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意見の押し付けの話。

 ある駅前に文房具店があるとします。
その文房具店を離れた所から見てる者が居る。
チェーン店のコンビニ店員だ。
ある時、コンビニ店員が武器を手に大勢で文房具店に押し入り、店を破壊し始めた。
文房具店の店員も武器を取り出し、対抗する。
ケガ人や亡くなる人も出てくる。
争ってるコンビニ店員や文房具店の店員に、密かに武器を売る者も居る。
通りすがりの人達は、ただ通るだけで止めに入らない。中には見向きもしないで去ってしまう人も居る。
コンビニ店員は増員して、さらに店を破壊し、店員を傷付けた。
文房具店の店主は店を捨てて逃げ出した。
その店はコンビニになり、町の地図に載ってる文房具店は、コンビニに書き換えられた。
通りすがりの人は、異論もなく、そのコンビニを利用する。

これが戦争というものだ。

世の中にある戦争や紛争は、身近な物に例えると、こんな感じである。

力のある者が、力尽くで無理やり奪い取って、それが自分の物だと言い、周りもそれを了解する。
こんな事があって良いのだろうか?

コンビニ店員も本当は行きたくないが、上の者の指示で行かざる終えない。

上の者は、何だかんだと理由を付けて、この様な事を指示する。
冷暖房完備の安全な所から。

どんな理由があっても、力で解決するのは良くないと思う。
その人が正しいかどうかは関係なく、自分の意見を押し付けてはいけない。

自分の意見を押し付けても良いのであれば、強盗も殺人も窃盗も罪で無い事になる。

ただ、全てに置いて、意見を押し付けてはいけない訳では無い。

例えば会社を良くしたいのに、部下が言う通りにしないとか、子供が言う事を聞かない等。

この様な場合は、上司は「もっとこうしろ!」と意見を押し付ける事がある。

親が子供に「コレはダメ!こうしなさい!」と言うのも同じ。

意見の押し付けの良い時と駄目な時がある。

この差は何かと考えた。

それは真の意思が真っ直ぐかどうかである。

会社を良くしたいとか、子供への教育等、そこには正しい意思がある。

ただ戦争に関しては、「あの資源が欲しい」とか「あの陣地を自分の物にしたら、さらに他の国に攻めやすくなる」等、裏には別の目的があるにも関わらず、向こうから攻撃して来たとか、挑発行為が酷いとかを言い訳にして戦争が始まる。

犯罪も同じである。

強盗も「遊ぶお金が欲しかった」とか、殺人なら「俺をこんなにも怒らせたアイツが悪い」等、何だかんだ言って、結局は自分の欲望や考え方のままに、相手の意思や気持ちを考えずに、自分の事だけを考えて実行する。真の意思が歪んでいるのです。
単純な欲望の押し付けや、死刑を執行する権利も何も無いのに実行します。

自分の意見を押し付ける前に、その意思は正しいかどうかを考え、自分自身に言い訳してないかを考え、自分の気持ちだけでなく、相手の気持ちも考えないといけません。

マジックを演じる時も、お客さんの気持ちを考えずに、「こんな事出来るんだぜ!オレってスゴイだろ!」って感じで演じてませんか?
「こんな難しい技法を、客の前で使ってるんだぜ!」なんて、自分の満足感を満たす為に演じてませんか?

あなたはマジックを見せる前に、その意思は正しいかどうかを考えて、自分自身に言い訳してないかを考え、自分の気持ちだけでなく、お客さんの気持ちも考えないといけません。


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紀良京佑
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