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閉店セール

この街に住み始めたころから、商店街のなかにずっとあった小さな時計店。小さな、というと語弊があるな。レンガ貼りの4階建の立派なビルで、てっぺんで昭和の小学校には必ずあった大きな丸時計が時を刻んでいる。
眺めていると、自然と歌を口ずさんでしまう。

♪緑の丘に赤い屋根。とんがり帽子の時計台。


ビル自体が時計台なのだ。
都心の小さな商店街には当時、金物屋さんもあったし、EP盤、LP盤、演歌や昭和歌謡のカラオケ用のカセットテープまで埃にまみれながらも売っていたレコード屋さんもあった。写真館もあったなぁ。袋物屋さんもあったし、和菓子と洋菓子を売る老舗の2階は喫茶店になっていた。
時代の流れの中でしだいに消えていったお店も多いけれども、履物屋さん、手彫りの印鑑屋さん、お茶屋さん、釣り具店はいまも健在だ。
そんな昭和テイストの強い商店街にあって唯一オシャレに輝いていたのが、この時計店だった。


一目惚れしたチェシャ猫のくるみ割り人形


こじんまりとした店内に所狭しと並べられたインテリア小物やオルゴール、メガネ、置き時計、腕時計はもちろん大小の壁かけ時計、アンティーク時計やからくり時計がひしめき合っている。店の奥では、穏やかな表情の店主が明るい照明に照らされた大きな虫眼鏡の下で、小さな時計を直していた。

ぶらぶらとただ商品を眺めながら、その静けさに浸っているのが好きだった。買えなくても、しばらくトドまっていたくなる。そんな時計店。昭和の商店街には、大概一軒くらいはあったと思う。

父が、時計店好きだった。時計が好きというより、時計屋さんが好きだった。
生真面目で、会社からキチッと定時に帰って来る父は、家でお茶を飲んでひと休みすると、夕飯前に本屋さんか時計屋さんに出かけていくのが日課だった。時計屋さんにはあがりこむことも多くて、家には古い壁掛け時計もあったし、父は壊中時計も持っていた。時計屋のおじさんの影響で、骨董品集めも趣味だった。
小学校高学年になったころ、時計屋さんの近所に越してきた書道家の先生を紹介されて、習字のお稽古にも行ったっけ。大人になるまで気づかなかったが、その書道家とお弟子さんは少々わけありのようだった。

そんな幼少期の思い出があったためか、時計屋さんというだけで不思議な、情緒のようなものを感じてしまう。
わたしはもっぱら切れた腕時計の電池を交換してもらうためにこの時計店に行ったが、初めての老眼鏡はここで買ったし、世田谷ぼろ市で買ったゼンマイ式の振り子置き時計を修理してもらったのもここだった。
分解掃除をして油を差してもらったら、動かなかった時計がチッチっと動き出し、ボーンボーンと時を知らせてくれるようになった。飾りのつもりで買った時計で、直らないだろうと諦めていたから、たいそう嬉しかった。

コロナ禍のなか、しばらくお店が開いているところを見ていなかった。
久しぶりに通り掛かったら「閉店セール」のお知らせが出ていた。
ちょっと驚いた。


店主はわたしよりは年上だろうけれども、年齢的にはそれほど違わない感じだった。子どもだったら同じ小学校に通っただろう程度の年齢差ではないかと思う。
商店街にはもっと高齢の、親世代くらいの、お釣りの計算さえもう面倒でお客さんに任せてしまうような店主だって健在だ。
曲がった腰を伸ばし伸ばし、商品を手にとり、包んでくれたりする。ほとんどお客さんが入っているのを見かけなくなっているけれども、それでも毎朝、店を開け、頑張って店番を続けている。

そんな高齢の店主たちに比べれば、まだ若いはずの時計屋さんに何かあったのだろうか?
閉店セールに添えられた「修理はいたしません」の文字が気になった。                                                                 

ドアの向こうには珍しく何組かのお客さんが入っていた。店主の奥さまと何やら話し込んでいる。
奥さまを見かけるのも久しぶりだった。ほとんど店主が店に出ていたように思うのだが、時折、奥さまも一緒に店に立ち、集中して時計の修理をしている店主の手元を眺めたりしていた。

