妊活記録14.体外受精移植4回目の結果

結果報告です。
メンタルが安定していて、他人のどんな結果を聞いても大丈夫!の状態の方はお読みください。







結果について


結論からいうと、胚の着床成功まで、そしてその後の経過順調までたどり着くことができた。

途中から全くの未知の世界に入ったので、実感が湧かなくていちいち疑っていたけど、私の身体は着床までうまくいけば、それを維持して育てる能力は持っていたみたいだ。

試行錯誤の過程と結果を振り返ると、移植まで3回やってみて、すべて悲しい結果だったのは、3つぐらいの理由が考えられると思った。

①血流が悪く、着床するには質が悪い子宮内膜を作ってしまった?
→この疑惑は着床障害検査を横浜にある杉ウイメンズクリニックで受けてのこと。
解決策はバイアスピリンという血流をよくする小さな白い薬服用。
こんな小さな薬で?と正直なところ思っていたが、大きく効果を発揮したのかもしれない。
あくまで私の場合だけども、着床障害検査を受ける決断をしておいて本当によかった。
検査費用は無茶苦茶高かったけれど。

②子宮に着床を阻害するなんらかの原因がいた?
もしくは子宮から着床シグナルを示す、なにかそういう伝達物質が出ていなかった?
→これまでの移植と違うのは、転院してC病院で初めて子宮鏡検査と子宮洗浄を行って、その流れで子宮スクラッチを行ったこと。
子宮鏡検査で目視できる異常事態は特になかったようだけど、消毒もしくはスクラッチがよかったのかもしれない。

③卵の質の問題?
→3回外れくじを引いてしまって、たまたま着床する能力がない卵と出会ってしまった、とか?
あとは単純に培養士さんの腕とか相性とか。


さて、これまでの試行錯誤を振り返って、色々な可能性を考えたけども、このどれかかもしれないし、複合的に重なっていたのかもしれないし、素人が考え付くことのどれでもないのかもしれない。
もう今となってはわからないし、わからなくてもいい。
結果がすべてなので、私が頑張って突き止めなくてもういいんだな、とほっとした。

C病院に移ったことが功を奏したのかもしれないし、A病院でもB病院でも、頑張り続けていたら努力は実ったのかもしれない。
心情的には、C病院のおかげかな、とも思うけど。結果から考えても、あそこは凄腕だった…。
もっとずっと長く通うような気がしていたので、もう通院しなくてもいい、と思うととても不思議な気持ちがした。
この一年ですっかり不妊治療クリニックに通うのが日課になっていて、常に薬と隣り合わせだったので、服用が終わった時には本当に飲むものがないのか、確かめないと安心できなかった。

体調の変化と精神状態について

判定日まで

やたら眠くて疲れやすかった。
あと揺れているものに長時間乗ると酔いやすかった。
なにかしらの下半身の疼きは感じていたような気はするが、意識すると感じるようになる現象もいつものことなので、あまり気にしないように努めた。

判定日の採血結果待ちのときは、これまでの嫌な記憶がすべてよみがえってきて、もう結果はわからなくていいから逃げたい!逃げよう!という気持ちになっていた。
呼ばれた時には緊張と不安で動悸がしており、心臓が心配になった。
呼ばれた部屋は医師の診察室ではなく、看護師による呼び出しで薬の説明なんかを聞いた面談室?だったので、
「あーこれ、改めて薬をもらって移植から始める流れだ。また一からかー」
と思った。
荷物を置いて小机に向かって引導を渡される覚悟を決めたところ、
「妊娠の反応が出ていましたよ!」という言葉と同時にピンクのおめでたそうな紙を渡された。
!?!?!?となる。
え、本当ですか!?本当に!?えー信じられない!ダメだと思った。
どうやら本当ことと信用していいみたいだ。
色々な説明をしてくれたが、正直なところ頭がいっぱいで働いていなかった。
そのあと、改めて移植してくれた医師の診察に呼ばれて、HCGの数値を聞いたところ163だそうだ。
高いのか低いのかわからないですけど、と一人ごちたところ、「今なら100以上あればいいので~」と教えてくれた。ああ、それなら十分なんだ。

クリニックから出て、やっと頭が現実に追いついてきた。
わあー、とうとう着床したかー。喜びというよりしみじみとした再確認をする。
いままでなんの卵を移植しても移植してもダメだったから、もう体がだめなんじゃないかと半ばあきらめてしまっていた。
大幅な肉体改造をしない限り着床しないんじゃないかとすら思っていた。
まあまだ全然12週ぐらいまでは壁あるんだよね。
わかってはいるけど、今まで着床も0だったので大変うれしい。
ここまで大変だったな…。

なんでこんなに結果を書くまで時間がかかったのか


もし読んでくれている人がいたら、の話で、しかもその方にはなんら意味のない見出しのことだけども。
理由の一つには、それはもう色々な方の苦難の歴史と体験を調べ続けてきたので、自分がこの先もうまく継続できる自信が全くなかったから。
これまでは無縁だったので調べてなかったが、一般に称される妊娠、出産における壁は9週の壁、10週の壁、12週の壁、22週の壁、28週の壁、32週の壁、だそうだ。
お、多すぎる…。
これから何週間か、あるいは何か月かをかけて、胎嚢を、心臓を、胎芽を、胎児を、人間を、順調に生育しているか確認していくんだろう。
いやあ…とてもとても自信がない。
その手前でずっと引っかかっていた者にとっては、ハードルが高すぎる。
喜んだあとに悲しむぐらいなら、最初から「ダメかも」と思っていたほうがダメージが少なくて済む。
なんならやっと結果報告を書こうと決めた今でも、どこかに落とし穴があるのではないかと疑っている。

でも、ここまできたら、私の体ともうひとりの生命力を疑いまくるのも失礼な話だとも思う。
不妊治療で培った淡々としたマインドで、自分にできることをやったりやらなかったり、それで過ごしていこうと思う。

理由のもう一つには、今まで何をどうやって書こうか迷いに迷ってなかなか筆が進まなかったため。
記録兼情報共有ということで、私が何をどう考えてその結論に達したのかを残しておきたかったのと、その過程が誰かの役に立てばいいなと思って、これまで文章を書いてきた。
自分も散々人様の体験談を読んで参考にしてきたけども、妊娠報告が載っていると、ああよかったなと思うと同時に、毎回置いて行かれるような気持ちになっていた。
もういっそこのままあやふやのままでいいかとも思ったけど、結果がなければこれまで試したことの答え合わせができない。
ぜひ参考にしてほしいのだから、そのために書いてきたんだから、とりあえず結果報告だけでもしないとなあ。
しかし考えるのも億劫だし、ちょっと仕事忙しいし、あー年末か…
と、気づいたら年が明けておりました。

今後について


一応しばらくの間は妊活戦士ではなくなるわけですが、そんなわけで人の結果を見たくない聞きたくない方もいるかもしれないので、ほとぼりが済むまで名前とかはあまり変えないで、これ書きたいなみたいなことが浮かんだら、雑談がてらちょっとずつ短い記事でも書いていこうかと思っています。

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妊活戦士YOKO
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