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傘村トータ「アルルの花」原田マハ「リボルバー」を思い出す

傘村トータさんの曲「アルルの花」を聞いたとき、原田マハさんの「リボルバー」という小説が頭に浮かんだ。

傘村トータさんは、日本の音楽家でボカロPである。私も「人工呼吸」など好きな楽曲が沢山あり、眠る前に聴くことが多い。

原田マハさんの小説にはまったのは「暗幕のゲルニカ」を読んだことがきっかけである。どちらもフィクションであるが、もともと美術についての知識がない私にとっては、詳しく知りたい…!と興味を持つきっかけとなった。
「リボルバー」は主人公である高遠冴が、勤務先へ持ち込まれた1丁のリボルバーについて調べるうちに、ゴッホとゴーギャンの知られざる関係へと迫っていく、史実に基づくフィクションである。

これら私の好きなもの二つを、勝手に紐づけながら話したいと思う。

これから先はただの私の妄想なので、ご注意ください。

まず、「アルルの花」という曲名だが、まず浮かんだのはゴッホの《ひまわり》である。
アルルとは、ゴッホが日本に憧れ移り住んだとされている場所。
そこでゴッホは《ひまわり》を描いた。
楽曲のMVが鮮やかな黄色であることも、《ひまわり》を連想させる。
他にも、ゴッホとゴーギャンが共に過ごした黄色い家や、ゴッホが自分自身に引き金を引いたと言われている麦畑や、ゴーギャンの黄色いキリストなど、連想されるものは多い。

アルルの花【歌詞】

灰が泳ぐから喉が熱くて 涙を吸うから光は漏れない
嫌になるでしょう 鋭くて命が 少しだけ愛してあげましょう
慰めで海が消えるのは あなたが世界を知らないから
返す夜を退けた あなたの睫毛の先へ
はたと気づく あたし、あたし、手を離してしまったんだわ
ごめんなさい 爪を研いで待つ不幸の元へ
あなたをひとりでやってしまったんだわ 

水の影に絡まった楽園の 明日を踏みつぶして歩くの
怖くなるでしょう 微睡んで忘れて 眠らなくても夢の溶ける
眼を通りすぎる花の群れる 笑っていないで出ておいでよ
回らない青の向こう 唇を閉じて泣こう
わからないの あたし、あなたを愛してよかった?
おこらないで 脆い声で嘆く午後は
あなたに一粒の嘘も吐かないと契るわ

掠れた歌を誰が生かそう おぼれた星を羽包む月夜
迎えに行くのはあなただから そっと消えそうなあなただから
返す夜を退けた あなたの睫毛の先へ
はたと気づく あたし、手を離してしまったんだわ
ごめんなさい 爪を研いで待つ不幸の元へ
あなたをひとりでやってしまったんだわ

歌うたいの筆跡
全てを知るあたしの
針のような感情のささやかな営みをあなたへ

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kasamura-toota/arles-no-hana/

初めに気が付いたのは、ゴッホの代表作《星月夜》が歌詞に含まれていること。他にも「光」や「青」など、ゴッホの作品の特徴となるものも歌詞に含まれている。

また、ゴーギャンは積極的に海外へ行っていたのに対し、ゴッホはヨーロッパから出ることはなかったという点も、3行目の歌詞から連想される。
2番目の歌詞の前半は、「彼方」「楽園のような島」を目指して海を渡ることを望んだゴーギャンの姿を思い浮かべることができる。
そして、ゴーギャンがル・プルデュでひまわり畑に出くわし、その中にゴッホの《ひまわり》をみる小説の場面が2番3行目の歌詞と重なって聞こえる。

また、小説ではゴッホとゴーギャンそれぞれの「不幸」について考察する場面が多く、また、楽曲の中でも多く使われている単語である「不幸」。それらから、二人は本当に不幸だったのか、幸せだった瞬間はあったのだろうか、またそれはどんな時だったのだろうか、つい考えてしまう。
他にも、サビで多用されている「睫毛」。ゴーギャンが描いたゴッホの肖像画《ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ》が斜め上から見下ろす角度でゴッホをとらえているため、そのときに見つめた睫毛なのだろうかと考察してしまう。

そして最後の「筆跡」「すべてを知る私」「ささやかな営み」からは、サラや冴たちの姿が浮かび上がってしまう。このような存在が本当にいたのならば、今でもささやかにどこかでつなぎ続けているのかもしれない。

「アルルの花」と「リボルバー」を勝手に紐づけて解釈をしてしまった私だが、ゴッホとゴーギャン二人の関係は謎に包まれている。
妄想の域を出ない話だったが、綺麗な曲に合わせて2人に思いをはせたいと思う。

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