エル・カンターレに出会って
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『復活の法』 大川隆法著
第4章 因果応報
失敗例として、この世の執着を断つ修行として断食をするお坊さんがいます。
何十年か前のことですが、生きながらにして執着を断ち、この世を去るための修行を行い、生きたまま埋められ、がりがりにやせ細って死んでいった僧侶のミイラがいました。
そのミイラが、展示されたことがあるのですが、その前を通りかかり、そのミイラを見た人が突如、おなかがすいて、そのあと丼物を何杯も延々と食べつづけたのです。
その人には、断食をしながら死んでミイラになった僧侶の魂、すなわち、「餓鬼地獄」「餓鬼道」に堕ちている人の霊が取り憑いたのです。
その坊さんは、「自分は僧侶であり、もう悟りきっているから大丈夫だ」と思ったのかもしれませんが、断食をして死んでいくとき、一週間か十日、あるいは、それ以上のあいだ、ひもじくて、食べ物のこと以外は考えられなくなったのでしょう。そして、死後、天上界に還れなかったのです。
いまは比較的豊かな時代であり、食料も豊富なので、先進国においては餓鬼道に堕ちる人の数が、少なくなっています。しかし、発展途上国では、まだ、飢え死にをする人が尽きないので、餓鬼道に落ちる人は、いまでも多いと思います。
ここには動物もかなり行っています。動物にとっても、最大の試練は、やはり、食べ物がなくなることです。そのとき、動物たちも、苦しみを持って死んでいくのです。
天国・地獄は人間だけにあるものではありません。動物にもきちんと地獄があります。飢餓のまま死んでいた動物たちも、餓鬼道に堕ちています。簡単な悟りではありますが、動物であっても、霊と肉体の違いぐらいの悟りを得なくては駄目なのです。
豊かな時代になると、餓鬼道に堕ちる人は減るのですが、今度は「色情地獄」が領域を拡大します。
人間にも動物にも同じ法則が働いています。子孫を遺さなければならないので、動物的な本能が全部なくなってしまっては困ります。
しかし、「あくまでも、霊体、魂のほうが主であり、肉体は従なのだ」という考えを持っているかどうかによって、見ている世界が違ってきます。
霊的な立場からいくと、人間には、やはり、ある程度、足ることを知らなくてはいけないところがあるのですが、「肉体が百パーセントだ」と思えば、動物と同じで、肉体の欲求を満たすことしか頭に思い浮かばなくなります。
そうなると、ユートピアも何もあったものではなく、動物と同じように発情することになるのです。
最も正当な夫婦の場合には、色情霊は寄ってこないと思ってよいのです。
新宿の歌舞伎町など、色街のような繁華街に地獄界ができています。地獄はこの世と重なって存在しています。したがって、「同じ傾向の人が集まるようなところに地獄界もある」と見て、間違いないのです。
こうしてほとほと嫌になるまで、血の池地獄での苦しみと、この世の人間への憑依とを、繰り返し何度も体験します。
それは、「肉体の幸福が人生の幸福とは言えないのだ」ということを本人が悟るまで続きます。
他の地獄として「阿修羅界」「修羅道」というものもよくあります。
それは闘争と破壊の世界であり、主として戦争が起きたときにできる地獄です。
この地獄は、暴力団、やくざ等、拳銃などで人を殺したりした人も行きます。
激しい組合闘争を延々とやった人たちも行きます。
この地獄の現代的な変形として病院が出てくることもあります。ベッドに縛りつけられ、解剖されたり、切り刻まれて死にます。
その近所に、「畜生道」という地獄もあります。「動物界」と「動物地獄」ともいい、現実にあります。
本人が「自分は動物だ」と思っていたとしても、実際には動物ではなく、そのように思っているだけです。
蛇は、猜疑心、疑いの心が強いのです。しつこく疑います。そして、獰猛で攻撃心が強いと言えます。
蛇には世界共通の普遍性があります。キリスト教の創世記の話は、何を意味しているのでしょう。
蛇の教えた「知恵の木の実」とは、要するに、性知識、すなわち、男女の性的交わり、性交の知識です。
それを知るまで、アダムとイブは幼子のように天真爛漫に生きていました。キリスト教では、「幼子のような心であれば天国に入れる」と説かれていますが、悪魔の使いである蛇のそそのかしによって、彼らは知恵の木の実を食べてしまい、「こんな快楽あるぞ」ということを教えられました。そうすると、それにのめり込んでいって、楽園追放になったのです。蛇は、その姿そのものが忌み嫌われていて、地獄の使者のように思われているのです。
一方、狐のほうの特徴は、「人を騙す」「嘘をつく」ということです。動物なので、やはり、食べ物系の欲は強いのです。「おいしいものが食べたい」という強い欲、食べ物系で、なかなか満足しない貪欲の気持ちもあります。
また、情欲が強い点は、蛇と同じです。銀座などの盛り場に行くと、もちろん、蛇の霊もいるのですが、狐の霊がホステスに憑いていることも多いのです。
あの世は、心のままに姿が現れる世界なので、自分の姿が、その心そのものの動物の姿に変わってきます。そして、その霊が、この世の生きた人間に取り憑きます。そういうかたちなのです。
したがって、自分の心を、いかに自分が主導権を握って自分のコントロール下に置くか。そして、その心を、いかに創造し、よい方向につくり上げていくか」ということが大事なんです。