命が尽きても教えてくれた、生きる上でいちばん大切なこと
夜の10時過ぎに、家の電話のベルが鳴った。こんな時間に何だろう? 夜遅くの電話にあまりいい知らせはない。
「もしもし……」
出てみると、電話の向こうから男性の声が聞こえた。
元夫の昔の同僚からだ。元夫は、塾講師をしている。昔一緒に働いた先生からの電話だった。
「あっ、奥さんですか? ご無沙汰しています……」
慌てている様子だ。
「もう10年以上お会いしていないかもしれませんね。ご主人の携帯電話にお電話したのですが、出てもらえなかったので、電話番号が変わったのかもしれないと思って、こちらにお電話しました。ご主人はいらっしゃいますか?」
離婚したことを知らずに昔と変わらない話しぶりだ。離婚したとも言えなくなり、適当に話を合わせた。
「実は、ある先生が亡くなりまして、それを伝えたかったのです……」
その言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだ人がいた。
「あの……亡くなった先生ってどなたですか?」
名前を聞いて、心がザワザワした。それは、元夫と私がとてもお世話になったA先生だからだ。急いで元夫の携帯電話にメッセージを入れた。
A先生と初めて会ったのは、もう30年以上前になる。
先生は、私が高校3年生の時に行っていた塾の先生だった。直接授業を受けたわけではなかったが、職員室によく顔を出していた私は、時々先生と話をしたのを覚えている。当時、A先生と元夫は一緒に働いていた。
その後、私は20歳の時に学生結婚をした。当時は、バブルが崩壊したと言われていた頃だったが、私が住む田舎町には、まだその波がやってきてはいなかった。元夫のおかけで、私はわりと華やかな大学生活を送っていた。大学生で生活力なんてないくせに、経済的にゆとりがある。お金にも執着がなく、若くて未熟な私に、きっと元夫は家計を任せるのをためらったのだろう。あるいは、自分自身が稼いだ給料を全て握られたくなかったのかもしれない。結婚して数年間は元夫が家計をずっと管理していた。でも、私は自由にさせてもらっていたので、家計を仕切られているという気もしなかった。むしろ何でも叶えてもらっている気持ちにさえなっていた気がする。
それでも結婚して数年が経つと、 本当に我が家にお金があるのかが気になるようになった。
「お金は大丈夫? 貯金はできているの?」
私は何度か問いかけたことがある。元夫がお金を蓄えることが苦手だと気づいた時には、我が家の貯金は底をついてしまっていた。底をつくどころか、払えないものまで出てきてしまっている。今思えば、どれだけ二人でいい加減に暮らしていたのかと、自分自身にも怒りを覚える。未払いの件での電話や書類を見ることが増え、現実の恐ろしさに気づいた。
その頃は、私も働いていたので収入はあったが、パート収入でとても補える金額ではない。高級車が一台は買えそうな額にどうしていいかわからない。
「どうしよう……これでは、払えないものばかりが増え続け、どんどん悪循環になってしまう……」
次々にやってくる支払い書のために、質素な生活を送るようになったが、支払いが間に合わなかった。それと同時に、元夫の収入も減り、悪循環な状態がさらに起きた。どんどん利息が増え続けるならば、誰か知り合いにお金を借りて、全て返済してしまいたい。
子供の頃から、耳にたこができるほど母から言われていたことがある。
「お金を人から簡単に借りてはいけないよ。トラブルが起きたら、人との大切な関係までを失ってしまうかもしれないからね……」
父がお金にルーズだったからこそ、母の言葉が身にしみて理解できた。もしこの状態を母に言ったら、離婚しなさいと言われるかもしれない。だから、母には相談することができなかった。
「A先生にお願いするしかないだろうか……」
困り果てた状況に、元夫が切り出した。本当は人から借金をしたくはなかったが、そんなことを言っている場合でもなかった。
A先生の家へ出向き、元夫は全てを正直に話した。
「あぁ、君には、借りてほしくなかったなぁ……」
お金持ちの先生には、借りたい人が群がっていたのだろう。そして、きちんと返せた人ばかりではなかったのかもしれない。
「返済計画を立てて、持ってきなさい。それをきちんと出したら貸してあげるから」
きっと先生は、元夫とお金のつながりではなく、心でつながりたかったのだろう。作成した返済計画書を見て、私は毎月振り込みをした。返済が終わるとその月の金額にラインマーカーでチェックをする。毎月1本ずつ線を引き、70本近く引き続けた。
返済が終わっても、職場を変えても、元夫は先生とずっとつながっていた。先生の自宅で定期的に行われる飲み会には顔を出し、先生はいつも皆に囲まれ賑やかな空気の中で嬉しそうにしていたようだ。
時が過ぎ、飲み会仲間は、それぞれ仕事を変え、定期的な飲み会は次第になくなっていった。先生が体調が思わしくなくなってきたからだ。とうとう教壇にも立てなくなり、先生は仕事を辞めたと風の噂で聞いていた。電話をしても、先生のご家族が出るだけで、具合が悪いということしか教えてもらえない。どうやら先生は、いつしか介護施設で過ごしていたようだ。会いに行ける距離にずっといたのに、誰も先生の居場所を知らなかった。
「誰にも言うな」
先生は、ご家族に口止めをしていたらしい。
