捨てゲーをはっきりと肯定する。
こんにちは。
埼玉でオフの主催をしています。釜塚ABふらいです。
今日は時々Twitterで話題になる捨てゲーについて考察したいと思います。
そもそも捨てゲーって言うな。
そもそも、捨てゲーってなんだろうか。善悪の議論の前に一度整理して考えてみたい。
おそらくゲームを放棄すること。諦めることで異論はないと思う。
恐らく感情論とゲーム理論でごちゃごちゃになっている方が多い印象で、一度整理をしたい。
筆者である私釜塚ABふらいは投了を容認してる、むしろしたほうがいいケースもあるとすら考えている。
また、捨てゲーというのは響きが悪いため、” 投了 ”という単語を使うことを推奨している。
そして何より、一番の主張は”投了を容認してほしい” ”過度に投了を悪だと攻めるのはやめてあげてほしい”というものだ。
また、投了は気持ちが良くないという意見の方を否定する気はない。
後述するが感情論としては理解できるからだ。
とはいえ一方的な意見ではなく、感情論とゲーム理論的なメリット・デメリット双方向からこの話を整理して皆さんと考えてみたい。
投了(捨てゲー)はいつ発生するのか。
これは真っ先に2種類思いついた。
①レートや戦闘力の下方修正
②ワンサイドゲームを起こされたとき。
①は配信者のスナイプを狙う勢が微調整してるという話を聞いたことが有る。
これについては明確に反対をしたい。
レート戦、戦闘力をかけた試合で操作が行われると、結局一時的に人為的に数字を下げることによって、配信後、揺り戻しにレートを上げる作業で誰かが犠牲になる。
数字以上の実力差のあるマッチアップが発生することになる。
当たり前だが、あcolaとしかマッチングしなくなったら戦闘力は下がる一方になる。
当然、容認すれば究極的にはVIPはあなたにとってのあcolaであふれかえることになるので、許容すべきではないと考えてる。
余談だけども、私はサブ垢のVIP入れた報告や友達のSwitchのキャラをVIP入れた、なども反対である。
これらはスマーフやブースティングといわれて、FPSや格ゲー界隈ではご法度中のご法度とされてる。
時々ツイートしてる人がいるが、信じられない。
言ってしまえば、これは“初心者狩り”行為そのもので、肯定すればゲームの敷居が高くなる一方だからだ。
「は?じゃあ友達んちでスマブラしたいならどうすんだよ???お前バカ??」
という愚か者は目の間の友達とスマブラしてください。
目の間の友達とスマブラしないなら楽しくお話したり別のゲームしたりしてください。
友達といるなら、目の間の友達を大切にしてください。
なんで友達ほっぽいてオンラインやってんだよ。
スマブラ好きならVIPいれてくれって言われても断れよ。
VIPに入れるように教えてやれよ。
閑話休題。
それでは本記事の中心である②について考えたいと思う。
一方的なワンサイドゲームが発生した時に投了は発生する。
ではなぜ投了が発生するのかというとメリットがあるからである。
利がないことは起こらない。
投了のススメ。投了が有効に働くケース①
真剣勝負であればあるほど投了は肯定される。
エンジョイ、楽しいレクであればあるほど投了は否定される。
将棋やチェス、オセロや囲碁といったボードゲームには投了が明確に存在する。
負けを認める。
ボクシングではセコンドがタオルを投げる。
野球ではピッチャーの肩を温存するために野手が登板することもあるし、
敗戦処理といって2軍選手が経験のために登板することもある。
そしてそれは勝ちの次に立派な行為である。
なぜならそれらすべて、次に勝つために必要な行為だからである。
そしてこの喩えをすると決まって「詰みがある将棋と違って、スマブラは撃墜されないとゲームが決まらないから、最後までわからない!!諦めるべきではない!!」と主張される方がいるが間違ってる。
