#212_西野カナを全力で応援したい理由
年の瀬、紅白を見ていたら偶然西野カナが出ていた。
出産・育休を経て5年振りの紅白だそうだ。
デビュー曲の「ベストフレンド」、以前聴いたときと遜色ない澄んだ声だった。
わたしは2018年3月に入籍し、2018年11月末に産休に入った。
当時35歳。
妊娠しにくい、と言われる子宮筋腫があることがわかっていたので、入籍してすぐに妊活した。
運良く5月に妊娠がわかり、そのまま産休に入った。
順風満帆だね、と言われる。
確かに順調だった。
ただ。
わたしは35歳まで、かなりバリバリ仕事をしていた。
33歳まで附属小に勤務。
仕事は大好きだった。
「仕事と結婚したんだね」って友達からは言われるくらい。
校内の仕事、研究、学会での発表。
外部のセミナー、講師、執筆。教科書の編集。
最初は有名な先生のお付きのような役割だったのが、少しずつ自分の仕事をいただけるようになってきた時期だった。
妊娠しました、と報告すると、おめでとうという言葉と同時に引き継ぎをお願いされた。
当たり前だ。出産するんだもの。
でもわたしは、すごく悲しかった。
今まで積み重ねてきた仕事が、一つ一つ離れていく感覚。
名字が変わったことで、名乗っても認識してもらえないこともあった。
ちょっと珍しい名字だったから「誰?」という目で見られることもあった。
旧姓を伝えるとやっとわかってもらえる。
育休復帰後も同じように仕事がしたいと思っていたけれど、戻ってきたらもう、わたしの居場所なんてないんじゃないかと思ってしまった。
すべてを手に入れることなんてできないのはわかっている。
でも、もしわたしが男性だったら
子どもが生まれても仕事休まなくてすむのに。
名字も変えなくていいのに。
性の違いで、何でこんなブランクを強いられなければいけないんだろう。
誰に向けるでもない、そんな苛立ちを抱えていた。
出産して4年2ヶ月後、わたしは復帰した。
産育休中、二人の子宝に恵まれた。
平成は令和になり、現場をコロナ禍が襲い、一人一台端末が当たり前になっていた。
働き方改革が進み、熱心に仕事をすることをよしとしない正義が蔓延していた。
復帰して今日で2年になる。
育休中、オンラインでの学びが一気に広まった。
水面下で学んでいたわたしは、それほど大きなずれを感じずに復帰することができた。
そして、育休中も変わらず仕事を依頼してくれた方々がいた。
現場でがむしゃらに頑張って、2年。育休中を入れたら、6年。
多くの方と出会えた。
新しい名字でもわたしを認知してもらえるようになった。
オンラインの恩恵を受けて繋がりが一気に広がり、ありがたいことにSNSでもフォロワーさんが3000人ほどついてくれた。
そして2025年春。
初めての単著を出版させていただけることになった。
編集の方には感謝しかない。
「仕事も家庭も順風満帆なんて」
「何でも持っててずるい」
「恵まれすぎている」
そう言われることがある。
そうかもしれない。
支えてくれる人や応援してくれる人が、本当にたくさんいるから。
でも育休に入る前、味わったあの絶望感をわたしは忘れない。
一つ一つの仕事は、すべていただいているものなんだって感覚。
関係性があるからこそ、お願いされる仕事。
それが崩れると、簡単に手からこぼれ落ちていくことも。
人との繋がりが、いかにかけがえのないものかってことも。
だからこそ、5年振りに復帰した西野カナを見て、応援せずにはいられなかった。
5年間、よく頑張ったね。
今、紅白というステージに立っていることが、血を吐くような努力を物語ってる。
すごいな。
わたし、紅白を見たこと自体が5年振りだったかもしれないけど
彼女の姿を見られただけで、見てよかったって思えた。
その人の背景をみたら、嫉妬心なんて微塵も感じられなくなる。
輝いている人ほど、下積みや影も大きいんだよな。
今繋がりある人、応援してくれる人を絶対大切にする。
もちろん家族も大切にする。
それがわたしの人生を支えてくれているすべてだから。
関わってくれているすべてのみなさまに
「ありがとう」「これからも、よろしくお願いします」