【現代小説】金曜日の息子へ|第二話 神山銀次
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小学生の頃、私は毎年、一止(かづと)の誕生会に招かれていた。でもわたしの母親は、誕生会に行くことをあまり喜ばなかった。
母は神山銀次のことを「あのロクデナシ」と呼んでいた。母の言う通り、銀次は当時の一般的な父親像からは遠く隔たった存在だった。
かなり後になってから知ったのだけれど、わたしの母は毎日のように銀次を観察していたらしい。母の話によれば、銀次はいつも自宅に近い烏丸のカフェで夕方までの時間を過ごし、五時になると家に帰るような生活をしていたという。
「今日もあのロクデナシはカフェで昼からビールを飲んではったわ」
その言葉に母は侮蔑を込めたつもりのようだったけれど、わたしはそこにむしろ嫉妬に近い何かを感じ取ったものだった。
一止の誕生日は8月19日だ。その日に関する断片的な記憶はいまも残っている。夏休みの間に久しぶりに同級生と顔を合わせるのも楽しみだったし、何よりも父親の銀次は愉快な人だった。
洗練された白いサマースーツを難なく着こなす銀次は同級生たちを盛大にもてなし、食事の時にはよくわたしたちの担任教師のことを話題にした。
「君らの先生、まだ髪型は変わらへんの?」
銀次がそう訊ねただけで全員が笑った。彼は誰が見ても一目でわかるカツラを愛用していたのだ。銀次が教師の髪型を「LEGO」だと表現すると、笑いが収まるまでかなりの時間がかかった。
その教師は学校の近くで車に撥ねられ、腰の骨を折って入院していたことがあった。
「車には注意しなさい」
わたしたちにはいつもそう言っていたくせに、本人は歩道で歩きスマホをしていたらしい。彼が交差点の途中で車に弾き飛ばされた時、たまたま事故現場に居合わせたて救急車を呼んだのが銀次だったという話は、学校では誰もが知っていた。
「うつ伏せに倒れてはったから、そのときは君たちの先生だと分からへんかったよ。LEGOも吹き飛ばされてはったしね」
銀次がそう話すと、また全員が笑う。彼は会話のツボを心得ていた。笑い声が収まると、隣に座っていた一止の肩を揺さぶりながら、こんなふうに続けた。
「しばらくして先生やってわかって、大丈夫ですか? しっかりして下さいって俺が声をかけてたら、救急隊員が来はって、『お知り合いですか?』って訊かはるんや。俺も気が動転してたし、『このLEGOは彼のものなので一緒にもっていってあげてください』って言うてしもたんや。」
一同はその時のシーンを想像して笑い転げていた。
うすいブルーの眼鏡にショートリーゼントの銀次は、招待客全員の飲み物を出し終え、いくつかジョークを飛ばすと、あとはリビングのソファーに寝転んで洋書を読み、ひっきりなしにワインを飲んでいた。時折、音楽に合わせて外国の曲を口ずさんでいるのが聞こえてきた。
やはり彼は普通の父親とは、どこか違っていた。
若々しく陽気な男性だったけれど、お酒の飲みすぎのせいか、多少声がザラついているのが難点で、渋い声というよりは聴きとりづらい声だった。それに、私たちが帰る夕方近くにはいつも酩酊状態だった。
見た目には何も変わらないのだけれど、吐く息と歩く姿でそれと分かった。彼はワインをボトル1本と、ビールを何缶か、そしてウイスキーを飲んでいた。そんな男性が近所の主婦たちに受けのいいはずがなかった。
最後の誕生会となった六年生の夏、銀次は私たちの前でピアノの弾き語りをした。
「これまで一止と仲よくしてくれて本当にありがとう。むかし、流行った曲だよ」
そう言って、彼は流暢な英語で歌い始めた。美しい曲だったし、彼はピアノを弾くのも上手だった。いつだったかラジオで同じ曲が流れているのを聴いて、その時に歌ったのがエルトン・ジョンの「Your Song」だと知ったのはずいぶん後になってからだ。
※公式:Elton John - Your Song (Top Of The Pops 1971)
わたしたちが拍手をすると、銀次は立ち上がって深々と頭を下げた。この時も結構お酒が入っていたのだと思う。
銀次自身がデザインしたというモダンな感じのリビングには、バスケットボールより大きそうなミラーボールが設置されていた。
「これ、ええやろ?」
ある時、わたしがそのミラーボールを見て何かわからずにいるのに気づいた銀次は、そう言って悪戯っぽく笑った。銀次はむかし、ディスコというところでレコードをかけるDJという仕事をしていたそうだ。
時代は流れ、ディスコは潰れ、忘れ形見にミラーボールをもらったそうだ。
真面目くさった大人なんかより、ロクデナシの不良の方がずっといい。そんなふうに思ったのは、わたしが15歳になって恋を意識し始めた夏の午後だ。私は神山銀次という人が好きだった。
一止の家の近くを通る時、偶然に銀次に出くわすことをいつも心のどこかで期待していた。晴れた日にはよく愛車であるケンメリを洗車していたし、顔を合わせるたびに声をかけてきた。私たちはガレージの前で色々な話をした。というか、ほとんど銀次が一方的に話し、私の方は彼の話術にひたすら圧倒され続けていた。
一度だけ、銀次の運転するケンメリに乗ったことがある。鴨川ベりまでの短いドライブだったけれど、私にとっては忘れ難い時間だ。
どういう理由わけで鴨川へなんか行くことになったのか、いまとなっては思い出すことができないけれど、カーラジオからAlicia Keysの『Empire State of Mind』が流れていたことを憶えている。
※公式:Jay-Z feat. Alicia Keys - Empire State of Mind
あの印象的なメロディが流れると、銀次は口笛を吹き、エンジンを空噴かしていたケンメリは、いまではわたしのマンションの駐車場に停まっている。
丹念に整備されていたし、手放す前にレストアされていたからエンジンは冬でも一発でかかる。今ではケンメリの助手席に免許を持たない一止を乗せて、私は週末ごとにちょっとした旅行や買い物に出かける。
世の中には古い車が好きだという人間が結構いるもので、駐車場で見知らぬ人に話しかけられることも珍しくない。銀次のおかげで、私はこの界隈ではちょっとした好事家と見なされている。
父親の死後、一止は学校を中退して、大阪のユニバーサルスタジオジャパンでアルバイトをしていた。でも、それも半年ほどで辞めてしまい、それからは伏見のドーナツショップで働いている。
ごく近所に住んでいたにもかかわらず、わたしたちは伏見のドーナツショップで偶然に再会したのだった。
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