気づいたら2023年 今年は息子へ会いに行ったので NYのTimes Squareカウントダウンしてきました 凄い熱量で なんでおめでとうなのか なぜHappyなのか 解らないと思っていたけれど 2023年になって数日後、2023年もこの日を無事に迎えられたと感謝した日があって おめでとうやHappyはありがとうの意味として 皆が言いあっているんだとその時に初めて気づいた 素敵な世界 来年はカウントダウンから年明けの時に 心から言えそう って始まったばかりでもう年末の話
私にとっては凄く難しいこと 産まれた時から決まっていた運命があって それを自分が認識したのは確か小学校のころ 自分の問題は自分で解決 人に迷惑をかけたくない 祖母がよく言う「幼い頃、喘息で苦しい時に皆のいない所へ行っていたのを見つけた時に涙が出た」 これを聞く度に私が見せてしまった事を反省する 癌かもしれない(結果良性)と云われた時も 家族には言わず病院へ通い腫瘍を取り除く時に 家族の署名が必要で、そこで初めて主人に言った 勿論、私はひとりじゃなくて支えられて生きている のだ
この前にあげた8年前の私を振り替える 今の私は根本を変えずに生きていた それが正しいかは解らない きっとずっと解らない 8年前に泣いていた彼は今、アメリカへ中期留学中 泣かずに振り向かずに決意をした様子で空港の搭乗口に入っていった 向こうで彼が自分で解決している様子を知り驚いた 8年前の泣いて母に甘えていた彼はそこに全くいない 成長していく彼に負けないように 私も頑張ろうと思う 育児は育自 3回流産(初期2回、稽留1回)をして諦め Hawaiiに向かって子どものいない
昨日の朝、夜、そして今朝。 息子、泣く。「ママと2日会えないから行きたくない。夜、寂しい」と。今日から2泊3日の体験学習。学校に行って自分で行けない理由を話しなさいと云ったら「言えない」何故かと尋ねると「恥ずかしいから」恥ずかしいと思う理由を問えば「皆は出来るから」 皆と比べる必要が無いこと、 私は皆と息子を比べた事が無いし、比べる必要を感じた事が無い。それは、いつも言っている。でも、彼の思考は勝手にそうなるのかな…。 いま一度、皆と息子は違う人間であり、思う事も違うのだか
今日お誕生日の人 私が15歳の時に出会った人 会った瞬間に好きって言っていた あれから何年経つだろう あんなに好きなだけの感情で動けていたのは あの時から今も居ない 出会えたから私の今がある ずっと忘れられない人 会えるから会えない人じゃないんだけど 私も色々経験してあの時と同じ気持ちは抱けない なんでかは 解らないけれど でも好き 幸せでいて欲しい お誕生日おめでとう 産まれてきてくれて あの日あの時出会ってくれて 今日までありがとう これからも見守らせて これから先
10年前の自分に声をかけられたらと 何度願った事だろう もしかけられるのなら 「嫌がっても父と家族で一緒にいなさい」 この言葉が10年前に聞けたなら 結果が変わらなくても 経過は違ったかもしれない 今が確実に違う筈 10年前緩んでいた私にこの言葉が聞こえてきたら きっと私は自分の大切にしている本質を思い出して あんな悲劇を目の当たりにしなかったかもしれない 周りも苦しみが少なかったかもしれない それを引きずり 自分を責めて 周りとの関わりがどれだけ他者に影響を与