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雨の日が嫌いな私が、雨を好きになった理由
私は4年半前、25年の結婚生活にピリオドを打った。当時息子は、中学2年生になろうとしていた。思春期の激しい反抗期が過ぎ去り、息子が高校生になると、私は息子の世界から締め出されていく自身に気づき始めた。
ぽっかりと空いた心の穴を塞ぐかのように、私は出逢いを求めようと考えるようになった。マッチングアプリを通してご縁があった人の話を聞き、私自身も恐る恐る試す。そして約2年前、私はアプリの中で、ある男性と出逢った。
彼から、「いいね」をもらい、彼の存在に気づく。プロフィールを見ると、彼は新聞記者のようだ。書くことを学ぶ私は、新聞記者である彼に興味を抱いた。実際に書くことを仕事にしている人と話をしてみたい。はじめは、彼以上に彼の住む世界に惹かれたのかもしれない。
アプリの中は、信じられるようで信じられないこともある。相手がどの程度の付き合いを求めているか、実際に書かれているプロフィールが事実かさえも分からない。感覚を研ぎ澄まし、行間から漂う空気から相手がどのような人なのかを想像する。リアルな世界とは違い、文字を通して理解していく過程は、私にはむしろプラスに思えた。メッセージを通して、人の心をゆっくり見つめることができるからだ。丁寧に綴られる彼のメッセージを見て、今まで出逢った人とは違う何かを感じとった。
「お逢いして、お話しませんか?」
私のほうから彼を誘った記憶がある。アプリでメッセージのやり取りを始めてわずか5日後に、私たちは約束を交わした。思い返すと、ずいぶん急いで話を進めたようにさえ思える。毎日お互いに長いメッセージを繰り返し送り合っていたから、出逢ってから何ヶ月も経っているかのように思えたのだろう。
彼が選んでくれた場所は、ホテルにあるカフェだった。緑がたくさん生い茂る、自然の中にいるようなカフェだ。天井が吹き抜けになっていて、光が差し込んでくる。開放的で緊張感が和らぐ空間だ。
メッセージを送り合う会話と実際の会話は、どう違うのだろう? 期待と不安が入り混じり、そわそわしながらカフェへと急いだ。彼は、私より先に来ていて、話しやすそうな席を確保してくれていたようだ。
十分アプリで会話を重ねていたつもりだが、実際に逢って話をすると、お互いにぎこちなさがあった。会話が途切れてしまうのを恐れ、言葉を次々に選んでは話を続けた。
私は彼の第一印象に、少し違和感を覚えた。
好きな小説が映画化され、映画を観に行ったが何となくイメージと違う……という感覚に似ている。彼の文面から思い描いた「彼」とは違う存在のように見える。彼自身とメッセージの文面がうまくマッチしない。
違和感はあったが、私はアプリの中でその後も彼と会話を続けることにした。
その日から、私はリアルな彼とアプリの中にいる彼を結びつけ、同一人物化するような日々を送るようになった。今思えば、カフェで、彼は私を警戒していたのだろう。
かつて、アプリの中で彼に対してすごく積極的だった女性が、実際に逢った直後に急に冷め切った態度に変わったことがあったそうだ。彼は、私もそうかもしれないと思い、よそよそしくしていたのだろうか。その姿を見て、アプリの中のリラックスした彼とは違うように思えたのかもしれない。
きっと、彼も私も慎重だったのだろう。逢ったその日には連絡先は交換せず、そのままアプリの中で会話を続けることにした。アプリの中で彼と話を続ける日々を再び送りながらも、いま一歩、心が近付くきっかけが見つからなかった。
彼とカフェで話した10日後、趣味で習っているフラのイベントに、私が出ることになった。
「今度、となり町のイベントでフラを踊ることになりました。神社の敷地内で踊るそうで、寒いかもしれません。でも、せっかくだから参加することにしました」彼にメッセージを送った。
イベントは11月下旬。寒さが厳しくなっていた。
前日には、彼からメッセージがやってきた。