そもそも将棋でも詰みが全く一切無かろうと投了するケースは一定数ある。
穴熊囲いといて王様を鉄壁に囲ってしまう方法で、コレが完成してしまって、一定コマを取られてしまうともう絶対に負けることはない。
でも詰みは明確にない。
時間をひたすら使いながら真綿で首を絞めるように相手をいたぶりながらゲームを進めることになる。多分、達人2人がこの状況になって理想の手を指し続ける、そして投了を禁止すれば数日に渡って時間を使いながら相手が勝利することをハナクソほじりながら待つことになる。
しかも勝ってる方も負けてるほうもハナクソほじってる。
なんなら負けてるほうは鼻血が止まらないで泣きながらハナクソほじってるし、勝ってるほうはハナクソほじりすぎてハナクソマウンテンができてる。
そして投了は相手を達人と認めて負けを認めて相手を称える行為そのもので、
将棋の世界では投了できないものは初学者とされる。
投了の判断が的確にできるものほど巧者とされる。
ボクシングの世界だって、同じでラッキーパンチはあり得る。
しかしながらK.Oされるまで最後まで戦うべきだという主張をするものはかなり少ない。
ダメージが重なって判断力がなくなった状態でパンチをもろにくらうようなことがあれば、選手生命が危ない。というか、普通に選手生命とかじゃなくて命が危ない。
スマブラだって同じで、相手のレベルが高ければ高い程、間違いは起こらない。
ワンサイドゲームになった時点で試合は勝敗がついているのでそれ以上試合を行う必要は全く無いのである。
よって、投了することで疲労を少なくして、長期の勝率を高めるための投了は肯定されるべきですらあるといえると私は考えている。
・投了が哲学に委ねられるケース。
それでは長期の目線では投了は肯定されたが、中期あるいは短期の勝利のために投了するのはどうだろうか。
例えばスマメイトのBo3マッチ第一戦目で早々に2ストックを取られてしまって、さらに%も大いにリードされてしまったようなケース。
あるいは草野球でボテボテのサードゴロを打ったが全力で走るのか、というケース。
こちらについては一考の余地が有るように思う。
野球の例で例えるなら、ボテボテのサードゴロを相手が暴投する可能性があるので全力疾走すべきという意見は当然肯定されるし、
こんなゴロを打った時点でアウトなので、流して体力を温存、体力を残せばシングルヒットを2ベースヒットにできる体力が残せるかもしれないのでそういったケースで全力疾走すべきある、というのもまた肯定されるべきだと思う。
コレについては自分のなかの勝負の哲学があっていいように思う。
また、チームとしてこの哲学がルールのようなものに置き換わってるケースもある。(ボテボテのサードゴロだろうと全力疾走しなさい!と決まってるケースがある。)
最後まで諦めずに戦うことは当然肯定される。
自分がワンサイドゲームになりかけたのと同様、今この瞬間からこちらが優勢のワンサイドゲームも発生する可能性もある。もしかしたらひっくり返ることがあるかもしれない。
しかしながら、この試合はワンサイドゲームになった時点で負けだ、と投了することも肯定されてもいいはずだ。
スマブラでもクセや動きを読まれないようにするのに、あえて投了して次の試合へ行く選択は悪くない。
次の試合に集中するために投了するだって絶対に悪ではない。
あくまでも勝つためでコレだって肯定されていいはず。
しかしながら、相手のクセを逆に読むために戦ったり、キャラクターの特性を学ぶのに最後まで戦うべきだという反対の意見もあり、コレも正論であり、投了を選択することが必ずしも有効というべきかはかなり判断が難しい。
が、だからこそ投了は悪だと完全に否定はしないでほしい。
いずれも負けによってレートや戦闘力を失う責任を負っているから肯定されていると思う。
真剣勝負で自己責任であるならどんな選択をしようと否定はされるべきではないと思う。
