異形者達の備忘録-28
ひまわりのエプロン
私はユリ、女子高生です。地域の消防署に、ワンゲル部の皆んなで、防災の講習と人命救助の訓練を受けに来ています。先日退職された冴子先生が、彼の看病を1人でしていることに、思いを馳せ、皆んな真剣に訓練を受け、消防の先生に褒められたよ、その時、私思ったんだ、ハイキングも楽しいけど、ワンゲル部の活動の1つとして、ボランティアをやりたいと、そう思った。
岩崎先生に提案してみたら、賛成してくれた。だから部員の前で言ったんだ。
「祈ったり、心配したり、冴子先生の事ばかり考えるのは もうやめようよ、変えようよ!ワンゲル部を! 訓練もしたし、ボランティア活動やろうよ!」って、
そしたら、京子が、「それ 良いー!」って、最近ワンゲル部に来た鉄郎が、「ワンゲル・ボランティア部だ、賛成―!」と言って、皆で拍手してくれた。
岩崎先生に、ボランティア募集している所を、パソコンで探そうと言ったら、先生は、ボランティアと言うのは、必要に応じて手を貸すもので、勝手に出かけては、先方の迷惑になるものだ。だから、先生が市役所へ行って、いつどこでボランティアをするか、決めてくる。と言って、翌日出かけていかれた。
結局先生が持って帰った数種類のボランティアの中から、ある地震の被災地に決まった。期間は1週間だ。作業は瓦礫などからご家族の写真とか、その他大切と思われる物を、抽出してキレイにしてあげる。と言う作業内容だった。
渡されたプリント通りの支度を整えて、心配顔の両親に元気よく、行ってきますと言って、家を出た。1週間なので荷物は多いが、ワンゲル部なので巨大なリュックも慣れたものだ。バスで現地に着いて、避難場所の人に迷惑にならないように、積まれた瓦礫の隅に3箇所テントを貼った。周りの方達に挨拶をして、キャンプ用コンロで携帯ご飯を温め、ボンカレーで夕食をした。
就寝前のミーティングで、なあなあ、ワンゲル部ってさ、実は、ボランティアに最適だと思わないか?と言う男子に、本当にそうだと思った。京子が「聞け! 全国のワンゲル部の学生達よ! 君らには、ボランティアと言うやるべき活動が待っている。先生、この運動広げようよ」と言った。先生は「それは、明日から1週間、君達が本当に頑張れるかによって決まる。明日からの作業は決して甘くない、今日はゆっくり寝なさい」と言われた。
翌日、元気に作業を開始して1時間、“甘くない”と言う意味が、良く分かった。
瓦礫の山だと思っていました。でも、それは、一瞬で壊され、バラバラになった家族の痕跡なんです。切なさが積み上がっていたんです。一つ一つ水で洗い、干している間、涙が止まらなかったです。表彰状、日記、メダル、
たとえ写真の切れ端でも、大切な思い出かも知れない、自然と丁寧に扱うのです。
皆んな無口になり、顔を上げると、どの友達の目も潤んでいた。
2日目、午前中から被災した家族の方が大勢、見に来られた。それぞれが乾いた写真などを手にとって、泣いて大事そうに持って行く、先生と同じ年代の男性が、こちらに来て、「ありがとうございます。妻と娘を見つけることができました。また、寄らせていただきます」と言って、深々と頭を下げて来ました。私たち全員も立ち上がって頭を下げました。そうか、みんな家族を探しに来てるんだ。
ようし! 絶対に全部全部、見つけてやる。
その夜、夢を見た。花柄のゴム長靴にジーンズ、黄色いひまわり模様の割烹着を着た女性が、セーラー服の可愛い女の子と、昼間会った男性と楽しそうにご飯を食べていた。あのおじさん、せめて夢で家族と会えたら良いのに、
そう思って京子に夢の話をしたら、全く同じ夢を見たって! 2人でその話をしていたら、ほとんど皆、同じ夢を見ていたってことが分かった。
私たちは全員が早起きになった。必死で作業した。カケラのような破けた写真を、泣きながら定期入れに入れる少女もいた。急に何もかも無くしてしまった人に少しでも、思い出の手がかりを残したいのに、あっという間に時が経った。
未だだよ先生! 沢山ある瓦礫の中の一山、その半分も探していないよ先生!
でも学校の許可は1週間だ。お前達風呂も入って無いんだぞ! と怒られた。
帰って来た。真っ黒に汚れて、元気だけ良い娘を、母さんは一緒に風呂に入って、ゴシゴシ洗ってくれた。
数日後、私はネットで呼びかけた。
聞け! 全国のワンゲル部の学生達よ! 君らには、ボランティアと言うやるべき活動が待っている。
おしまい
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