エル・カンターレに出会って
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『復活の法』 大川隆法著
第3章 天国へ還る方法
五次元の世界における、愛の修行は、「自分が感じる喜びを他の人にも感じさせることは、よいことだ」と分かることが、五次元における「愛の悟り」なのです。
五次元界が、善人界といわれる理由は、いわゆる「いい人」がいるのです。
これはイエスが説いた、「汝がなされたいがごとく他の人になせ」という黄金律でもあります。
これが善人界への一つのキーワードなのです。
自分にではなく、他の人に与えられたときに、それを見て素直に喜べるかどうか、これがチェック基準なのです。
ある男性が、女性に「あなたは、きれいですね」と言って、その人がパッと顔をほころばせて喜んでいる姿を見て、あなたは「よかったな」と思えるでしょうか。ここが大切なところです。そう思えなかったならば、まだ五次元の心境に来ていません。
これが最初の関門です。
また、他の人がボーナスの多いことを喜んでいる姿を見て、その人を祝福できる気持ちがあれば、五次元善人界に入れます。しかし自分を阿羅漢や菩薩だと思っていたとしても、もし他人の幸福を祝福できなかったならば、まだ五次元の関門を通っていないと言えるのです。
総理大臣をした人でも、地獄に落ちることがある理由はここにあるのです。
出世の問題でも同じです。あなたが課長だとすると部長に昇進したならば、うれしいでしょう。ところが、自分が課長のままで、同僚が部長に昇進した場合、「自分が部長になったらうれしいが、他の人が部長になったときに、うれしいか、うれしくないか」ということです。
部長になった同僚に対して心のそこから「よかったね」と言えたら、その人は、そのままで少なくとも五次元善人界に確実に入れます。ところが、同僚が偉くなったことを見て、嫉妬の思いがすぐ出るようならば、「どの世界に行くか」ということは、一生終わってみないと分かりません。
つまり、嫉妬の炎が燃え上がった人は、四次元のなかでまだ修行しなければいけないのです。
あるいは主婦であれば、ご主人の出世の問題もあります。「自分の夫は偉くなるだろう」と思って、結婚したのに全く偉くならない場合、心が穏やかではなくなります。そしてご主人が家に帰ってきても、不平不満ばかりを言い、そのようなことをいつも繰り返している人も五次元へは上がれません。
他人に対しては祝福の念を送り、自分については反省して工夫しようと思える人は、五次元に行けます。
「これが自分に与えられたり、うれしい」と思うものが、他の人に与えられたときに、あなたは、どう感じるでしょうか。それをチェックしてみてください。
その時にゆとりのある考え方、発展のある考え方、天国的な考え方ができたならば、最初の関門は通過しています。しかし、嫉妬心が出たり、愚痴や不平不満が出たりした場合には、この最初の関門を通ってはいないのです。
まず、そういう天国的な考え方ができなければ、六次元、七次元、八次元の世界は考えるに及びません。その前段階である五次元まで来ていないからです。
大部分の人にとって大事なのは、ここです。仏法真理を学んだならば、最初の関門として通過しなければいけないのは、ここなのです。(おたふくもそうですが、幹部たちも先生から、言われていたので、ここを変えない限り、大変だと思いました。それに、自分が言われて出来ないことを、無理にやらせてたり、長続き出来ない、中道ではないことも、していますが大丈夫でしょうか)
六次元的な愛として、「生かす愛」というものがあります。これは、ある程度、専門的な高い識見を持っていて、人々を教えることができる場合の愛です。
七次元的な愛になると、もう少し「無私の愛」になってきます。「奉仕が喜びである。他の人に尽くせることがうれしい」という心境です。みなさんの多くは、まだ、この段階まで来ていないでしょう。
自分の心を点検してみてください。まず心のなかに地獄的なものがないことを確認し、他人の幸福に対して「あの人はよかったな」と思える、五次元の愛があって、その上に、六次元的な「生かす愛」、そして、「他人に尽くすこと自体がうれしい」という、七次元的な「奉仕の愛」があるのです。
みなさんの周りにも、物事の裏を読まず、自分の欲徳がない人、「一生懸命に人に尽くす」ということを、頭ではなく、自然に体が動き、よしとする人生観を持っている人がいるでしょう。
そういう境地まで行くのが目標です。