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マイナス感情は小さくできる

アダルトチルドレンである私は、自己肯定する力が弱く、日常で事あるごとに自己否定してしまったり、また人を信用できないために人間関係において常にどこかで恐怖心を持っており、私は軽く扱われる存在なのだと 自己重要感を持てずにいる。毎日大変生きづらい。 この生きづらさを克服したいとは思っているが、これまでついたマイナス感情の垢が多過ぎて、他人が変わるために行動しようとできることが私にはできずにいて、そんな自分をまた 「自分にはできないんだ」 と自己否定してしまい、行動しようとすれば

    • 自分を優先できない・自分が楽しめない

      私は、自分が活躍することで誰かが踏み台になったり犠牲になって 悔しい・悲しい思いをさせてしまうんではないかといつも人の事情を優先してばかりいる。 過去にこれが強く出たエピソードを思い出した。 中学のクラブ活動で、私が活躍したらレギュラーになる誰かを補欠にさせてしまうと気にして、 自分から補欠になろうとしていた。結果私がレギュラーに選出されなくて安堵している自分がいた。 そんな中である練習中、調子がよくてナイスプレーを続発(してしまったとマイナス方向に考える癖がある自分。で

      • 自分の話を人に聞かれたくない

        私は、自分の話を(話に関係ない人に)誰かに聞かれていると(そう思い込むだけでも)自己否定に陥って冷静に話ができない。 そこには、理路整然とまとめて話をするべき・話にはユーモアを混ぜるべきなど、上手く話さなければいけないという「べき思考」にも縛られているが、 全然無関係の人にも自分が否定される気がしてきて、落ち着いて話せば何も難しいことはない話も伝わりにくくなったり支離滅裂になったりしてしまって私は冷静に立ち回れない。 そこでまた自己否定して、話をすることでどんどん自分に自信が

        • 遊んではいけない、羽を伸ばしてはいけない

          私が子供だった頃、誰かと遊んでいることがあっても、いつもどこかで罪悪感を感じていた。羽を伸ばして遊ぶことができなかった。 その原因は、 「親の期待に応えなければいけない、それには勉強をしていたり、家にいて親の思い通りに振る舞っていなければいけない」 という思いを強く持ってしまったことが大きい。 遊んでいる自分を責めてしまい、自分が楽しむために羽を伸ばすことが悪いことだという観念を私は植え付けてしまい、今もそれに縛られている。 大人になっている今も、遊んでいる時があってもどう

        マイナス感情は小さくできる

          他人の承認を求めすぎる

          私が子供だった頃、自分が大切な一人のかけがえのない存在で、価値があるんだという確認ができる経験が少なかった。そのため、自分には関心を持ってもらうだけの価値があるんだ・自分の感じていることには意味があるんだと思えたことがなく、大人になった現在、他人にそれを求めてしまっている。 日常の行動にどう影響するかというと、他人からの承認が得られないと不安で寂しくなってしまい、自分の価値を感じられないために、他人から認めてもらえているか・他人が自分をどう思っているかをいつでも気にかけるよ

          他人の承認を求めすぎる

          人の態度・言動に振り回される毎日

          数年前まではよく話していた職場同僚の態度が結構前から他人行儀になっている。 話もしなくなってしまったし、必要な話をしても敬語で話してくるぐらいの変わりよう。 もしかしたらプライベートで何かあって職場内では余計な話をしたくなくなったのかもしれないが、そう思えない自分は自己否定してしまい、 自分の行いだけが原因でそうなってしまったと思い込んでしまう。 職場内でその話を持ち出してみたら、 「たくさん仕事してるし疲れてるんだよ」 「でも確かに昔より元気なかったりちょっと変わったか

          人の態度・言動に振り回される毎日

          我慢して遠慮する癖に気付く

          自己否定の感情から遠慮して無駄にストレスを溜め込んで人を責めているという悪循環を繰り返している自分。 私は銭湯が好きで、1日の終わりによく銭湯に通っている。そんな銭湯の中ででもそれを感じたことがあった。 私がよく行っている銭湯には変わったお客が何人かいて、その中にたまに時間が同じになる、ちょっと傲慢なおじさんがいる。 私が彼よりも歳が若いからという理由もあるだろうが、上下関係を作られているような行動をされているのをよく感じる。 今回は私が入りたい薬湯に1人で足を伸ばして浸

