
東大を目指す息子が、3年間で得られたもの
東大二次試験まであと数日。
私が働く塾の近くにある神社に、息子とお詣りに行った。
二次試験前の最後のお詣りだ。
「塾の次に、3年間たくさん通ったよ」
息子がそう話し、最後に長いお願い事をしていた。3年間の思いと決意を神様に語っていたのかもしれない。
私大に合格をすると、その瞬間から気が抜けてしまう生徒が多い。
その生徒のことを知らなくても、遠くから見ている私でさえ、高校生の気の緩みに気づく。
大学生になれるという安堵感から、心が緩むのも無理はない。
息子は、まだどの大学も合格にはなっていないから、背水の陣で東大に挑む。
なんて強いメンタルだろう。
そのプレッシャーに耐えるだけの努力を、3年間続けてきた。
東大という学歴を求めているのではない。
ただ深く学びたいから、行きたいのだ。
実際、入試が終わったら、「大学への物理」を受講をしたいと話している。私立大の入学金を支払わなかったのだから、さらなる学びにお金をかけていいと私は息子に伝えた。物理を学んだ先に、息子が何を研究したいかは分からないが、息子にはもうその研究が見えているのだろう。
背水の陣で向かう息子を見守る母親は、どんなに焦り不安になることかと、他人の入試だったら私も思うことだろう。でも、今の私は、信じられないほど心が穏やかでいる。
人は、歩むべき道を歩むはずだからだ。
ただ神様の導きに従えばいい。
そう心の底から思えるからか、少し前とは違った心で息子を見つめている。
数日前、息子がいつものように私を待ちながら、小中部の受付カウンターで勉強をしていた。私が教室から職員室に戻り息子を見ると、たった一人でカウンターに座り、いい集中をしている。
イライラしているわけでもなく、焦っているわけでもなく、すっきりとした顔つきだが目に力がある。
学びに集中する息子の姿を見て、清々しい受験生と見てとった。我が子ながら、なんて真っ直ぐに勉強しているのだろう? そう感じ、心の底から応援したくなった。
同じことを同僚の先生も感じたのかもしれない。
「はい、これ。苦くて食べられないんだ」
照れ笑いしながら、息子にチョコレートを差し入れしてくれたようだ。
先生が帰ってから、何を受け取ったのかを見ると、そこにはキットカットのビター味が置かれていた。
言葉で言ったら、プレッシャーになる。
誰が見ても、日々一生懸命努力している。
だからせめて、縁起のよいものを、そっと手渡したかったのだろう。
その言葉に出さない言葉に、私は一瞬心が緩んで涙が出てきた。
息子は、電車の中で頑張る姿を見せ、見ず知らずの人からも応援をもらったこともあった。
「頑張って下さいね。大丈夫だから」
その優しさに満ちた言葉が、息子の心にどんなに温かく響いたことだろう。
努力は、人を魅了する。
人の心を動かすのだ。
受験勉強の過程で、どれほどのものを息子は学んだことだろう。
3年間で得たものが、表情に表れている。
苦しさに向き合っても決して逃げず、自分の道を歩んだ分だけ、息子は自信に満ちた表情になった。
着古したスウェットパーカーを着ているだけなのに、凛としている。
きっと息子は、「努力は人を魅了する」ということを、身をもって学んだのだろう。
この6年間で、何度も不合格を味わうたびに、息子はその苦しさを学びに変えていった。
最後くらい合格してほしいけれど、私は息子の3年間は決して無駄ではなかったと、心の底から思っている。
答案は、大学の先生へのラブレター。
息子がどんなに学びたいか、東大の先生に伝わりますように。
単なる点数のための勉強ではなく、息子が心から学びたがっていることを、東大の先生は見抜いてくれると信じている。
3年間、友達と楽しむこともなく、孤独に一人で学び続けた。
ちょっと変わっているかもしれないが、そんな息子を私は誇りに思う。
息子を見ている3年間は、私も苦しかったけれど、息子に出逢えて本当によかった。
3年間、苦しみながらも、よく頑張ったね。
あなたの努力は、どんな美しい景色よりも、ずっとずっと美しい。
私は、息子に今そう伝えたい。