長い長い冬休みは今日で終わり
最強寒波がピークの今日、南天の真っ赤な実が青空に映え、足下は霜柱がザックザク。
母はデイサービスの体験に出掛けて行った。
運動に特化した、いまできる機能をなるべく維持することに力を入れている施設だ。理学療法士がいて、運動の指導をしてくれる。
極寒の冬も酷暑の夏も送迎付きで運動できる。なんでありがたいんだ! と、有料で整体を受けに行くわたしは思う。
ま、デイサービスだって有料だけど。介護保険が使えるから安い! お昼ご飯も出る! 魚と肉でメイン料理が選べるらしい。
希望者はお風呂にも入れる。寝ながら入れる介護付きのお風呂もあるようだ
至れり尽くせり。郷里にこれほどの介護サービス付き施設があるなんて全く知らなかった。駅から近いビル内にあり、上階はグループホームなどになっているらしい。
動けるうちは自宅からデイサービスに通い、自分で家事ができなくなったら、もしくは危なくなったら、上階のホームに入ることもできるのだろう。
いつかわたしもお世話になるかもしれない。動けなくなったら東京を引き払って帰る場所は、やはり故郷になるんだろう。
隣の松本に行けば温泉付きの施設もあるのかな? 諏訪あたりでも良いのかな? そろそろ具体的に考えておいたほうが良いのだろうか。
先日、小、中、高と同じだった同級生の訃報が地元新聞に載った。特別仲が良かったわけではないが、小学校の6年間、中学の3年間はずっとクラスも一緒だった。
くじ引きで席替えをしているのに、何度も隣同士になって先生に抗議した覚えもある。
あれは小学校2年だったと思う。硬筆書道展の作品を書く授業があり、粗忽者のわたしはさっさと書き損じて、大きな声で言った。
「あ! 間違えちゃった!」
屈託なく叫ぶと先生が飛んできて、まだ何も書いていなかった隣の席の彼の用紙と取り替えた。
「消しゴム使っちゃダメだから。こっちに書きなさい」
呆然とするAくん。さすがに戸惑っていると、先生が
「いいから、こっちに。Aくんも良いわよね」
おとなしい彼はコクンと頷き、私は今度こそ失敗してはダメなのだ!と緊張しながら文字を書き、特選を獲ったことがずっと胸の奥で疼いている。
大学の頃、突然、Aくんから連絡が来て、こたつのテーブルで麻雀をやるとかでこたつを貸したのかな? 朧げながらそんな記憶がある。
その時、浪人中だった彼は来年はきちんと受験して、会計士を目指すんだと言っていたが、数年後に届いた同窓会名簿の職業欄は「歌人」になっていた。短歌で賞をとったとか、川柳の撰者になったとか、そんな噂を耳にするにつけ、わたしの小学校時代の傍若無人が彼の繊細な感性を育てたのかもしれないなどと勝手な想像を巡らせて罪の意識を薄めたものだ。
人付き合いがあまり得意ではないのか、同窓会などにも顔を出さず、その後もほとんど顔を合わせる機会はなかったが、彼の訃報はやはりショックだった。
同じ年。誕生日もたしから2日しか違わない。わたしより2日だけ誕生日が早い同級生は30代で早逝し、2日遅いAくんが新年明けてすぐに亡くなった。
もしかしたら、1年2ヶ月前の脳梗塞のときにわたしも旅立つ運命だったのに、何かの因果で助かった、、、そんな妄想が浮かんでは消えた。
約20日間の長い帰省を終えて、これから帰京する。次に来るのは春かな。
それまでに少しでも母がデイサービスを楽しめるようになっていますように。