エル・カンターレに出会って


『復活の法』   大川隆法著


第3章 天国へ還る方法

ここまでは、主として、地獄へ行かずに天国に入るための方法を述べました。幸福の科学において、信者を指導する際のターゲットがどの辺にあるかと言えば、第一段階としては六次元光明界上段階の阿羅漢の境地です。私は、「ある程度、菩提心があって、悟りを求めている人が、阿羅漢の境地まで達するように導きたい」と考えています。
その次の段階としては、「実際の伝統活動を重視したい」という考えを持っています。なぜかというと、「数多くの菩薩をつくりたい」という願いがあるからです。法話を聴いたり、研修を受けたりして、仏法真理を勉強しているうちは、六次元的な修行ですが、他の人に伝道したり、教えを説いたりしはじめると、それは七次元的な活動になるのです。
「今世を縁として、できるだけ多くの菩薩をつくっていきたい」ということが私の願いであり、考え方でもあります。(やはり、菩薩の仕事は、伝道とかかれています。イエス様が亡くなったあと、弟子たちは、世界に伝道に行っているのに、菩薩といわれている人たちが、率先して伝道をしなくては、ほんらいの仕事をされていないと思います)
仏法真理の勉強は、実は、地上界だけではなく、天上界でも行われています。それは主に六次元で行われています。その上の世界に入っていくためには、仏法真理について学ぶ必要があるのです。
六次元の修行が終わると、次に菩薩の段階に入っていくわけですが、「菩薩の心境とは、いったい何であるのか」ということを述べたいと思います。
みなさんの一番目の目標が阿羅漢であるならば、二番目の目標は菩薩でなければならないはずです。
今世は、ぜひ菩薩まで行ってください。「トータルでは、どうか分からないが、死ぬ間際の座標軸で切ってみたら、心根においては菩薩とそう変わらない」という〝心情菩薩〟まで行っていただきたいのです。「今回の人生で、ここまで修行を積んでおけば、この次は絶対に菩薩なれる」というとこまで努力していただきたいと思います。
そのためには、まず人間としての原点の部分についての反省が大事です。「黄金律に適った心で生きているかどうか」(汝がなされたいがごとく他の人になせ、嫉妬心がなく、祝福の心を持つこと)ということを、いつも反省することが必要なのです。
その次に、仏法真理の学習をし、さらに、それを実践のなかに生かしていかなくてはなりません。
この実践の部分には限界がありません。この実践をどこまでやったかが大事なのです。
菩薩の修行では実践行為が大事ですが、実践に打ち込んでいく際には、「どれだけ仏の心を織り込むことができたか」という点が最も重要です。
「仏のお役に立つ仕事をしながら、そのなかに、どれだけ仏の心を織り込むか、どれだけ仏の心を盛り込むか、どれだけ仏の気持ちになって行うか」ということが大切です。自分の名誉や地位、満足感のためだけに行ってはいけません。
菩薩行をする際には、心を空しゅうして、「どれだけ仏の心になり、どれだけ仏の代わりになってできたか」ということが大事なのです。
こういう心境においては、ある意味で、個性は、あってなきがごとしです。仏の手足の一つ、歯車の一つとなって、それに徹していきます。この菩薩の修行のなかに、無私の部分、「私をなくして天を思う」という気持ちが出てくるのです。
現実に地上に肉体を持っている菩薩も数多くいますが、そういう人たちを見ていると、どこか崇高で気高い部分があります。どういうところが崇高で気高いのかというと、そういう人たちが、「自分というものをなくして、ほんとうに、仏のため、天のために殉ずる」という気持ちを持っているところです。
たとえば、坂本龍馬は、幸福の科学の講師にはなれないタイプかもしれませんが、それでも菩薩界に還っています。その心根において自分を空しゅうし、大きな道のために奉仕する人生を生きた人です。
菩薩は、「自分が、自分が」という気持ちがあまり強いようではいけません。「自分というものを考えずに透明な時間が流れていく」、そういう透明な時間のなかで生きていく気持ちが大切です。
菩薩の世界に入ってくると、ある意味で、「修行」というものの影が薄くなってきます。六次元光明界では「修行」であっても、菩薩界では「修行」ではなく「仕事」になってくるのです。「仏の心に近づき、仏の教えを実践する」ということを、修行として行うのではく、自分の仕事、天職として行うようになり、「それを行うことが楽しい。自分の仕事は、それ以外にはない」という感覚になってきます。こういう考え方がとても大切なのです。

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