エル・カンターレに出会って
『人の温もりの経済学』
香港危機に何を学ぶべきか
中国は香港安全法をつくり、香港を監視しようとしている。しかし巨大ビルがたくさん立っているような香港で、「企業活動の自由」や「政治活動の自由」が完全に死滅したら、脱出する人が多くなると私は考えます
何度も何度も自然、災害や金融災害などが起きたり、台風が来たりしていろんなことをしていると「大きな政府」(政府が権限や権力を持ち、国民に言うことを聞かせる政府。税収を増やして、政府が面倒を見るというようなかたち。)の条件が出ることはあります。しかしそういうものに対しては企業なり個人なりがあらかじめ準備するべきものは準備したり蓄えたりしておくべきです。また国についても、入ってきた予算を全部使うのではなく、一部を取り分けて積み立てておき、それを災害対策用に使っていくような考え方、普通、企業ならどこでもやる考え方を、やはり、しなければいけないと思います。被害が出てから急に赤字国債や赤字公債を出し、借金をして行うという考え方は、やはり、後手後手でおかしいと考えてます。
基本的には「大きな政府の考え方では、財政赤字から抜け出すことはできないし、人間を堕落させる傾向がある」ということは、はっきりと言っておきたいと思います。
やはり「自由の価値」というのは、非常に高いものです。
そして「自由である」ということは、例えば、いろいろな企業を起こしても、経営能力の差によって、発展するところもあれば潰れるところもあります。それは厳しいことです。実に厳しいけれども、堕落や腐敗を戒めて避けて、知恵をつけるためには必要な過程でもあるのです。潰れることは
あるかもしれないけれども、転職の自由や新しい再雇用の自由が保障されているかぎり、ある程度、そうした「市場原理」や「成功の方法」は、道を開けておくべきだと思います。
信用をつくること。勤勉に生きること。自己責任において判断をすること。また、お互いに助け合う精神に忘れないこと。そして国の介入、あるいは地方自治体の介入は最小限にとどめるべきです。
そうした共生きの世界をつくるには、「宗教の自由」、「信教の自由」を求めてください。宗教は、それができるところなのです。「信教の自由」を広めていくことこそ、本当に繁栄していくために大事なことであると、私は、思います。
「自由さ」の残った国家としての運営を続けていくべきであり、アジア、その他の国に対する模範になるよう、努力していくべきだと考えています。