#161_押し返される経験の不足が生むもの

しばらく投稿が滞ってしまいました。
物理的にも精神的にも余裕がなかったことと
途切れてしまったので「もう、続けなくてもいいかな・・・。」という甘え。
自分にカツを入れて続けようと思います。
応援してくださっているみなさまに感謝いたします。

「叱らない」が子どもを苦しめる(藪下遊・髙坂康雅/ちくまプリマー新書)を読んでいます。
ベストセラーになっているので、知っている方も多いのではないでしょうか。
まだ途中ですが、所感を述べていこうと思います。

「子どもの気持ちを推し量ろうとして間違える」ことは避けられないミスであり、むしろあった方がよいミスである。
この一言が強烈に刺さりました。

幼い頃はまだ、自我と他者の区別はありません。
自分の思いとのずれが他者の思いに触れることに繋がるのです。
自分の思いとのずれは、当然自分の中に摩擦を生み、不快感情を湧き起こします。
ストレスにも繋がります。
でも、そのストレスを他者にぶつけるのではなく、自分の中で納めていく。
そのような経験が、ストレスに強い子どもを育てるのです。

自分の中で何となく感じていたけど言語化できなかったことを、著者が専門的知見をもとに代弁してくれた感覚でした。
(もちろん、だったらおまえがおまえの言葉で語れと言われたら、うまく語れませんが)

掘り下げて考えると
不快感情を自分の中で納める経験が高いほど、ストレスに強いことになり
穏やかに生活する力を培うことに繋がります。
不快感情を納める経験を重ねるには、とにかく他者と関わることです。
そしてその中で感じた摩擦を、他者の力を借りながら、自己処理していく。

このような体験が不足していると、人間関係をうまくつくれない、社会不適合になる可能性があります。

例えば、不快感情の原因をすべて「他者」に委ねてしまう人。
自分が中心に世界が回ることを当たり前だと思っている人。
大人でも、このような人に出会うことがあります。
他者との関わりの中で生きていたら、どちらが白でも黒でもないことは多々あるのに、それに気づかないまま大人になった人が、少なからずいるのです。

最近精神的な病気が多いこと。
メンタルやられている人が多い感じがするこの感覚。
すべてこのような、認知の歪みによって起こるのではないかと思いました。

親が「押し返し」と「受け止め」の二役をやること。
何より、的確な判断をもと子どもにフィードバックを返すこと。

この経験の積み重ねが、子どもたちの健全な成長を支えることを肌で感じています。

押し返しの外注
現実の加工
環境の操作
不快感を避けるための仲良し

これらはすべて、ネガティブさを受け容れられない子どもを育てる要因になり得るそうです。

わたしにも子どもが2人います。
子どもが「怒ったとき」「泣いたとき」
何をどのように受け止め、どのような言葉を返すのか。
我が子を育てる上で考えたくなるヒントが詰まった書籍でした。

また折を見て、書評を書きたいと思います。

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