「明日は、同じ催しかわかりませんが、僕も同じ町で取材予定があるんです。たまたま担当者が行けなくなり、僕が行くことになって……」
「ひょっとして私が出るイベントですか?」
確認すると、偶然同じ催しだった。
次の日は、天気予報通り雨。室内へと場所が変更となった。
思いがけず、仕事をしている新聞記者としての彼に逢えることになった。現地に向かう途中に、歩いている彼の後ろ姿が見える。ひと足先に取材に向かっているようだ。
会場である、小さな市民センターから少し離れた場所に車を停めると、雨がぱらぱらと降ってきた。傘をさすほどでもない。私は、市民センターへと急いだ。彼はおそらく、取材中だろう。私は彼を探さずに、控え室へと急いだ。フラの衣装に着替え、踊りを確認することに集中する。
フラの出番がやってきて、舞台に案内された。舞台といっても、そこは単なる広い部屋だ。たくさんの人が集まっていて、その人だかりの前でかろうじて5〜6名が踊れるようなスペースが用意されただけだった。観客との距離が近すぎて、踊りにくい。
観客とは少し離れた場所で、私たちにカメラを向けていた彼に気付いた。記者として仕事をする彼は、カフェで話した彼とは違う。踊りが終わると、彼と目を合わせて微笑みを交わした。フラの時間はあっという間に過ぎていった。
イベントが終わると、私は着替えをすませ、慌てて控え室をあとにした。イベント後にすぐに仕事に向かうつもりだったからだ。彼も取材で忙しいだろう。邪魔をしないよう、話しかけずに帰るつもりでいた。
衣装が入った大きなカバンを肩にかけ、もらったお弁当を手に持ち、靴を履く。ふと外に目をやると、来た時よりも雨あしは強くなっていた。市民センターの敷地のあちこちには、すでに水たまりがいくつもできていた。傘がない私は、車に向かって思いっきり走るしかない。イベントの担当者にお礼を言い、水たまりを気にしながら外に出たが、滑らないようにと足元ばかりが気になってしまう。
ふと目線を上げると、雨の中で立っている男性が目に入った。大きな黒い傘からは、雨水がぽたぽたと滴り落ちている。取材を終えた彼だった。傘から次々にこぼれ落ちる雨のしずくを見て、彼が今来たばかりではないことが伝わってきた。
その場にたたずんでいた彼は、初めて逢った時の彼の印象とは全く違っていた。その姿は記者をしている彼とも違う。アプリの中でメッセージを交わしている彼だった。
彼が私に向ける眼差しが、外の寒さを忘れさせる。彼の温かさに吸い込まれるかのように、私は傘の中へと急いだ。
「ありがとうございます。だいぶ待ったんじゃないですか?」
「大丈夫ですよ。僕に気をつかって話せないのは寂しいと思って、少しお話ししたくて待ってたんです。荷物も多かったみたいだし、ちょうどよかった。車まで送りますね」
照れ笑いをする彼の傘に入った瞬間、違和感のある彼ではなくなっていた。アプリの中の彼とリアルな世界の彼が、やっと結びついた瞬間だった。
雨が私たちの背中をそっと押してくれたのだろう。
冷たく降りしきる雨の中を、今までとは違った気持ちで歩き始めた。彼の肩が雨で濡れていることに気づき、彼のほうへ傘を傾ける。思わず手がふれあい、私は慌てて傘から手を離した。
フラを踊るイベントに彼が取材にくるという、ドラマのような偶然が私の心を高揚させたのかもしれない。仕事をする記者としての彼の姿を見て、いつも以上に惹かれたこともある。
人生は、ドラマ以上にできすぎていることがある。
それは、私に限ったことではない。
きっと、雨が私たちを近づけてくれたのだろう。
私は25年の結婚生活の中で、数えきれないくらいの我慢をしてきた。
でも、それは我慢ではなく、彼に出逢うために必要な学びだったのだろう。全てが今につながっていて、人生に無駄なことは一つもない。これから彼と二人でやり直してみたいことも、数えきれないくらいある。
仕事を終え外に出ると、いつの間にか雨はあがっていた。自宅へと車を走らせながら、傘をさした彼の眼差しを、私は思い出していた。