苗場に雪の華が咲く
ただいま25日16時40分。
全豪オープンはいよいよ大詰め。
今朝、車椅子テニスの上地結衣が全豪オープン実に5年ぶりの優勝を果たし、小田凱人は残念ながら宿敵ヒュウエットに破れたものの、現在ジュニアの園部八奏が快進撃。
日本女子がグランドスラムのジュニアで優勝するのは1969年の沢松和子さん以来56年ぶり!とか
またすごい選手が出てきました!
八奏と書いて“わかな”ですと。読めね〜
昨日は、推しのズべレフがタイブレークの末1セットを取ると、ジョコビッチが棄権。ズべレフは複雑な顔を見せていましたが、いよいよ明日は決勝です!
実はわたくし、23、24日とスキーに行っておりまして。週末から来週は天気が崩れそうということで、急遽苗場へ出かけたのです。
あ! 園部、勝った!!
すごいっ
さ、これから女子シングルスの決勝です。
その結果はこちら↓
で、23日なんですが
この写真のロッジからもう一つリフトに乗った先の1コースが、かなり初心者向きなのです。
雪質も良くさらさら。滑りやすい。ちっちゃな子もスイスイと滑っていました。下はスキースクールの子たちが大勢来ていてかなり混んでいたけれど、こちらは空いていて伸び伸び滑れます。避けなくていいから無駄に緊張しなくてもいいし、最高でした!
下界はピーカンでしたが、2本滑ったところで曇り始めご飯を食べている間に雪がチラチラ。山の天気は変わりやすい。
山小屋から下は急坂で私には絶対無理なので、Kだけ一本滑ってきてもらい、戻ってきてから一緒にゴンドラで下へ。
「1人じゃゴンドラにも乗れんのよねーっ」てことになってます 笑
乗ろうと思えば乗れるんだろうけど、何らかのポカはやりそうで係の人を慌てさせそうで、ほっとけないらしい。かなり過保護😅
まぁ、そんなだからわたしもまたこの歳になってチャレンジしようなんていう気になったわけですけどね。
そもそもスキーなんて、高校2年のスキー講習が初めてでした。地元はスキー場が近いとはいえ、当時は各家庭で車があるわけでもなく、スキーは遠いスポーツでした。小、中でよくやったのはスケートです。それもスピードスケート。学校の授業にもあったんです。
大学時代はスキーブーム到来で、おしゃれな東京生まれはこぞってスキーに出かけていく時代でしたが、貧乏学生のわたしには縁遠い存在。バイトが忙しくてスキーどころじゃありません。
帰省していたときに、スキーが趣味の友人に誘われて行ったくらいのものでした。
その後、股関節は悪くなるわ、足は上がらないわ、スキーブーツじゃ歩けないわ、転んだら起きれないわ、人工股関節になるわ、挙句の果てに脳梗塞で「スキーなんてもう絶対に無理だよーと」言い続けていたのに、気がつけば山の上。雪の中のわけです。不思議(笑)
チラチラ雪が降るなか初心者コースの空いているほうを2本滑って、私は限界。都合6本滑ったのはここ数年の新記録でした!
15時からは温泉の一番風呂へ。
年末にはまだ始まっていなかった露天風呂は15時から。いちばん風呂なら、まだみんな滑っていて空いているだろうと思ったら、すでに先客が3~4人。全員、中国系の方でした。
それにしても中国の人はよく喋る。ひとりならともかく複数だと、誰かが必ず喋っていて、とにかく会話が途切れない。年末は、露天がないほうの大浴場に行ったけれど、若い女のコたちが5人くらいでずーっとずーっと喋ってる。全然途切れない。しかも若いから声が甲高い。
温泉って声、響くのよね。うるさいうるさい。意味もわからないし。
まぁ、それは楽しいですよ。友だちみんなで海外でスキーだなんて。「静かに」なんて水はさしたくない。
今回は、けっこう年配の(とはいえわたしよりは年下)人たちばかりだったから、静かかなぁと思ったら甘かった。やっぱりずーっと喋り続けていたのだけれど、お湯の温度が高めだったせいでしょうか。あっというに間に出てしまったらしく、結局、露天風呂は貸し切り状態。誰もいない。ゆっくり浸かってもう極楽♪ ラッキーでした。
佳い一日でした♪
24日は朝から曇り空
6時25分からテレビ体操で起き抜けの体をほぐし、7時15分ごろ2号館のブッフェに。
朝食後、急いで支度をしてゲレンデへ。昨日の高校スキーツアーに加え、別の団体が続々と集結し始めていた。
「今日は混みそうだね」
「早めに何本が滑ったら、上に行こう」
「そうだね」
そう話しながら焦ってリフトに向かったまでは良かったけれど、ブーツの後ろのレバーを締め忘れていて、やっちまったぜ、今季初転び。こともあろうにリフトに乗るまでの狭い通路でわざわざ転び、スキーを脱がないと立てないから焦る焦る。まだ空いてたから良かったけれど、混雑しているリフトでなんか転んだら、通路を塞いで大迷惑だ。
