エル・カンターレに出会って
『「成功のヒント」講義』
4 人生とは、実は考え方の延長である。
考えることは、生きることでもあるのだ。
「人生とは、実は考え方の延長である」というのは面白いところです。このように思っている人はあまりいないのではないでしょうか。
「結局、死ねばそういうことになる」という話を私はよくしています。
「死んだあとに、この世のもののなかで持って還れるものは何もないんですよ。持って還れるものは、心だけですよ」と言っているわけです。
では、「心とは何か」ということですが、結局、「考える機能」であると言えます。あの世に持って還れるのは、考える機能なのです。
あの世へ行くと、肉体はありませんが、考える力を持っています。考える力と活動のエネルギーだけは、四次元以降の世界に移行していくわけです。
悟りを開きたくば、いち早く、「人生というものは、結局、自分の考え方がかたちづくるものなのだ。自分とは、考え方そのものであるのだ」と知ることです。
すなわち、「一日中考えている内容を見れば、自分がどのような人であるかが分かる」といえるでしょう。
昔の言葉に、「蔵書を見れば、どういう人物であるかが分かる」「友達を見れば、どういった人であるかが分かる」というのは、客観的な材料、証拠でしょう。
「このような本を読んでいるならば、頭の中身はこういうことが中心だろう」ということは想像できます。あるいは、「このような人と付き合っているのであれば、あなたの関心事はこういうものだろう」ということでしょう。
つまり、考えを見れば、「今後、どのような人生になりそうか」ということまで、だいたい分かるのです。心のなかを開けてみれば、どういう人であるかは一目瞭然なのです。
裏表なく、自分の利益のためではなく、人助けを熱心に行って、どこを見ても、いつも人助けのことを考えている人であれば、その人は菩薩でしょう。実際に、菩薩と言われる人は、そういう人なのです。人生の大半、ほとんどを、人助けのために費やしています。
例えば、ナイチンゲールは、病床のなかにあっても、晩年まで手紙を書いて、看護学校をつくるために一生懸命に働くなど、一生、他人への奉仕のことしか考えていなかったのです。マザー・テレサもそのような感じでしょう。こういう人が菩薩であり、心の中身を上げてみれば、それは明らかであるわけです。
外からは「いい人」と思われたり、通り一遍の挨拶をして、「あの人は礼儀正しい人だな」とか「育ちの良い人だな」「言葉が丁寧だな」と思われたりしても、中身を開けてみたら、「ヒッヒッヒッヒ、実は‥」というようなことをいつも考えているのなら違うわけです。
第四針では、さらに、「考えることは、生きることでもあるのだ」と言っていますが、霊界ではこのとおりで、「考えていることは生きること」なのです。「考えている」ということは、「行動している」ということと同じです。「思う」ということが「行動」と同じなのです。あの世の時空間は、実際には「ない」のと同じであり、「思いは即行動」なのです。時間というものは、地球の回転速度によってたまたま起きているこの世的なものであり、空間もそうです。あの世では、時間も空間もなく、思いしか存在しません。「思いは即行動」であり、「思いは即存在」であります。
ですから、自分自身がどういう人かを知りたければ、今日一日考えたことを振り返ってみれば分かりますし、あるいは、一年間の平均打率として、どのようなことを中心に考えていたかを見れば、だいたい分かります。
雑念も湧きますけれども、ただトータルでどういう調べが出ているかを見れば、あなたがどういう人であるかということがわかるのです。
こういうことを見つめるために、研修などが非常に大事なのです