          我慢して遠慮する癖に気付く

          兄の幸せや成功を許せない

          私には2歳違いの兄がいて、兄はいつも優秀で居続けられた。 親の承認は私の分まで取っていたし、外でもいつも一目置かれていた。 子供の頃はそんな兄とは比べられることが多く、劣等感を常に持っていた。 それをエネルギーに変えて自分なりに挑戦してみるも、いつも兄のようには到底いかなくて自己否定する癖がついてしまった。 そのような上手くいかない自分でもいい・兄と比べる必要はないと、ありのままの自分を肯定してもらえることがなかったので、自分は存在する価値がないとの無価値感を植え付けてし

          兄の幸せや成功を許せない

          人の優しさが怖い

          人に気を遣ってもらったり、自分を思って行動してくれているのを感じると 心が揺れる。自分はそんな扱いを受ける人間ではないと拒否反応が出てしまう。 この気遣いが、ずっと続かない人間関係の間では拒否反応は出なくて、むしろ自己肯定感がその場でだけ上がっているのを感じるくらいなのに、 その後も関係が続いていく場では、 「人を信じていいんだろうか」との疑心や 「いつか自分を否定されるんではないだろうか」という恐怖、 「そんな扱いをしてくれたら何か相手にお返しをしないと嫌われる・薄情だと思

          人の優しさが怖い

          怒られて過度に自己否定していた記憶

          小さかった時、特に母親には怒られることが多かった。理不尽だと感じたことが多くて、鬼みたいな顔して物に八つ当たりしてきたり、思いきりビンタされることもあった。 ご近所付き合いで夜に集まって親睦会をすることがあった時に、私は近所の子供仲間を楽しませたいという思いから、ふざけて女の子達にキスを迫ろうとして女の子達を追いかける遊びをした。 女の子達は笑って逃げてくれて私はピエロ的な役をして楽しませているという自負があったが、女の子達が親が集まっている場に行った時にそれを伝えると、母

          怒られて過度に自己否定していた記憶

          人の目がどうしても気になる

          ギックリ腰を発症してしまって以来、慢性的に腰の不調を感じるようになり、ある時突然(くしゃみをしただけで発症するという話にも納得する程)起こしてしまうようになった。 そこで、体のメンテナンスのために月に一度は整体へ行って1時間施術をしてもらうようにしている。今回はそこでの私の心の話。 その整体院では、院長の方が時々施術を担当しながら全体を見渡す雰囲気なのだが、ものすごく患者に話しかける整体師がいる。院長からコミュニケーションをとるよう指導されているのだと思うが、それにしても話

          人の目がどうしても気になる

          べき論にもバランスがあるのでは?

          仕事で起こしたちょっとしたミスに対して神経質になってしまう。 原因が分からない。 自己否定してしまう感情からなのか、お客様を不審・不愉快に思わせたかも、との責任感からなのか。 お客様を不審に思わせる失言をしたならばその後対応すれば、 もうそれ以上どうすることもできないんだから気にしたって意味のないことなのに。 〜すべきっていうべき論に自分が縛られていることに気付かされる。 べき論が多く、緩めていけたら楽になるんだろうなと思う。 でも、緩めてはいけないべき論もあるんではな

          べき論にもバランスがあるのでは?

          思い込みや勘違いが多い不幸

          人間関係の悩みはいつも尽きない。大体の悩みは人間関係が絡んでいる。 アダルトチルドレンである私は、自己否定感や無価値感が強く、マイナスな思い込みがとても多い。 「自分は目立ってはいけない」「人が褒められているのを見るのが嫌」 「人の目が気になる」「何か注意されると人格を否定されている気がする」 それを実感するような状況になると、事実でない時も自分が嫌われているかのように錯覚してしまう。 些細な日常でもそれがよくある。 例えば、挨拶をした時に相手が返してくれない・無表情でいる

          思い込みや勘違いが多い不幸

          人を信用できない辛さ

          人が褒められているのを見た時に、自分を否定されているような気がする。 自分に対して、名指しで言っているわけでないのに、グループ内で非難することがあると自分の事を言われている気がする。 ちょっと成果を出せた事をした時は、何か揚げ足をとられたり、どこか批判するところを指摘されるような気がする。 親しくなって心理的に距離が近づいても、いつか裏切られる気がする。 自分への無価値感や自己否定感が強く、相手の反応を否定的に捉えてしまうのが辛い。 ほとんどは自分の思い違いで、解釈を

          人を信用できない辛さ

          鬱になった時の苦しさ

          大学生の時に、鬱を経験しました。

          鬱になった時の苦しさ