さすがに心折れそうになったものの、自分で自分を励まして立ち上がる。
頑張れ、わたし。めげるな、大丈夫だ。
こんな思い、子どもの頃以来かも。
少しビビりながら、リフトに乗り、初心者ボーダーが座り込んでいるところを避けながら、なんとか2本だけ初心者コースを滑りおりた。
でも、なーんかなんか変。
わたしの滑り方が少しは上達していたのをみて、Kはリフトが空いているうちに、天気が崩れる前にと、さらに滑らせようとしていたけれど、私は一度休憩を宣言。
実は血糖値が気になっていた。
測ってみたら65。やっぱりだよー。
朝食を全部食べるつもりでインスリンを3単位打ったけれど、思った以上にご飯が少なかったし、フルーツは食べてないしで、打ちすぎかなとは思っていた。
その読みが当たって低いから、捕食用に持っていたチョコを2コ食べたけれど、まだ足りない。血糖が全く上がってこないのでスキーを外して、砂糖が入った飲み物を買いに行った。
血糖を上げずに寒いなか滑りに行ったら低血糖は必至。運動すると下がる。寒い冬は体温をたもつために多めに糖質を使うらしく、さらに下がりやすい。雪のなかで低血糖なんかで倒れたらかなりまずい。
1型糖尿病者にはこういう面倒もつきものだ。
その間、ひと滑りしてきたKは、わたしがスキーを脱いでいたので、もうやめたいのかと思ったのか、少し顔を曇らせた。
「ちょっと下がりすぎて、すぐに血糖が上がってこないから、もう一本滑ってきて」
「じゃあ、もう上がる? 今日は早く帰ろうか」
「大丈夫だよ。少し休めば戻るから。戻ったらまた滑れるから」
Kはまだ滑りたいはずなのだ。でも、わたしに合わせて一緒に辞めようとする。これまでほとんど滑れず、高いリフト代を棒に振るようなことも多かったから、流石に申し訳なく思ってしまう。そこまで合わせてくれなくても大丈夫なんだけど、大丈夫大丈夫と言い張って、転んだりするのがわたしだ。ほんとうに困ったやつ。
本当によくこんな面倒な人を、わざわざスキーに連れて行きたいなんて思うものだよなぁと感心する。それに乗って行ったからには、わたしも頑張らねばバチが当たる。こうやって知らず知らずにわたしは頑張っているんだなぁとふいに思った。
もう少し若いころのわたしは、ひとりで生きていくと思っていた。ひとりで生きても、ふたりで生きても、家族で生きても、結局最後はひとりなのだ。だったら、ひとりが面倒がなくていいじゃないか。自分が好きなことだけやれて、かえっていいじゃないか。寂しくなんかない。と思っていた。
人間ひとりでは生きていけない。
なんていう言葉は、仕事のときなど都合よく記事に使ってはいたけれども、心のなかでは「ケッ」と思っていた時代があるバチあたりだ。
いまこの年になってしみじみと思う。人間ひとりでも生きていけるけれども、狭い世界の孤独に棹さし、肩肘張って他人を寄せつけない心貧しい人生になっていただろうな、と。
Kは次の一本でまた別のゴンドラに乗って、かなり高いところから滑ってきたらしい。
そのころには、わたしの血糖値は無事、上がっていたし、ときおり日が差してきていたので、最後にまたロッジのある山の上まで行ってみることになった。
雪の華は美しく幻想的な風景が広がっている。
ただし、ゲレンデはかなり吹雪いていて、視界はほとんどない。
前と斜面の雪のようすが見えなければ怖い。
怖いと思うと一気にへっぴり腰になって転ぶ。
いくら初心者コースでも、わたしには到底、滑れそうになかった。
「これは無理だね。このままゴンドラで帰ろう」
と、K。
「ゴンドラから降りないで?」
「そう、乗ったまま降りよう」
Kが滑って、もう一度、登ってくる間、ロッジで待ってるよと言ってみたが、ロッジはお昼にならないと開かないという。かくしてゴンドラに乗ったまま再び下まで降りることに。
苗場にはゲレンデタクシーなるものが登場したそうで、ニュースで紹介されていた。
今度はそれに乗って往復してもいいかもね。
下界に降りたら、もう雪は降っていないし、時折日が差したりもするので、もう2本だけ滑って終了。
今日は4本。2日合わせて10本も滑ったと心のなかで胸を張る。
最後は、怖いともあまり思わず余計な力が少し抜け、すいすい降りている感覚があった。
まだ上達できるかもしれない。そんな気になった。
ゴンドラに乗るとき、わたしたちより10歳くらいは高齢の白人系ご夫婦が先にゴンドラに乗り込んだ。特に意気込んだ様子もなく、ごく自然に楽しんでいる。世界中の山を夫婦で滑っているんだろうか。素敵だった。
スキーは生涯スポーツと言われる所以が少しわかった。
そういえば、昨年仕事で記事を書いたアップルパイの松乃助オーナーが60歳過ぎからスキーにハマって、アメリカと日本でスキー三昧と言っていたなぁ。
わたしもまだまだこれからなのだ。