エル・カンターレに出会って
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『光あるときを生きよ』 大川隆法著
第3章 「人生に勝利する詩」講義
「人生に勝利する詩」は、天之御中主之神の神示によって書かれたものですが、光明思想の神髄とでも言うべきものを、言魂で書いてあります。
「人々よ。大いなる希望を抱け
ひたすらに 神の光はあふれくる
神の力はあふれくる 神の勇気はあふれくる
大いなる光の泉 知恵の海 愛ある山河
慈悲の空 涙に曇ったその目とて
涼風一過 輝かん」
この第一節にまず述べられた言葉が、「大いなる希望を抱け」という言葉です。これが光明思想のすべてです。これは、人間の人生が大いなる希望のもとにある、ということを自覚してほしいということです。
したがって、光明的人生を送りたいと希望するならば、まず、この大いなる希望というものを持てるかどうか、これが出発点となります。
大いなる希望を抱くという行為がある、ということを知っていただきたいのです。すなわち、光明思想においても、自らの人生を光明化してゆくためには、自覚、決意ということがどうしても必要であることが、明言されているのです。
自分の運命を決めるものは、自分の心であり思いである。
このような大いなる希望を抱いたら、「神の光が、力があふれてくる」ということを述べられています。それも「ひたすらに」です。
そして、神の光、神の力のみならず、「神の勇気はあふれくる」ということが述べられています。
私たちは、はるかなる昔において神から切り離された個性ある魂であるが、個性ある魂であると同時に、今なお神の一部であるという事実があるのです。神の一部であるという事実を想い起こすということが、神の勇気があふれでるということになるのです。
光の泉が、知恵の海が見えてくる。満々たるエネルギーを貯えています。力があります。叡智があります。自分がこれほど力強いものに囲まれているということに、そのエネルギー、その叡智に気がつくのです。見上げれば、山も河も愛に満ちあふれ、空さえ慈悲に満ちあふれています。たとえ自らの目が涙に曇ったとしても、さわやかな風がその涙を拭おうとして、どこからともなく吹いてくるではありませんか。
このように、大いなる生かされた環境のなかに、神の子としての自分が存在しているということを、まず知りなさいということなのです。
(これは、私が20代前半に初めて出た、『勇気の原理を学ぶ』研修(馬鹿がいけた)で、先生から、直説金口に頂いた教えです。
私は、すぐ人を傷つける言葉が出てしまい、あとから、くよくよと自分を責めてしまうタイプで、落ち込む事が多く、落ち込む度にいつも聞いて魂の傾向を明るい方向にむけました。
そのおかげで、無職の私が家を買え、子供たちも愛あふれる人に育ちました。
素直に先生の教えのとおり実践したら、本当に成功しました。かなり頭が悪く、先生の広大無辺な教えを少ししか、理解できていなくても大丈夫でした。本当にありがとうございました)