脳梗塞から1年
11月10日追記
🔳なんの前兆もなく
深夜の病院に駆け込んだのは1年前の11月5日。脳梗塞の診断が出たときには深夜3時を回っていた。
Kに言わせるとその日の午後から、電話口のわたしの口調がおかしかったというから、すでに兆候が出ていたのだろう。自覚が全くなかったわたしに危機感はなく、Kがあまりに気にするので、翌日にでもかかりつけの病院へ行こうと思っていた。去年はたしか日曜日だったから。
流石にヤバいと感じたのは夜になってからだ。
血圧が急上昇して200を超えた。その時、診てくれた脳神経科医はいま思えばアルバイトで別の病院から来ていた先生らしい。女優の松本若菜さんそっくりのスラリとした長身の先生だった。丁寧に丁寧に何度も繰り返しCT画像を見てから、わたしの方に向き直り、口を開けさせて喉の奥をジッと見つめた。
「はっきりとはわからないんですけど、やっぱり少し曲がっているように思えるんですよねぇ」
ため息混じりにそう言った。わたしには何が曲がっているのか全くわからなかったが、
「脳梗塞があるように見えるんです」とのことだった。
両手を前に出して目を閉じ、しばらくキープしたり、先生が持ったペンの先を目で追うテストなどもして、その女医さんは首を傾げながらもMRIが撮れるS病院に救急車で移動できるよう手配してくれた。
かかりつけ病院のMRIは深夜は電源を落としていたのだ。すでに日付が変わっていた。
その直後、S病院には別の患者さんが入ったということで急遽、N病院へタクシーで向かうことになり、ようやく正式に脳梗塞の診断を受けてそのまま入院となったのだった。
ほとんど後遺症もなく、急性期病院での治療後にリハビリテーション専門病院を経由せずに即退院できたのは、あの時の若い女医さんが気づいてくれたおかげだろう。まぁ、その前にKが異変に気づいてくれたのも大きかったけれども、もし、あの女医さんが朝になってMRIが稼働してからもう一度外来に来て検査するという判断をしていたら、いま、こんなふうに暮らしていられただろうか。
急性期の治療を終えてかかりつけ病院に戻ったときに、お礼を言おうと思っていた。かかりつけ病院の担当者が女医に決まったときには、きっとあの夜の先生だと思って嬉しかった。
ところが、外来の診察室に入った時、出迎えてくれたのは別のもっと年配の先生だった。
探してみても、松本若菜似の若い女医さんなんてどこにもいない。だから、いまだにお礼が言えていない。わたしの命の恩人はいったいどこにいるのだろう。
兎にも角にも、あれからはや1年だ。
今年は母の水頭症疑いで、郷里の脳神経外科病院に来ている。
これまで脳神経科にお世話になったことなどないから、不思議な思いもある。脳の病気とご縁ができるとは数年前には思いもよらなかった。
手術をすべきか否かの話し合いがこれからだ。どんな診断が出ても、前向きに対処するしかない。
それでも生きていく
かつて、そんなタイトルのドラマがあったけれど。今はなんとな〜くそんな気持ち。
🔳1年経ったいま現在
リハビリ不要の軽度な梗塞で済んだとはいえ、わたしの死んでしまった脳細胞は二度と再生しないわけで、ぼんやり過ごしていると発症直後の不器用さや滑舌の悪さが戻ってきてしまう気がする。赤ちゃんのように新たなシナプスが成長し繋がりあったりして、死んでしまった脳細胞の代わりをしてくれるには、もう少し時間がかかるんじゃないだろうか。
とにかく脳が疲れやすいから、いまではペラペラと喋れるけれども、喋っているうちに疲れてきて、言葉が出なくなったり、口が回らなくなったりはしている。頭の中もポーッとしてきて考えるのが面倒になる。
物忘れが極端にひどくなった母に、何度も同じことを聞かれて繰り返し説明していると、何度目かには頭が疲れて、言葉が出てこない自分にキレそうになる。ついつい口調がキツくなる。
まぁ、脳梗塞じゃなかったとしても、短気なわたしはイラついたのかもしれないけれど、より辛抱できなくなっているような気がしてならない。
その脳の疲れは5分10分寝ると、解消する。嘘みたいにスッキリしてしまう。だから、なるべく寝る。どこにいても寝る。
例えばテニスの試合を見に行った日は、途中で車に戻って目を閉じて横になり、少し休むことにしている。
昼少し前から出かけ、あちこち歩き回り、練習や試合を見て、キッチンカーで美味しいものを買って食べたりしていると、午後3時ごろにはくたびれはててぼんやりしてくる。
そこで少し休む。車に戻って背もたれを倒し、目を瞑る。いつでもどこでも、横になると速攻で眠れるのは昔からの特技でもある。
わたしとしては目を瞑っただけで周りの音が聞こえているつもりでも、時々自分のいびきが聞こえたりするから、たしかに眠りに落ちているらしい。一瞬で落ちている。