ふたりともシュッと痩せていて、知的で上品な雰囲気を漂わせている。物静かで透明感がある。特別言葉は交わさなくても通じ合っているかのような佇まい。高校生のころ大好きだった陸奥A子先生の恋愛漫画に出てくるカップルが大人になったらこんな感じだろうと思わせるおふたりだった。

白いシャツブラウスに黒のスカートとカーディガン。奥さまはいつもそんな服装のイメージだ。それがとてもよく似合っている。全然、お変わりないその姿に接しながら、なんとなく物足りなさを感じていた。

そう。店主の姿がどこにも見えない。修理はしませんの貼り紙どおり、いつも店主が座っていた机や椅子は見当たらなかった。嫌な予感が現実味を増してきた。

わたしの奥様を見つめる目はどこか意味ありげになってしまっていたのかもしれない。静かに近づいてきた。でも、うつむいていて何も言わない。見覚えのない客が、変な目でみていたから気になったのだろう。

「閉店なんですね。びっくりしました。何度か時計の電池交換をしていただいて。置き時計を修理していただいたこともあったんですよ」 
 と、話しかけると、顔をあげ、濡れたような瞳でわたしの顔を覗き込んだ。
「あの、ご主人は、、、」
寂しそうな笑顔を浮かべる。
言い淀んでいると、うっすらと微笑んで奥さまが言った。
「ええ。去年の11月でした。本当に突然で」

目の前で突然、倒れたご主人はそのまま旅立たれてしまったという。
「虚血性心不全と言われました。ずっと病院にはかかっていて、定期的に検診もして、お薬は飲んでいたんです。でも、特に問題はなかったんです」

一気に畳み掛けるように言い募る奥さまの反応に少し驚いた。よほどショックだったに違いない。
「ただ、ご主人はそんなに苦しまれなかったのでしょうね、、」
 わたしの言葉を遮るように奥さまが言った。
「その分わたしが苦しみました。突然すぎましたから。つい10分ほど前までなんともなかったんですもの」

1年間、ほとんど何も手につかず、ようやくここへきて店を畳む気になったそうだ。
「わたしひとりじゃできませんから」
怒ったような口ぶりに哀しみが伝わってきた。

ここに置いてある小物はセンスがよくて、とにかくわたの好みにピッタリでいつもいつも欲しくなる。御夫婦どちらの趣味かわからないけれども、カエルの置物がたくさんあって、カエル好きだった昔の友人を思い出した。きっと彼女はほしがるだろうな。カエルの本を出し、カエルの日まで作っちゃった人だから。
どれも超高級品というほどではなく、バブリーなころのわたしだったら、迷わず買ってしまいそうなお値段のものが多かったが、ただ飾るというだけの目的で散財できるほどの余裕はいまはない。
それでも帽子をかぶってニヤニヤししいるチェシャ猫の人形には心惹かれまくっていた。
胸のあたりが少しパクッと開く。
「くるみわり人形なんですよ。くるみは割れないんですけど」
御夫婦の娘さんが教えてくれた。
「割れないんですか?」
「小さくて、くるみが入らないんです」

そのちょっと間の抜けたところも良いじゃないか。どんぐりくらいなら入りそうな小さな窓を開け締めしながら悩みまくった。半額になっている。10年前なら絶対買ったな。

結局、白内障が進んで哀しいほど眩しくなってまった目のために、紫色のサングラスを買って帰った。
そのまま家に帰るつもりだったが、サングラスをしたら視界がとても爽やかで、眩しくないのがうれしくて、すこしそのまま散歩した。青い空がさらに青く広がっていた。

年末年始の帰省から帰って来たとき、時計店はまだ開いているだろうか。水曜限定で開く閉店セール。またひとつ、思い出の場所が消えていく。わたしもきっと消えゆくものの仲間だ。

明日はクリスマスイブ。父の祥月命日でもある。
しばらく止まったままにしていたが、久しぶりに時計屋さんに直してもらった振り子置き時計のゼンマイを、ギーコギーコと巻いてみようか。

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