、里子には学校が終わったら直接病院に来て待つ様に言ったのですが、1人ボッチの自宅へ帰ってしまいます。寂しがりで恐がりなのに変だなとは思ったのですが

その精密検査の結果は驚くべき物でした。姉の陽子の体には、全部で14ヶ所のたぶん針による刺し傷がありました。里子以外考えられません、起きないからチクリとやった。そんなものでは無いそうです。どの傷も深く多分待針の根元迄刺して抜いたのだろうと言うのです。姉の陽子はここ3年程、脳の反応が薄くなり、すぐにも脳死になりそうな状態です。二人で話し合って里子をお婆ちゃんに預かってもらったのです。勿論全部理解してもらった上で。
預けて3日目に、母が階段から落ちて骨折しました。母は私どもに何も言わずに、一人で調べたのだと思うのですが そちら様に里子を御願いしたのです。母は言いませんでしたが、私は事故ではなく、限りなく事件に誓い状況であったと思っています。そして施設なら人の目も多いので大丈夫だと考えてしまいました。先生方には、こんな重大な事をお知らせもせず、今迄 本当に申し訳なく思っています。
お手紙を頂いて、2年も問題を起こさなかった事で安心させて頂く一方、どうしても心配は募ります。洋一君は大丈夫でしょうか、何と言っても未だ幼児です。里子が、洋一君に危害を及ぼすようなことがあったらと思うと、居ても立っても居られなくなって、やってきました。
そう言えば、風邪を引く前に膝に怪我をしまして、里子さんが怪我をした洋一を連れて来たのです。三人は無言で頭を抱え、考え込んだ。洋一君と里子ちゃんは、今日一緒にピクニックに行っている。

ちょっと電話を掛けさせて下さい、私は引率の先生の携帯に電話した。洋一の無事を確認したかったのだ。すると、洋一がいなくなった。今探していると言うのだ。里子は見える所にいて、一緒に探していると、後で話すので取り敢えず里子から決して目を離さないでと頼み、ご両親には後日必ず連絡すると約束して、一旦帰っていただいた。花見場所へ車を飛ばした。

着いたのは、日暮れに近い時間で、先生二人と子供達は帰した。洋一だけが見つからない。残った吉田先生と私、それと事務職さんで探し回った。吉田先生が「先生暗い所ですよ」「私もそう思う暗い所だよね」あちこちと懐中電灯を向ける。地元の消防の方が、エッなんで暗い所なのですかと言うので、吉田先生が「洋一は虐待で傷だらけに成りながら逃げ回り、彼にとっては暗い所は安全な隠れ家なんだと説明した。イノシシ出るしな 急ごう 探しながら少し山を下った頃、道の向こうからヘッドライトが上がって来た。施設のライトバンだ。先生と助手席には里子がいた。そのヘッドライトの左下に小さな影が二つ浮かび上がった。洋一だ。あれぇ!ムルが一緒だ。ライトバンの助手席から半身出した里子が「よかったあ 洋チャーン 洋チャーン」洋一が固まった。マズイ! 駆け寄ろうとしたその時、ムルがライトバンに突進した。ヘッドライトの中を黒い固まりがボーンと跳ね返って林道へ落ちた。洋一は、ギャーッ!と悲鳴を上げそのギャーッ!は何度も何度も止まらない、まるで今虐待されている様な悲鳴の様な鳴き声が止まらない、抱き上げると洋一の涙で私のシャツはグショグショになっていった。

ムルは生きていた。隣家の老夫婦に電話し、掛り付けの獣医さんに連れて行った。ムルは暫く入院となり、洋一も過呼吸を起こし様子見の入院となった。
老犬のムルは残念なことに病院で亡くなった。

心配していたのだが、あんなことがあったのに、里子と洋一はけっこう2人で一緒にいることが多い、ある日、洋一に聞いてみた。「洋ちゃんは、里ちゃんが嫌いじゃないの?」すると洋一は「怖い里ちゃんは嫌い、でもね、やさしい里ちゃんは大好きなんだよ」と言った。一緒にいた吉田先生が、おぬし、なかなか出来るな! と笑っていた。

お詫びがてら、クッキーと洋一を連れて老夫婦をお訪ねすると、暖かく迎えてくださった。あの日、ムルは凄い力で引っ張ったらしく。犬の鎖は杭ごと引き抜けてその拍子に、緩く巻いていた首輪も取れていたそうだ。ムルはきっと洋一を守ろうとしたのだとおっしゃる。
洋一が騒ぐので見ると、一緒に子犬になったムルがいた。洋一の為に、同じ黒柴犬の生後2ヶ月を飼う事にして下さったという、お婆さんが「洋チャンその子のお名前考えた?」と聞くと「ムル2号!」だそうだ。更に「こいつの面倒は俺が見てやる」と、洋一は胸を張る。

あれから、教職員全員で里子の事を話し合った。今後もし里子の姉が亡くなっても、母親の元には帰せない、里子の家は此所以外無い。結果として、教職員全員が里子に一日3回は絡む! 何が何でも絡む! 怒っても泣いても良い 贔屓と言われ様がベタベタする。決議というより誓いかな、を決めた。

そして里子は今、泣き虫の我が侭娘に育っている。足を思い切り蹴って来たので、おんぶ紐で私の背中にくくり付けた8歳の娘なんが一日中だっておぶっていられる、なにせ私はヒャッカンデブだ。降ろせ!恥ずかしいよーと里子が騒ぐ、「ダメ里子が大好きなのに蹴るから里子が悪い!」降ろせーと喚いても、そのまま作業を続ける。やがて御免なさいと泣く、そこでやっと下ろしてあげる。
毎日が 戦争だ このごろ施設の庭に、ムル2号まで走り込んで来てしまう 動物アレルギーの子もいるので 洋一を叱りつける。 毎日が戦争だ! 

おしまい

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