寝れないから書くのだ、宝ものについて🐱
私には生まれたとしに、父が上司から「お子さんへ」とプレゼントしてくれたねこのぬいぐるみ「にゃあちゃん」という宝ものがいる。
30数年一緒。
引く人もいると思う。
でも、私はにゃあちゃんがいなかったら、不安だった日、悲しかった日、悔しかった日、涙を流した日、一瞬だけど死んじゃおうかと考えた日を乗り越えられなかった。
こどもは誰しも心のなかにお人形をつれている。こどもは想像力のかたまりで、その想像を心の中のお人形やぬいぐるみに話して成長していく。
大人になるにつれ、それは人間にかわり、心の中にいたお人形やぬいぐるみは見えなくなってしまう。
でも私はにゃあちゃんがいた。
あ、友達もいます(笑)
誰にも話せないことも、にゃあちゃんにならできた。
だからこどもの頃の私の寝相が悪すぎて、にゃあちゃんの腕がとれてしまったり、目がとれてしまったり…
にゃあちゃんは何回も何回も、祖母と母というやぶ医者にオペしてもらってきた。
そして2年前大阪にある、ぬいぐるみの病院に入院し、出会った頃の姿に(0歳児覚えていないため、写真にたよる)、きれいに若返って退院してきた🐱
私のアイコンは、にゃあちゃんの若返る前の写真です。
今もにゃあちゃんは大切にいます。
心の中にも、現実にも。
学校が嫌で、こっそりにゃあちゃんをつれていったりしたなぁ(笑)
旅行が趣味な私は旅行にもにゃあちゃんをつれていったり(最近はにゃあちゃんはお留守番が多いけど…)
私が亡くなったら、一緒に棺に入るのもにゃあちゃん。
そう決めている。
寝れないから、宝ものについて語ってしまった🌱