余談:とんでもねー化け物もいるからこのケースはやっぱり難しい。
本ブログは常々思っていたことをまとめたものだが、書こうと思ったきっかけは日本ナンバー1ディディーのりゅーおーさんとのやり取りだ。
世界クラスの使い手になると、ほぼワンサイドゲームになっていようと次の読み合いで勝つためのブラフを撒く時間にもなり得るらしい。 そんな選択肢が成立するのはおかしいだろ
あまりにも戦っているレベルが高いため参考にはならないが共有まで。
絶対に投了すべきではないケースはある。
VIPの投了が肯定されうる可能性があるのは、戦闘力が通算の値であるからに他ならない。
ここは負けたが次の誰かには絶対勝つ、が肯定されるからだと私は考えている。
あくまでも勝ちの哲学は肯定されることあっても、他者に否定されてはいけないと思う。
しかし、この瞬間に誰が一番強いかを決めるトーナメントで投了は絶対にすべきではない。
この瞬間に負けたくないから戦っていると言い換えてもいい。
勝つために、結果を出すために一時的な負けを容認してるわけで、
完全に結果が確定しうるシーン、トーナメントで勝敗が決まるシーンなどで、この瞬間に勝つために集まるトーナメントの場で最初から負けを認めるくらいならそもそも真剣勝負のステージに立つべきではない。
今日のトーナメントは今日しかないし、今日のメンバーは今日しか集まらない。
もちろんスマメイトでも同様に考えて、2試合とも投了してレートを献上するのはいかがなものかと思う。ただ、これについては私の哲学的の話で、この試合を諦めて、切り替えて次に望むという姿勢自体は否定できないと思っている。
しかしながら、当事者は相手を批判すべきではない。
間違いなくいえるのは捨てゲーをされた側は、相手を強烈には批判すべきでは無いということである。
(話は戻るが)なぜなら基本的に投了はワンサイドゲーム時に発生するもので、負けを認めて戦闘力やレートを献上して頭を垂れた相手に対して「最後まで戦えよ!!」というのは、
先程の将棋の例で例えるなら、お前は血で海ができるまでハナクソをほじれと言っているのと変わらない、血も涙も無い冷血漢の意見も同然だからである。
ワンサイドゲームで投了の時点であなたは勝負に勝ったのだ。
相手を精神的に疲労させたり、これ以上萎えさせたり圧倒的な差を提示して凹ませたりする必要はない。
もちろん投了された時点で勝利を誇っていいのだ。
もっとも、あなたが緑の血が流れる悪魔の射撃Mii使いで一方的に弾丸を打ち込み続けたいそれだけに快感を覚えていると言うならもうこの記事は読まなくていい。
可能な限り投了しないほうがいいケース。
ここまでは真剣勝負が前提で勝ちのため投了は是認されるのではという話が続いたが、可能な限り投了しないほうがいいケースは他にも有る。
例えばフレンド戦や練習試合などがそうだ。
フレンド戦は当然、双方楽しく対戦ができるべきであって、”勝ちのための投了”が肯定されない。
勝ちたいから次にいこうや……!!!(ハンギレ)
クセ読まれたくないんや……!!!(ブチギレ)ってどんな戦闘狂だよ、友達じゃなくて獲物としてみてんだろ こえーよ。
ただし、楽しく対戦するための投了は許容されてもいいはずである。
ごめん、ダメだわもう一回やらせてくれ!!!wwwみたいなのは普通に許して上げてほしいと思う。
また、練習試合については投了をすべきでは無いと思う。
勝ちのための投了が許されないのはもちろん、
ワンサイドゲームを勝ち切ることについても練習が必要であるからだ。
ものすごくレアな投了をしないほうがいいケース
誰かの応援を背負っている場合も、投了をしないほうが優位に働くケースがある。
Fly High#11でミーヤー vs tameigo 戦がまさに好例である。
Bo5の一戦目、ミーヤー選手が2ストックを残してtameigo選手を圧倒する。
