#204_社会科の神話問題を道徳的・生物学的視点から読み解く

「戦後教育論争から学ぶ」谷川彰英
先日読書会が行われ、社会科における「神話問題」が話題として上がりました。

道徳と理科のフィルターを通して見ると、神話を学ぶ意義は古人のヒト・モノ・コトの見方や捉え方、みる目の深さを学ぶこと。
多面的なものの見方と畏敬の念に繋がる学習です。

すべてのものに神を見出す在り方
「与えられたもの」であるという命の捉え方

古人が何をみようとしていたか、目に映る事象から目に見えない何を見出していたのかを学ぶ学習ともいえそうです。

第3期の修身(大正自由教育の時代)には神話の記述があります。(5年生第一章「我が国」)天照大神が天皇の祖先であることが語られています。
自分の手元には第3期と第4期の教科書しかないのですが(修身教科書は全部で第5期まで)、第4期はやや国家主義的な内容に変わっています。(後半の記述に注目)

「神武天皇の御即位の年から今日まで二千五百八十餘年になります。此の間、我が國は皇室を中心として、全國が一つの大きな家族のやうになつて榮えて來ました。(中略)我等はかやうなありがたい國に生まれ、かやうな尊い皇室をいただいてゐて、又かやうな美風をのこした臣民の子孫でございますから、あつぱれよい日本人となつて、我が帝國のために盡(尽く)さなければなりません。」

尋常小學校修身書巻5 第3期pp.1-2

「神武天皇が御即位の禮(礼)をおあげになつた年から、今までおよそ二千六百年になります。此の間、我が國(国)は皇室を中心として、全國が一つの大きな家族のやうになつて榮えて來ました。(中略)我等はかやうなありがたい國に生まれ、かやうな尊い皇室をいただいてゐて、又かやうな美風をのこした臣民の子孫でありますから、あつぱれよい日本人となつて皇運を扶翼(ふよく)し奉り、我が國を益々盛にしなければなりません。」

尋常小學校修身書巻5 第4期pp.3-4

かつての教育はその国にとって役に立つ人を育てるシステムでしたから、先人の歩みを学ぶことで国に尽くす人を育てようとしていることは透けて見えるのですが、先人がいるから己が今ここにいるという敬意、自分は世界と切り離された存在ではなく世界の一部なのだという世界と自分の一体化は、生きていく上で大切な感覚だと捉えています。

そもそも「自然」という言葉は英語の「nature」の和訳として明治後半に生まれた、比較的新しい言葉。
日本人は古来より「自然は人のすみか」「生きとし生けるもの」等の合自然的な考え方をもっていました。

「自然と触れ合う」「人と自然の共存」は、自然は人間とは別物という西洋的な考え方です。(西欧的自然観もソクラテスやプラトンの時代からの歴史的変遷があるのですが、ここでは割愛。)

本書の神話復活論には、当時の社会的背景も無視できないと思っています。
山口康助が入庁した頃(1953年)は、日本人の死生観が大きく変わったと言われる時期でもあります。

動物学が専門である高槻(2018)は、動物と人との関係は大きく3つの段階を経て変化してきたと述べます。

狩猟採集時代と呼ばれる縄文時代の総人口は20万人であり、狩りによる食糧の確保によって人口は維持され、野生動物とともに生きる生活が営まれていました。
人々は自然に由来するすべてのものには神が宿ると考え、土偶などをつくり祈りを捧げていたと考えられています。

この時代は死が生活と隣り合わせであり、日常的に動物の死骸を目にしていました。
身近な人々が亡くなると、その死骸を埋葬して弔った形跡はこの時代から見られます。

稲作が始まった弥生時代、人口はおよそ3倍の60万人になり、鎌倉時代には500万人、太平洋戦争後は1億人を突破しました。

この頃の日本は農業中心であり、食糧確保の方法は採集から栽培、狩猟から飼育へと移り変わりました。
野生動物は家畜化され、弔いの思想が発達して死は儀式化されます。

細分化された職業と貨幣文化の浸透により、食糧は動物から命をいただく、自然の恩恵を受けているという意識から加工された「もの」を購入するという意識へと変化していきました。

家畜化されない野生動物は農業に害があるかどうかで益獣か害獣かが評価されるようになります。

ただ、1960年頃まではある意味での緩さが存在し、完全なる駆除ではなくそれらと共に生きるという意識が人々の中に存在していました。

1960年代以降、都市型の生活が農村地域まで広がり、小売店が消え大型スーパーが増加しました。
農業人口は1970年で25%、2010年では2%まで激減し、多くの人々は土に触れず、動物を見ない生活となりました。

人に害をなす生物に対して非寛容な社会となり、人々にとって最も身近な動物はペットとなります。
動物と人との繋がりは希薄になり、命をいただく、自然の恩恵を受けているという意識を日常生活で育むのは難しいのが現代の社会なのです。

この書籍が出版されたのは1988年。
高度経済成長を経て社会が大きく変化し、大量消費と死生観の変化によって人々の生活もものの見方や考え方、一般的な価値観でさえもどんどん変わった激動の時代。

その時代を生きていた30代後半~50代の人たちはきっと、これから社会はどうなってしまうのだろうと危惧したに違いありません。
古より語り継がれてきたナラティブ(物語)は、人々を魅了し動かす力があります。
人間を惹きつけてやまない、そんな力を頼ろうとしたのかも知れません。

わたしは神話教育に積極的でも消極的でもありませんが、何十世代も経て語られてきた物語の意味を考え、語り合う必要はあると思っています。

「道徳」とか「社会」とか「理科」とか教科の括りで語るのではなく、子どもたちとともに生活する文脈の中で語り合いたい。
わたしの理科や道徳の授業は、だいたいこんな感じです笑。

参考文献:戦後社会科教育論争に学ぶ(谷川彰英)1988年
     人間の偏見 動物の言い分(高槻成紀)2018年
     尋常小學校修身書(第3期・第4期)

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