喫茶店と羊と男
ある観光地に見晴らしのいい喫茶店がある。
そのテラス席からは、青々とした草地がせり上がるようにして広がっているのが見える。途切れた草地の稜線の向こうに、寒々とした剣のような山頂が望める。
男の一人がコーヒーをすすりながら、「なんと牧歌的な景色だったろう」とつぶやく。
すると、隣の男が、「まさか。まるで日常を見ているようだ」といぶかる。
さて、二人の男が見ていた草地には、羊飼いと数十頭の羊がいた。羊は、羊飼いの後をついて歩き、つかの間、散り散りになって、各々、食事をする。すると程なく羊飼いが合図をすると、羊は二匹の犬に追いやられて、食事もそこそこに、斜面下の車両の荷台に収まっていく。荷台から溢れんばかりに羊を乗せて、車はもと来た道を下っていった。
喫茶店のオーナーが「次の放牧は1時間後ですよ」と二人の男に教える。ここでは、観光客向けに放牧をしているのである。
二人の男が声を発したのは、この様子に差し掛かった辺りだった。
牧歌的な景色を褒めた男は、言い終えると、いい気持になって眠ってしまった。
景色をいぶかった方の男は、「今ようやく分かった。俺は、何かに怯え、ただ食べて、移動している。しかしそれで得られるものは、同じような明日だ」、そして、「いい旅になった」と言って喫茶店を出た。