#97_発問を深掘りする②本質を見抜くには
以前のnoteで、発問づくりの手順について、簡単に述べさせていただいた。
今回は(1)本質を見抜く について、少しお話させていただこうと思う。
道徳科の有名教材に「きんのおの」という作品がある。
このお話をもとに「正直さ」について考えてみたいと思う。
「正直さ」には二つの要素がある。
① ありのままを真っ直ぐ伝えること
② 自分の信念に真っ直ぐであること
一般的に、正直さは①を差すことが多い。
では、ありのままを真っ直ぐ伝えることがよさに繋がるのだろうか。
例えば、親戚のおばさんに久しぶりに会ったとする。
以前よりも皺が増え、シミが増え、すこし老けたと感じたとき、あなたはどのように話しかけるだろうか。
A:「ずいぶん老けましたね。」
B:「お変わりありませんね。」
正直なのはA、Bのどちらか。
嘘つきなのはA、Bのどちらか。
喜ばれるのはA、Bのどちらか。
嫌われるのはA、Bのどちらか。
正直さはA、喜ばれるのはBだとしたら、
正直さは、人と人とを繋ぐ足枷になる、ということになる。
つまり、道徳的価値(よさに向かう心)としての正直さを①だけに限定して捉えてしまうと、時に人との繋がりを破壊する凶器にもなり得るのだ。
話を「きんのおの」にもどしてみよう。
「正直さ」の二つの要素
① ありのままを真っ直ぐ伝えること
② 自分の信念に真っ直ぐであること
最初のきこりは①②のどちらのきこりと言えるだろうか。
欲張りなきこりは①②のどちらかに当てはまるだろうか。
最初のきこりは①であると捉えてしまうと、恐らく「バカ正直」な子どもたちを育てることになるだろう。
欲張りなきこりには正直な要素がないのだろうか。
欲張りなきこりは「金の斧がほしい!!」という思いをもとに行動している。
つまり、口から出た言葉は正直ではなくとも、自分の欲望に対しては真っ直ぐなのだ。
「正直さ」を辞書的な意味だけで捉えずに、日常との往還を通して捉えると、道徳的価値の捉えが広がり、自分の価値観がクリアになる。
物事の本質を見抜き、子ども自身が何を大切に生きていきたいかを捉えられる道徳科の授業をつくっていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?