1年という考え方
年が明けたかと思えば、もうすぐ5ヶ月が過ぎようとしている。
忙しかった様な気もするが、実際は今年も怠惰に過ごしてきたと思う。
皆大体同じかな・・?と思うが、年が明けるとすぐその気になって
今年の目標を定めてみるけれど、大体何もせずに終わるのが常である。
しかし、何故1月1日になると妙に気が大きくなってしまうのか。
恐らくそれは、漠然と1年を残り時間と考えているからではないか。
1年は、1月1日から12月31日まで、365日間ある。
これが1日1日と経過(消費)されていくのが"1年"というわけで。
冒頭にも5ヶ月が過ぎようとしていると述べたように、どう言うわけか
目標通りにならない焦りを抱えながら日々を消化しつつ年末を迎え
それが不思議なことに、新しい年になるとリセットされた気持ちになる。
1年が始まると、またスタートだ、まだ365日間ある。
という良く分からない安心感を得てしまうのだ。
結局のところ、残り時間は着々と減っているというのにである。
そうすると、去年の目標などどこ吹く風である。
結局1年何も得られなかったなあ・・という気持ちも、年越しそばと共に
喉元を過ぎてゆく。
つくづく人は不思議だ。
どのタイミングに軸足を置くかということには特別意味はないと言うのに
何故元日はあれほど希望に満ちてしまうのだろう。
また、学生や社会人にとっては4月1日が新年度となるが、その場合は3月31日までの期間を1年と認識する。プライベートの目標は1月から、仕事の目標は4月から、という使い分けもできるといえばできる・・。
1年の使い方は難しい。
普段通り生活するだけでも精一杯なのに、何か新しいことをやろう!と思っても
なかなかうまくいかないものである。
無理に新しいことをしようとしなくても別に良いような気もするのだが
年を重ねるということに前向きな意義を見出したくなるのかもしれない。
数字が増えるということは、ゲームでいう所のレベルアップに通じるものがあるし。
ところで、「あけましておめでとう」とは
一体何がめでたいというのだろうか・・。