tameigoくんだってトッププレイヤーだが、流石、日本ナンバー1で世界2位だ、壁は高い。
そんななか迎えた2戦目、事件は起こった。
ミーヤー選手がジャッジ9を決めた。 今日一回しか振ってないのに百発百中で9はズルいだろ
一試合目も内容がミーヤー選手がかなり良かっただけに会場としては「あぁ、神様もミーヤーに勝てって言ってるわ」という空気もあった。
しかしtameigoくんは食らいついた。
2試合目終わってみればジャッジ9をくらってもなお勝負は互角。
最終的にミーヤー選手に逃げ切られてしまうものの、会場は「あるの!?!?」と大盛りあがりだった。
元々tameigoガール公言してる私だが、より一層好きになったし、会場もあの瞬間は全員がtameigo選手の虜だった。
必死に足掻く様子が、かっこよく映るケースも有ることはやはりしっかりと念頭に置いて勝負に臨んだほうがいい。
投了と無関係の話。
よく反対意見であるのが捨てゲーされるのは気持ちよくない、という話である。
これについてはわからなくもない。
が、大抵は負けた側の態度が良くないことについて言及されていて、
負けた側の態度がよろしくないことと、投了の善悪は無関係であると思う。
負けた側が負け惜しみを言うとか、皮肉めいた紹介文を書くとか、そういうのはその人の人間性が未熟なだけだから、投了の善悪の議論の際にもちださないでほしい。
本当に品性を疑うようなことをする人はいる。
対戦相手を貶めることをいうようなやつ、私は人間として軽蔑してしまう。
でも、それは投了の善悪とは別の話だと思う。
・感情論としての投了反対
再度戻るが、感情論として気分が良くない、なんか嫌だ、という意見を持つ人がいることは一定納得ができる。
最後まで楽しくゲームしたい、そうすべきで有るという主張でとても理解できる。
しかしながら、レートや戦闘力といった数字をかけた戦いは勝つための工夫や試行錯誤が肯定されるべきだと私は思うし、
数字がかかっている以上、どうしてもそうなってしまう。
もっといえば、あなたが楽しいとき、相手が苦しいのが対戦ゲームの本質なのだ。
あなたの勝利を認める投了を、どうか認めていただけないだろうか。
楽しく対戦するためなら同レベル帯の友人を作ったり、専用部屋を立てたりすべきだと思う。
少なくとも不特定人物との数字がかかったランク戦であるVIPで投了反対だというような選民思想については断固反対である。
許容をしてほしいと切に思う。
ちょっと道筋と離れるけど。
基本的に、僕はスマブラが楽しくない。
よく楽しんで!と言われる。
いやいや、無理だろ。っていつも思っていた。
そんな時に救われたのがR2100ベレトのヒモさん。
楽しくないけど、勝ちたいから、頑張ってる。
これは僕も全く同じスタンスで、とても救われました。
あと、たらことりさんに、
「まだまだこのゲーム楽しんでいいレベルだよ」
「カズヤ◯過ぎるってツイートしたっていい」
「肩肘貼らずにもっとゲームとして楽に向きあってみたらいいよ」
と言われたのもすごく救われた。
勝ちたいから、頑張ってるとかいうレベルになくて、もっと知らないこと知ったり、ちょっとした上達喜んだりしていいレベルって言われて救われたし、
たらことりさんのようなレベルになってくるとそれが難しくなってくるんだろうなという奥深さも教わった。
最近は、少しだけ、少しだけスマブラが面白い。
今日の一番言いたいこと。
色んな人がいること、どうか許容してほしい。
そういうオフがしたいと思って活動しております。
先日は72名のトーナメントに、90人近く人数が集まりました。
近い将来、128人規模大会、そして256人規模大会を企画しております。
その時には君のことも僕に許容させてくれ。
長くなったが本日はこれにて。
みなさんも良きスマブラライフを!!!