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河童忌

 今日は河童忌。芥川龍之介の命日です。私は芥川龍之介が大好きです。気に入っているいくつかの短編を阿呆みたいに何回も読み返しています。

 芥川にハマったきっかけは「歯車」です。半分は遺稿であるこの小説の、悲しい狂気に激しく魅せられて、以降芥川作品を読みふけるようになりました。

 当時青空文庫には小品や随筆を含めた芥川の作品が250くらい公開されていて、(今はもっと多いかも)それを毎日順番に読みました。全て読み終わったあと、またはじめから読みました。3巡しました。そのなかで自分の心の琴線に触れた数点の作品を、いまだに何回も読み返しています。
(最近はお気に入りしか読まなくなったから、他の作品の内容はほぼ忘れてしまったけれど←ダメじゃん…)


 でも私は芥川文学の真髄に全く触れることが出来ません。芥川を全くわかっていない。なぜなら私は文学を感覚的にしかキャッチすることしか出来ないから。作品の輪郭を掴むことしか出来ないのです。言葉の表面をなぞるだけで、底に潜んでいるものを考えようとしないんですね。要するに論理的に全体像を捉えてその背景にあるものをとらえることが出来ないのです。だから、芥川文学は〇〇だ!とか、全く論ずることが出来ません。読書感想文にしても、あっさいものしか書けません。


 それでも私は、芥川が織りなす言葉の紡ぎに救われています。苦しい事があると、寝る前に芥川を読んで泣きます。それは、自分の胸の底にある、言葉にすることが出来ない、どうしようもない醜い感情の昇華になるのです。

 これは本当に私の個人的な意見なのですが、おそらくは芥川は、誰にも見せられない本当の自分を内に秘めていたのだろうと思います。そして、非常に鋭くて繊細な感受性の持ち主だったのだろうと思います。

 芥川龍之介の遺書(青空文庫で読めます)や、「点鬼簿」などを読むと、すごくそう感じます。

僕は養家に人となり、我儘らしい我儘を言つたことはなかつた。(と云ふよりも寧ろ言ひ得なかつたのである。僕はこの養父母に対する「孝行に似たもの」も後悔してゐる。しかしこれも僕にとつてはどうすることも出来なかつたのである。)今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かも知れない。

芥川龍之介遺書から引用


 私が何回も芥川作品を読み返してしまうのは、物語の筋書きを確かめたいからではなくて、言葉の紡ぎに共鳴したいからなんでしょうね。私自身も変な感受性を持ち合わせているのかもしれません。だから、そんな読み方をするのは私だけかもしれないです。

 つまり何が言いたいかというと、素晴らしい作品を残してくださりありがとうございますということでした。

 読んでいただきありがとうございました!

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