エル・カンターレに出会って
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『復活の法』 大川隆法著
第3章 天国へ還る方法
私の著書『永遠の法』は、四次元から九次元まで、そして、それ以上の世界という、この世を去った実在界の次元構造を説明したものですが、その内容には、奥が深くて言い尽くせない部分があります。また、『永遠の法』は、その題のとおり、ほんとうに永く遺る本になるだろうと思います。
ちょっど、月に雲がかかっても、雲の上には月が皓々と輝いているように、私が帰天したあとも、後世に遺っていく本の一つであると思います。
『永遠の法』の第一章は「四次元の世界」です。ここに述べられている内容がほんとうに分かっていれば、ほとんどの人は救われます。
あの世の世界が分からない原因の一つに、「追体験できない」という点があります。確かに、死後の世界について、いろいろと話を聞いたとしても、実際にどういう世界なのかが分からない部分はあるでしょう。
幸福の科学で勉強することによって、すでにあの世で霊となっている人たちの経験の内容を盛り込んである『永遠の法』は、あの世のガイドブックとして、とても適切な本だと言えます。
あの世へ還ったならば、『永遠の法』の内容に照らして、「自分のいる世界がどこであるか」ということをよく考えてください。死ぬときに『永遠の法』を「あの世に持っていこう」と強く思えば、念の集合体として持っていくことができるので、あの世でよく読み、自分のいる所がどのあたりか推定してください。
「死後、どの世界へ行くか」ということは、その人の心境によって決まります。
天国に還るための第一段階の基準として「心の清らかさ」というものがあります。これがあれば、五次元善人界に還れます。
そして、心に曇りがなく、ある程度、仏法真理を理解でき、体得できたならば、おそらく六次元光明界に還ることができるはずです。もし行けなかった場合は、生き方がどこか違っていたのです。
そこがなかなか分からないのです。
「心の清らかさ」という基準をクリアし、さらに真理知識を持っていれば、六次元には行けると考えてよいでしょう。
「心がきれいかどうか」という最初の基準の判定は非常に難しいのです。
判定するためには、二つの判定基準があります。
一つは、「自分自身に、ほんとうの意味での幸福感があるか」ということです。ほんとうの意味での幸福感とは、心の安らぎと、「自分は他の人の役に立っている」という実感があることです。
もう一つの判定基準は、「自分の置かれている状況や環境、自分の生き方を客観的に見て、幸福と感じられるか」ということです。
一番目として、主観的な物差しを述べましたが、二番目として、客観的な物差しも大事です。「自分が死ぬときの立場に立って、みずからの過去を振り返ったとき、自分なりの尺度、自分の良心に基づいて判定して、満足だと思えるか」ということです。
要するに、自分の人生を振り返ってみて、「いま死んだとしても満足がいくかどうか」ということを考えるのです。
「いま、自分が人生を終え、死んだ」と考えて、「まずまずの人生であった」とか言えるならば、天国に入る可能性は高いでしょう。ところが「悔しい。残念だ。やり直したい」と、あまりにも強く思う人は、この世にそうとう執着が残っていると言わざるを得ません。
「三十年、四十年、五十年と自分が過去に生きてきた道筋を振り返り、実際に起きた事件と、その時の自分の心のあり方、心の履歴書に書いていき、『これが最後の一行である』となったときに、まずまずよくやった」と思えるような人生であったかということです。
そういうことが、ある程度クリアできた上で、真理知識を学び、しっかりと精進していれば、六次元光明界までは行けるのです。
そして、七次元菩薩界に入るためには、さらに実践力が必要となります。「学んだ真理を、どれだけ多くの人に説いたか。あるいは、自分の事業なり、それ以外のもののなかで、どれだけ実践したか」ということです。七次元では実践の比重が大きいのです。
孤独な哲人の場合、六次元以上には、行けません。
孤独な哲人で、六次元以上の世界に行くことができるのは、カントのように偉大な思想を遺して世の中に影響を与えた場合だけです。そういう場合には、菩薩行以上の如来の仕事になっていることもありえます。
しかし、通常は、孤独な哲人として書斎のなかで生きていれば、六次元の悟りで止まるのです。