いつも父親のように頼ってもらえる自分自身を、ずっと皆の心に残したかったのだろうか。
電話口で先生の訃報を聞いた後、言葉が少なくなった私に、息子が問いかけてきた。
「どんな先生だったの? 名前をよく聞いていたよね。でも、僕は会ったことがないからさ」
「ママが高校生の時、東京の大学を何校も受けたけど、全て不合格でね……苦しくて塾の職員室で話をしたことがあったの……」
当時の苦しさがよみがえってくる。私は滑り止めの大学まで全て不合格だった。
「当時、ママの先生でもあったパパに話をしたけれど、厳しい言葉しか言われなくてね……辛くて泣いているママを見て、A先生だけが声をかけてくれたんだ。『泣きたい時は、泣いたほうがいい。僕も行きたい大学に落ちた時、苦しかったから分かるよ……あの時、本当に辛かったなぁ……』ってね」
まだ大学に受かるチャンスが少しでもあるなら、諦めずに勉強をするように言う元夫とは違い、A先生は私に頑張るようには言わなかった。A先生と私は、受けた大学は全く違う。先生のほうが優秀なのは間違いないが、それでも不合格だった辛さには変わりはない。私の心に寄り添い、シンプルな言葉で温かさを与えてくれた。
大学を落ち続けた私は、ただ辛い気持ちを誰かに分かってもらいたかっただけだった。A先生だけがその心を分かってくれて、救われたような気持ちになったのを思い出す。
息子に語っていたら、当時の先生の様子が走馬灯のようによみがえってきて、言葉に詰まり涙が出てきた。先生にお別れを言いに行こう。言わねばならない。元夫を知る人たちに会うことは少し気が重かったけれど、A先生に感謝を告げることを決めた。
息子と二人で通夜に向かった。
通夜の会場に入ると、先生の遺影が真っ先に目に入ってくる。遺影の中の姿は、私が高校生の時によく会っていた先生の姿そのものだった。大学の合格を勝ち取ります! と言わんばかりの力強い握り拳を見せ、こちらに向かって微笑んでいる。懐かしい先生の姿を見つめながら、眠っている先生に30年ぶりにお会いすると、胸が締め付けられて涙が溢れてきた。
通夜が進んでいくと、僧侶の説法が始まった。何度となく通夜を経験しているが、こんなに丁寧に話をしてもらえたのは初めてだ。
「……お釈迦様ご自身がこの世からいなくなっても、お釈迦様が人々に教え、与えたことは、人の心や修行の中に残っていきます……」
まるで物語のような僧侶の説法を聞きながら、ふと辺りを見渡すと、参列していた先生たちが思っていたより少ないことに気づく。先生が仕事を辞めてから、ずいぶんと時間が経っていることもあったのかもしれない。そうだとしても、いつもたくさんの先生たちの中心にいたA先生のために、もっと集まってもいいのではないか……寂しさを感じながら、僧侶の話を聞いていた。
「通夜があるのは、故人への感謝の思いを十分に伝えるためでもあります。今、皆さんはご焼香をして故人に祈りを捧げながら、感謝を述べたことでしょう。それでも、明日までの火葬の前までに、もう一度故人のお顔を見つめて、しっかりと感謝の気持ちを伝えて下さい。今は、なんでも素早く物事を行えるようになって、悲しむ時間さえなくなってしまいそうな世の中です。通夜と告別式は、いつ悲しんでいいかわからなくならないためにあるんです。亡くなった方は、そのことを命をかけて皆さんに伝えてくれています」
帰りの電車の中で、通夜の話になった。
「ちょっといつものお通夜とは違ったよね。あんなに説法が聞けるお通夜は珍しいかもしれない。すごくいいお話だったね」
私が息子に言うと、息子も同じように感じたようだ。
「僕は、先生との思い出はなかったけれど、いい話が聞けて一緒に来てよかったよ。先生がこの話を聞かせてくれたような気がするなぁ。先生は、最期まで先生だったんだね……」
息子の言葉を私は黙って聞いていた。
「お世話になった先生たちは、なぜ少なかったのだろう? 告別式に出るつもりなのかもしれないけど……人は何でつながっているかが大切なのかもしれないね。私たちは、先生と心でつながっていたんだよ。心でつながっていたから、どんなに会わない時間があっても、会いに行きたいと思ったよね。でも、もし先生が持つお金が目当てでつながっていたら、その人は時間が経ったら忘れてしまうのかもしれない。何がいい、悪いではないけれど、人と何でつながっていたいかを先生に考えさせてもらえたような気がするね」
二人で電車に揺れながら、与えてもらった時間を思い出していた。
先生は、命が尽きても私たちの先生でいてくれた。
まさか通夜の席で、先生から大切な授業を受けるとは思わなかったけれど、最後の授業がいちばん心にしみて温かかった。人とどうつながって生きていきたいのか? という生きる上で大切な問いを語りかけてくれた気がしたからだ。息子に会いたいと言ってくれていた先生に、生前会わせることはできなかったけれど、息子も先生から与えられた時間を深く心に刻んだようだ。何でも素早く進んでしまう世の中で、大切なものが何かを考えさせてくれた。
帰りの電車の中は、仕事帰りの人たちで混み合っていた。ほろ酔いの人たちの楽しい会話とは違うけれど、心の奥に響いてくる話が聞けた私たちは、通夜の帰りのわりには心が軽かった。きっと、先生から授業を受けたような気持ちになったからかもしれない。
そして、通夜で別れを告げに行ったはずなのに、先生が今でも私たちの心に寄り添い、語りかけてくれたようにも思えたからだろう。