エル・カンターレに出会って
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『光ある時を生きよ』 大川隆法著
第4章 「運命の開拓」講義
「光そのものが生命のエネルギーでもあるし、
光そのものが世を照らし見せるものでもあり、
光そのものが希望でもあり、
光そのものが発展でもあり、
光そのものが善であり、
光そのものが道しるべであり、
光そのものが生きていく勇気でもあるのです。
よって人間よ、
人間は光の子であるのだから、
この光の本質を究めよ。
光の本質を探求せよ。
光とは何であるかを知れ。
光とは何であるかを知ることが、
汝の本質を知ることである。
汝、光の子であるならば、
汝、光とともに歩め。
汝、光の中は歩め。
汝、光の内に歩め。
汝、光ある時を生きよ。
汝、光とともに生きよ。
汝、光とともに行動せよ。
汝、光を自らの内なる炎とせよ。
汝、光を心の糧とせよ。
汝、光をもって人生の目的とせよ。
汝、光を持って神の生命とせよ。
神の息吹とせよ。光をもって人生最大の偉業とせよ。」
このように言い切っていますが、私たちは法においてたいへん贅沢な教えを受けているわけです。
さて、「光」の次に「夢」ということを挙げています。これは神の特徴のうち、希望にあたるところであろうかと思います。
「汝が夢をみることができるということは、
汝に神と同じく創造の自由が与えられているということなのだ。
こうした貴重なる体験が夢であることを知れ。
夢の中で飛翔せよ。
夢の中で自己を拡大せよ。
夢の中で大いに生きよ。
夢の中で自らを限定するなかれ。
人間よ、必ず、心の中に夢を持て。
夢なき時、汝は死したのである。
夢なき時汝は老いたのである。
人間よ、老いこんではならない。
永遠の若さを保て。
永遠の若さとは、
すなわち、夢を抱く力である。夢を想う力である。
夢の中に限界が現れた時に、
汝の限界もまた画されるのだ。
人びとよ、夢を描く能力がいくら多くとも、
だれに恥ずることもないということを知れ。
夢を描く能力が、どれだけ大きいかを誇れ。」
このような言葉は詩篇そのものです。議論の余地はほとんどありません。聖言そのものです。
天之御中主之神も、現実の問題がいろいろ難しいことは知っているわけですけれども、その難しさを何を持って乗り切ってゆくかというと、夢を抱く力で乗り切ってゆけと言うわけです。光を信じ、人間が善なのものであることを信じ、そして現実に幸福を獲得してゆく方法は夢であるということです。
夢の限界を画するな。夢のなかで無限であれ。無限の夢を信じ、それを信じつづけ、実践してゆくなかにおいて、可能性が消えることはない。夢を失ったとき、あなた老いたのである。夢を追いつづけている限り、若人であるーーと言っています。