「こんな感じで書いています」
こんばんは、こまろです。😸
桜が散ったかと思えば、もう入道雲が出たりして、夏も近いな~とおびえているこまろです。😹
雷怖いし、暑いのも嫌だもん。笑
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noteの中で、この本が面白かったという、本の紹介話しはまだ書いたことがない。
実は、アメブロの方では、読書をする度に、どんな風に面白かったのか、自分的には☆いくつか、それも冒険ハラハラ度いくつ、恋愛ドキドキ度いくつ、のように、ジャンル分けして☆もつけて、おススメ記事を書いていた。
音楽と同じく、いやそれ以上に、書くならしっかり書きたいと思うがゆえに、ここではまだ手が出せていない。笑
現在の毎日の投稿は、思うがまま、つらつらと書き出す場合も多いけれど、こういう内容で、こういう構成で…と、既に大枠が頭の中にあって、書き連ねる場合もある。
そういう場合は、忘れないようにタイトルや、主なあらすじを下書きに入れておく。
それで時間があって、どっぷりと取り組める時に書く。
そうじゃない、大半の場合は、今日みたいに、一日をやることが終わって最後に日記をつけるように、こうしてPCに向かって、さぁ今日は何を書こうかな~と、サムネイル画像を探しながら、絵でヒントを貰ったりすることもある。
今日はまさにそれ。
私の理想・好きな余暇の過ごし方は、「好きな音楽を聴きながら、コーヒー片手に本を読む」なので、ついつい、本が描いてある絵に目が行く。
そしてその気分にあった絵を見つけてダウンロードすることで、こうして書き始める。
私の好きな作家「群ようこさん」のエッセイ本を初めて読んだのは、高校生の時に、高校の図書館で見つけてからだ。
そもそも”群ようこ”という名前が面白いし、(もちろんペンネームで会社の社長がつけて下さった)題名が「午前零時の玄米パン」で、なんで真夜中なの?と思い、手に取ったのが最初の出会いだった。
なんだか、のほほんとした世界なのに、主人公がちゃんと信念を持っていて、読んでいて痛快でスッキリしたり、面白かったり、ほぅそういうものか、と納得したり…。
とにかく読んでいて、肩がこらない面白さ。
すいすい読める読みやすさが、ついつい、次から次に本を手にとってしまう魅力だろう。
読みながら、青春時代を過ごし、私も少ないながらも世間に揉まれて苦労したり成長した経験が重なる度に、いつか群ようこさんのようにエッセイ本が出せたらいいなぁと思うようになっていた。
昨年末に久々に購入した群ようこさんのエッセイ本「こんな感じで書いています」は、読む前から、その帯を見て、ワクワクというか、ゾクゾクした。
今、見たら昨年の10月末に購入していた。
帯には、大きく、
「いまだに優雅には書けません」
と書いてあって、読者としては「えぇ!?」と思わずびっくりさせられてしまう。
著作数140作以上なのに、いまだに???と思うのが普通だろう。
もちろん、ご謙遜されているのだとは思うが、群さんはあまり大げさにそういうことなさる方ではないので、本音だろう。
そして右下にあるように、万年筆の吹き出しが
「今日は群ようこが降りてきてくれるかしら?」
とある。
そうかー、群さんの場合は降りてきてくれて、書いてるんだーと、更にどのように降りてきてるのか、知りたくなってしまう。
帯って、ホントに面白い。
ここのコピーでつい手にとってしまい、そしてページをめくってしまい、そしてレジに並んでしまうのである。笑
そしてひっくり返して裏を見て、また笑ってしまった。
今度は大きく、
「うるせえな」
だ。笑
ここは、これを拍手喝采する人と、そんな下品な、と寄り添えない人と、大きく2つに分かれるところだろう。
私は前者なので、つい、ゾクゾクしてしまった。🤣
新聞の連載をしていた時に、まぁ、新聞に載るのだから、全国の人々が目にする訳で、中には色んなことを言ってくる人もいるでしょう。。
そういうことも、このエッセイで初めて知った。
そうよね、そういう人もいるでしょね。
そりゃぁ、そう言いたくもなるよね。
読んでて共感するし、何より想像もしない話なので、面白い。
昨年末はこれを読んで、いつかエッセイ本を出す時の参考にしよう、と思って読んでみたのだけれど、懐かしい時代の話あり、出版社の裏側あり、どうしてこう、群さんのエッセイは面白くなってしまうのか不思議だ。
淡々と物語は進むのに、たまにギャーとかわ~とか、マンガみたいになって、面白おかしい時がやってくる。
また、イラっとするような輩が出てきても、スカッとするような態度をとってくれて、(* ̄▽ ̄)フフフッ♪と笑える。
2023年9月15日発売、作家でエッセイストの群ようこさんの、「こんな感じで書いてます」は、これからエッセイストや作家になりたい人や、通学・通勤時に読んで気分転換したい人におススメの短編集。