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三鷹の陸橋 第七回

ー「Melos」の歌いだしは「じゃちぼぎゃくのおー」です。
哲彦はメロディーを短く口ずさんだ。
いったいどこの国の言葉やら、何のことやら、歌詞を見なければさっぱり分かりません。
作詞はケンモチヒデフミという人です。彼もまた「走れメロス」を読んだとき、おそらく「邪知暴虐」という言葉に強い印象を受けたのでしょう。
ーさて、すると、ではしかし、太宰は一体どこでこんな言葉を見知ったのか。私の関心はそちらに移りました。
太宰はある時この言葉に出会い、のちに自分の小説の中に書きつけたのでしょう。
誰の何という文章に「邪智暴虐」と記されていたか。その水脈を辿れたら嬉しい。
路上の会話は、ガイドの巧みな手引きに哲彦の呼吸が重なり、熱を帯びたセッションの様相を呈した。

やがて、玉川上水沿いの道に面したマンションの前に着いた。
フランス国旗が掲げてある。
太宰の旧居は別の場所。ごく近くだが、ここがまず、入水推定現場なのだとガイドは告げた。
―なんと入水地点にフランス料理屋ですか。
東京帝大仏文科除籍の太宰にふさわしいと言うべきか。
「入水現場」は忌み嫌われず、料理屋稼業のプラスになるのですかね。

―お店はいつも賑わっているようですわ。あの、ジュ スュイって…
―ああ、確かに。あたかもフランス語めいた響きですね。
私もむかし、山口百恵が「夜へ」という歌のなかで、ジュ スュイ、ジュ スュイと繰り返すから、てっきり「私は」と「身投げ」をかけた歌詞だろうと勘違いしました。
作詞の阿木燿子は「繻子、繻子」と書いたのです。
でも私の聞き間違いの方が豊かでしょう?
ーゆたか? ま、どうでしょうか。ジュスイがお好きだったから聞き違えたのではありませんか。
ージュスイ好き?ああ、いいですね。そんな「趣味」があったっていい。ところで、この店は鴨とクレソンの鍋なんか出すのかな。
ーなんですの、そのお料理。
ー最後の晩餐にね。いや、まあどうでも良いのですが。
ーでも美味しそうですわ、鴨とクレソンのお鍋だなんて。
ーそう思いますか?ええ、旨いんですよ確かに。

道を隔てた向かい側に、小ぶりな岩が置かれている。
プレートには「玉鹿石」とあり、その字づらから、哲彦はなんとなくジャコウジカの香嚢を連想した。
もっとも、これは女性のガイドに話せることではない。
太宰の故郷金木町から運び入れたもの、と書いてある。没後なんと48年を経ての設置で、設置者名も設置趣旨も表示にないのが甚だ異様である。
案ずるに、謂れを記すのを憚りながら、誰かが岩をここに据えたいと申し出て、市はそれを容認したのではないか。
哲彦は、おもむろに、ゴツゴツした「玉鹿石」の前にしゃがみこんで、ガサガサのそのマチエールを両の掌で抱きしめ、指の腹が傷つくのも厭わずに、ザラザラと撫でまわし続けた。
ほんとうは、死にたくはなかったのだと仮定したら、せめて草履の鼻緒がこの岩に引っかかって、或いは梅雨時の奔流に抗って、一命をとりとめ得たかも知れない。
この岩を据えたのは、そう思いを巡らせた人なのではないか、と哲彦は想像した。

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