エル・カンターレに出会って


『光ある時を生きよ』   大川隆法著


第3章 「人生に勝利する詩」講義

「人々よ 言葉には力があるのだ
これを言霊と言う
消極的な言葉を 数多く使う人は
打ちのめされた人生を送るのだ
積極的な言葉には 命がある 魂がある
これをなぜ活かさないのか」
言葉というのは、人間が霊的な存在であるということを知らしめるために与えられたものなのです。
神は言葉の力というものをお与えくださいました。その言葉を生み出し、その言葉どおりのことが実現するということを経験することによって、人はその根底において自らが神と同じ力を持っていることに気づくのです。
あたかも「三種の神器」のなかの剣のように、言葉という名の武器を私たちに与えられています。
自分が人生を拓くことができなかった理由、原因を、みなさんはいったいどこに求めているでしょうか。その根本はおそらく言葉にあったのではないでしょうか。
現在、成功していない人は、自らが過去数十年の人生において発してきた言葉を、ふり返っていただきたいのです。いかなる言葉を出しつづけてきたか、その言葉の集積が現在のあなたの人となり、その成功の程度を表わしているということを知っていただきたいのです。
「人々よ 自分の人生を肯定するように
他人の人生をも肯定せよ
他人をよき人だと思え
他人を悪く思う人は、自分も他人から悪く言われる
陰、日向なく人をほめよ
ほめる力でその人はよくなり
ほめる力で あなたもよくなるのだ」
次は、光明思想を愛という観点からとらえる思想が述べられています。単に自分の人生を肯定するだけでは足りないぞと言われているのです。これは、光明思想が決して上っ面の皮相な自己実現型の生き方ではないということを、表明しているのです。
ほんとうの光明思想は、自らの人生を肯定するように、他の人の人生をも肯定するものなのです。この根本を忘れたら、これは堕落への道となるということを知ってください。
光明思想の根底にも幹にも、つまりその根幹には愛があるということを忘れないでいただきたいのです。その愛は、自分を神の子として愛する愛であると同時に、他の人もまた神の子であるということをも、力強く肯定するということなのです。ここにおいて、キリスト教も仏教も神道も、その垣根はなくなるということを知ってください。
人をほめる心境に達したということは、それはあなたが愛を供給する人間であるということを意味しています。
愛を供給しつづけることができる人間は、人格において、器において大きなものになっているということです。他の人を利せんとするその心が、自分自身をも結果的に利しているのです。

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