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akn1024
浅い文章。
私の文章は読みやすいと、褒めてくれる人が時々いる。
中身を褒めてくれる人は、0ではないが少ない(笑)。なぜか。
それはおそらく、表現が浅いからではないか。
最近の都会では舗装されて少なくなったが、私のふるさとの田舎は舗装されてない道路に雨が降ると「水たまり」ができた。私のこころも遺伝的なものか生育歴なものか自業自得なものかは分からないが、「私」の上に凹んだところがあって、そこに水たまりができて、その浅いところをバシャバシャ外に出して、noteの記事にしているのではないだろうか。
整えることは、僕はどうやら得意らしいのだが、その中身が浅いのだ。
だから、私の文章は人の心に残らないのだ。
ここまでは、薄々分かっていた。久しぶりに文章にして直面すると、悲しくなるが。
さて、問題は、ここからどこへ向かうかだ。
書くことは続ける。僕にとって書くことは、遺跡の発掘に似ている。主治医、福祉施設、訪問看護のスタッフの方々との面談。又は、ほぼ日手帳やスマホのメモ。大抵、そこに書いたことを、広げたり削ったりしてnoteに上げている。
その行為はスケッチで自画像を描くことにも似ていて、線を重ねていくことで自分の輪郭が見えてくる。書くことは、基本、自分のため。後は、ちょっと近況報告も兼ねている。
「生きてるよ」と。
今日、僕は自分の表現の浅さを再認識した。
ここを出発点にして、また掘り続けようと思う。
気が向いたら、ご覧くださいませ🙂。