ついつい人から認められたいと思ってしまうことがある どんな時かというと 料理を作るとき 私の周りには料理ができる人がいる そしてそれを比べられることがある 調理師学校に通ったがなかなか思うようにいかないことも多い それはあたりまえ そんなことを責める必要はないのだが… 自分の中で比べてしまうこともあれば人から比べられることもある なんでそんなことに もやもやするのかと言うと 人から認められたいと思っている自分がいるから 人の思い通りに生きて人の人生を歩みたく
私はあまり人と長くお付き合いすることが得意ではない 人との会話に気を遣ってしまう 変なトラウマから女子とは特に思ったことを話せないのだ それに病気の影響や性格により悪い方向ばかりに物をとらえてしまう癖もある 今はSNSで色々な情報が入ってくる 華やかな生活ばかり目に入って落ち込むこともある それがトリガーになって過去のうまくいかなかった思い出を思い出す これがとてつもなく苦痛な時間だ それを対象するための私なりの方法を紹介する ① すべて受け入れてそうだった
田舎に住んでいると 周りの知り合いたちは 子どもを育てている人が多い そんな中、子を持つマインドになれない私 先の不安ばかり大きくなって 到底、産もうと言う気持ちを維持できない 産めば全て解決するわけでもなく 子育てしている人にはその人の悩みがある それを分かっているから どちらにも踏み出せない 目の前の現実を受け入れられない 未来に希望を持てない 子なしで年老いていくことに恐怖をおぼえる だからといってそれを産む理由にはしたくない マイノリティとし
今を生きる 私がヨガをやっていた時散々聞いた言葉 心のケアとしてのヨガをしたい まず、心を今に引き戻して 過去や未来の不安から遠ざかる その練習をしてきた だけど 何気ない時にそれが出来なくなる時がある いつになったらそれができる様になるのでしょうか 苦しい思い出や見えない未来に振り回されるより 思い切って今だけを生きたい
人間関係において 深いことは考えないというのが 幸せへの第一歩に思える もちろん、人と関わり合うときには よく考えて行動、発言した方が良い そのあとは、さっぱり忘れて あの人はあぁだとか こんなことを言われた だとか あんなことを言ってしまったとか 深く考えると病んでいく しまいには嫌われているんだと思い込む 人を嫌いになるのはエネルギーが必要 長くは続かないはずである だいたいはどうでも良くなる 人は悪い方に考えてしまう生き物で 私は特にその
ほっと一息、 深呼吸 人の人生に、親だからとか知り合いだからという理由で口出ししてくる厄介な人というのがどこにでもいる ましてやそれが良かれと思って言っている場合は本当に迷惑である 人はどうであれ、 自分はその人と性格も考えも違うのだ そして、その人のベストな人生も違う 人それぞれだから 本人が決めることに意味がある 自分が己の人生を肯定しているのに 口出しするだけで1円もくれやしない 変わって育ててくれるわけでもないし 夜中に泣いてもかばってはくれない
小さい頃、母がよく言っていた言葉 今でもたまに聞くことがあって ふと我にかえる 「人は人、自分は自分」 人と比べるより自分のやりたいようにやるのがいい 本当にそう 人からどうなふうに見えていても関係ない しかも、人それぞれ感じ方は違う 全員から嫌われるなんてことはないのだ それを忘れてしまいがち 他人は自分のことを自分ほどはみていない 自分のことで精一杯 だから自分の人生を生きていけばいい そう自分に言い聞かせている
気分の浮き沈みが大きい すぐ落ちてしまう そんな私が 以前小さな親切をすると 幸福度が上がるという記事を見て ふとした時にできることを 積み重ねて気分を上げることをしている 小さなゴミを拾ったり 車を先に通してあげたり 荷物を車まで運んであげたり 少しずつ自己肯定感を高めていけるか 試してみている今日この頃 ふとした時に選択を変えて親切をしてみよう 直接、人にでなくても トイレをきれいに使うなどもいい気がする
過去の嫌な思い出ばかり蘇る あの時こうしておけば良かったと 本当に後悔している 反省は側からは分からない だけど反省しているのだから もう自分を許してあげてもいいのではないか 過去を悪い記憶、 苦い思い出にしすぎではないか 過去を思うと恥ずかしい それってみんな同じなのかな もういい加減あの時の自分を許してあげたい その方法を今でも模索している 人には後悔の二つや三つあるものだ…
ふとした瞬間に恐ろしいほど未来が怖くなることがある そんなことはきっと誰にでも あることなのかもしれないし 私が考えすぎているだけなのかもしれない そこでその不安をお医者さんに聞いてみると… 先のことは分からないから 1年後とか6ヶ月それでもっていうようなら 3ヶ月とか短い期間で積み重ねていくのが 良いかもしれないねと 何かが変わるのに不安が大きくなるのは仕方ない 試してみる期間として捉える 薬飲んでいい 不安な時に集中できないのは当たり前 などと言う言葉
どんな人になりたいかを考えてみた そういう目標を持たないと知らないうちに 歳を重ねそうで怖くなった 凛とした 自立した女性 穏やかで笑っている そしていつも気ままで自由 そんな余裕のある大人になりたい だか、いつもそんな理想な自分で居られるとは限らない 結局はどんな自分でも肯定できる自分 いつも自分の味方でいてくれるそんな人でありたいのだと思った まぁゆっくり歩んでいけばいい 焦らずに
またやがて良いことが訪れるから お弁当屋で働いていた時 同じ病気で治療している同僚は 何か悩み事があったらすぐ切り替える 「お昼何を食べようか」など 楽しいことに切り替えるのが1番良いと言っていた 私もつくづくそれを思う 悪いことがあってそれを人に話す習慣が出来ていると 悪いことが起こった時にこれを話さなきゃと記憶に留めてしまいがち だから辛いと言える場所は必要だけど なんでもかんでも悪い方向に悲劇のヒロインみたいになるのはやめようと思う なにより人が離
なにがあっても離れられない人 なにがあっても許してしまう人 ほかの人では埋められない溝がある… 別れたら自分が自分では無くなってしまうような気さえする 自分でもなぜだかわからないのだが 気に入らないところや 許せないところがあるのに 離れられないのである 先日見たラブトランジット、 そこで「まだ学びがある」というのを耳にした きっと私にはまだ学ぶべきことや 一緒にいる意味があるのだ それが今は分からなくてもいい こんなものなのか結婚というものは… 気に
私は愛されることに慣れていない 多すぎる愛情は重すぎて受け取れない ただ愛されていないと不安 そんな矛盾を抱えている 人それぞれ、愛の表現の仕方は違う 自分が求めるものを人がすぐ与えてくれるとは限らない 最近、結婚したのだがその彼の特徴は よく言うとクール でも彼は十分愛情を注いでるつもりらしい 私はそれをあまり感じられていない それはなぜかと考えてみた 理想という上には上の期待がある それを知りながら もっと幸せになりたいと高望みをし続けた結果
私は統合失調症をかかえる30代女子 3度の入院を繰り返し最近の入院から1年が経った今、平気なふりをして生きている でも完全にはその真実を受け入れていない もっと言うと30%ほどしか受け入れていないような気さえする そして自己肯定感が低いため、なにか生活で問題(人間関係や暮らしの不自由さ)があってもそこから抜け出して自立することが難しいと感じる 無理かもしれないとすぐにやることを諦める やたらこの先が怖い 健常者もみな悩みは抱えているだろうけど それを処理すること