エル・カンターレに出会って
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『復活の法』 大川隆法著
第1章 生死を超える道
脳死による臓器移植の真相、事故などによって脳の機能が止まっている人はたくさんいますが、そういう人も、霊体のほうの意識は、はっきりしていて、周りの人の話も、きちんと聞こえています。そのため、彼らには、「自分が死んでいる」という認識はないのです。
したがって、「『自分は死んでいる』という認識がない状態の人から、臓器を取って、他の人に移植すると、生体解剖のようになります」と私は述べているわけです。
体は動かないけれど、魂は「自分は生きている」と叫んでいる状態で臓器を取られると、本人は承認も納得もしていません。したがって、そのあとが大変なのです。
死というものを、普通の人は、なかなか受け入れることができません。九十九パーセントの人は、自分の死を、そう簡単に受け入れられないのです。やはり仕事や子孫など、この世のいろいろなものに執着しているのです。そこで、本人に死を受け入れさせるために儀式をします。通夜や葬式、納骨などの儀式をして、本人を悟らしめ、納得させていきます。それだけの時間をとって、死んだということを知らせようとしてるのです。
その前の段階で、「死んだのだ」として臓器を取り出すことは、一種の生体解剖になるので、大きな犯罪を生みます。
彼らは怒りに満ちています。驚愕と恐怖で怒りまくっています。そして、まずは病院で暴れていますが、そのあと、ほとんどの場合、移植を受けた人のほうに取り憑いて、ほぼ完全憑依の状態になります。
これが、臓器移植後によく報告されている人格変化です。「臓器移植を受けたあと、人格が変わる。別の人格になる」ということです。
「自分の臓器が入っているのだから、これは自分の体だ」と言い張っている人がいるため、肉体の中に二つの人格が存在することになるのです。
『永遠の生命の世界』に書いてあるように、「霊子線」(シルバー・コード)というものがあり、普通は、本人の肉体と霊体とが霊子線でつながって、一対一に結びついています。このシルバー・コードがない状態だと、いろいろな霊が幾らでも肉体を出たり入ったりして、その人が別人格になってしまうので、そうならないように、肉体と霊体を結びつけて一つにしてあるのです。
(先生も突然死だったので、三日後に検死されています。そういうことも正直に開示されていないです)
ところが、臓器には意識があるので、臓器が他の人の肉体に入ると、亡くなった人にとって、「自分はまだ生きている」と言い張るための根拠ができます。そして、亡くなった人の霊は、その臓器を根拠として、移植を受けた人の体に入ってきます。そのため、二つの人格が存在することになるのです。
移植を受けた人が子供で、亡くなった人が大人であれば、大人の人格のほうが強いので、霊が肉体を完全に乗っ取ってしまうことがあります。
したがって、「臓器移植を受けて、肉体生命として生きるけれども、別の人格の人間になる」ということもあります。
また、自分の臓器に執着している霊は、移植を受けた人の家族に何か障りや祟りを起こすことがよくあります。そのため、いろいろな事件や事故、病気などが多発するケースが多いのです。
原因は無明にあります。「真実を知らない」ということに原因があるのです。これを知っておいていただきたいと思います。
それから、懸念されることは、やはり、臓器ビジネス、臓器の売買です。これによって、闇の世界がかなり広がりつつあります。地獄的なものが、かなり広がっています。臓器は貴重なものなので、高く売れます。そのため、闇取引がかなり流行っているのです。
仏教的には、布施について「三輪清浄」ということがよく言われています。布施する人、布施を受ける人、布施をするもの、この三つにおいて、どれにも穢れがないこと、執着がないことが大事なのです。
脳死状態は突然にやってくるため、しかたがない面はあるのですが、ほんとうは、「真実の世界を知った上で、『私の臓器を、この方にあげたい』という気持ちがあって、臓器提供をする。そして、安らかに死んでいき、執着なしで天国に還っていける」というかたちがよいのです。そのかたちになるならば、三輪清浄が成立する可能性はあると思います。
しかし、現実を見ると、「それは、かなり厳しいのではないか。そこまで悟った人が、この世に、それほどたくさんいるだろうか」と感じます。
幸福の科学の信者で、「それでも臓器を差し上げたい」という人がいるのならば、それはそれで結構です。きちんと真理を理解した上で、「執着を断って、あの世に還りたい」という気持ちで行うのであれば、かまわないと思います。
ただ、四、五次元ぐらいの悟りの人は、あの世においても、まだ臓器の意識を含んだかたちで生活していることが多いので、臓器を取られた場合には、普通の生活がスタートできないおそれもあることは、知っておいてください。
(Netflixでやっている、『さよならのつづき』有村架純さん、坂口健太郎さん、生田斗真さんのドラマがこの世だけのことだけだが、描かれていました)
私は、あの世へ還ると、光だけになって、手も足もなくなるのです。私は、黄金色の光線そのものになり、みなさんに姿形ある存在として認めてもらえなくなるだろうと思うので、少しさみしい気もします。
その意味では、あの世で人間的な生活を送れる人は幸福なのです。
霊界から見ると、この世は、ずいぶん混乱したように見えますが、それは、しかたがないところもあると思うのです。戦乱の世の中であれば、まともに生きることができない人も大勢いるし、昔はコレラやペストで死ぬ人も大勢いたので、いろいろな混乱があること自体は、しかたがないことであって、完璧に人生を生きることは、そう簡単にできることではないのかもしれません。
みなさんの寿命はいつまでもあるわけではありませんが、その有限の人生のなかで、肉体というものを、無視することなく、「ありがたいものだ」と思って精いっぱい生かしきり、そして、魂修行をし、菩薩・如来の世界に一歩でも近づいていただきたいと思います。