こうして少し休むと、ナイトセッションまで何とか体力がもった。
個人差は大きいのだろうけれど、とにかくわたしは脳梗塞後、体力がとんでもなく落ちた。と、感じている。
気がついたときには、体幹がとんでもなく弱っていて、けっこうあると自負していたインナーマッスルが全くなくなってしまった。
だから、おなかがポンと出た。おへその下に分厚い脂肪の塊が鎮座するようになったのだ。
これは両足ともに人工股関節になり、腰を捻って歩かなくても足が出るようになったせいじゃないかとも思うのだけど、人工股関節の手術後はそれほどでもなかったのに、それから1年3ヶ月後の脳梗塞後に、いきなりお腹の肉がダルダルになった。
これは悲しい。ウエストから腰回りに余計なお肉がつかないことがわたしの密かな自慢だったのに、、、
禁煙したせいかもしれない。覚悟していたが、禁煙して体重が増えた。この10年、いや、20年以上ずっとキープできていた体重が少しずつ少しずつ増えた。特にこれと言ってたくさん食べている気はしないけれども、体重は増えた。1型糖尿病なので炭水化物を食べるときは必ずインスリン注射を打たなければならないから、注射の量さえ変えないようにしていれば、太らない。脂なんて関係ない。とにかく炭水化物量が一定なら体重はずっと一定だった。
なのに増えた。
知らず知らずのうちに食欲が増し、余計に食べているのだろうか? うーむ、、、。
とはいえ、たった3キロだ。3キロでこんなに違う?というほど、見た目が違う。すっかりおばあさんのお腹になった。悲しい。
整体に行って、体幹の運動をするように言われたけれどもびっくりするほどできなかった。いや、もっとできていたはずだ。おかしい。やっぱり体幹の筋肉がなくなったんだ!
四つん這いになって、右腕と左脚を真っ直ぐ伸ばしてバランスを取る。
10秒キープ。次に左腕と右脚を伸ばしてバランスを取り、10秒。
これを1セットとして、3セット行う。
こんなの簡単じゃん!と思っていた。少し前までできていたはずなのだ。なのにできない。10秒もできない。バランスがとれない。はぁ、、、ため息しかでない。
できないから、この運動がいちばん忘れがちだけれど、それでも続けているうちに少しできるようになっている。全くできなかった右手と左脚伸ばしのキープが、1ヶ月経って10秒できるようになってきた。
脳梗塞になって、いちばん実感していること。それは
🔳継続は力なり
ということ。
微々たるものとはいえ、脳梗塞のせいなのか老化のせいなのかわからないとはいえ、続けていると進歩する。この歳で進歩なんて望めないと思っていたからやっぱり嬉しい。微々たるものでも嬉しい。
そのうちお腹も平らに戻るかな。戻って欲しい。あんまり柔らかいお肉は、注射針が入りにくいしね。
続けること。とにかく続けること
禁煙も続いている。発症翌月からの禁煙だったから、継続11ヶ月だ。最近は禁煙10ヶ月目に苦しんだ悪魔の囁きも聞こえなくなっている。
夏から始めたラジオ体操も続いている。朝6時25分からのEテレのテレビ体操は、10分間。日替わりでラジオ体操第一、第二、そしてテレビ体操が交互に組み合わされてプログラムされている。合間に簡単なストレッチが入る。
毎日違うから飽きないし、朝の硬い体は確かに少しほぐれてくる。
これはもう脳梗塞というより老化だと思うけど、本当に体が硬くなった。痛くなりがちになった。
これも毎日セッセと動かすしかないらしい。
さらに、継続ということでいうと、テニスの試合後の選手インタビューを、翻訳じゃなくて理解できるようになりたいと、スマホアプリで英語を始めて、今日はレッスン連続265日目だ。
中学生程度の英語だから簡単と思っていたが、話すスピードが結構早くなってきた。それが聞き取れるようになっている。文字を見ているせいかなぁとも思うけれど、始めた頃はゆっくりモードにしても聞き取れなかったから、きっと進歩してるんだ。
そんなことを喜びながら生きていく。進歩は最大のご褒美だ。
ひとりで、自分のペースだけで暮らしていれば、それほど疲れなくなってもきている。なんとかお昼寝せずに一日持つ日も多くなった。
逆に、出かけたり、人と話したりしているとすぐに疲れる。半日ごとに眠りたくなる。
それでもきっと、人と会い、話し、言葉を出し、言葉を聞き、理解しようと努めることがリハビリだ。
書くことも良いリハビリだと思うけれども、昨年末に始まった腰痛のおかげで長く座っていられない。休み休み、寝たり起きたりしながら書くから、時間がかかる。ブログ時代のように1日に何本も、集中して毎日書き続けるなんてとてもできない。
それでも書く。ぼつぼつと書く。ぽつぽつと書く。それがわたしにとって生きるということらしい。
脳梗塞から1年。わたしは変わらず生きている。