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【エッセイ】親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました①

嫌われると悲しい。でも恨んでいない

 ものを捨てた。40年間片付けられない女だったのに。

「両親共々、私のこと嫌いだったんだ」

と、腹に落ちたことがきっかけだった。
 それは夕飯の洗い物しながら入院中の母のことを考えていたときのことだった。

「あの子と一緒にいるのは嫌なのよね」 

と、母は言ったらしい。
 姉にも、地域包括センターでお世話になった方にも、一緒にいるなら他の娘がいい、と言ったらしい。ショックはショックだった。でも、私が中年になるまでの過程で、「ひょっとして嫌われている?」と感じることは何度もあった。だから、他人からもたらされた「母に嫌われている」という事実も早めに受け入れられた。
 亡き父はもっと露骨だった。私が実家に行くと直ぐ様自室にこもるし、メールも「迷惑」と拒否られていた。

「父も母もやっぱり私のことが嫌いなんだ」

 腹落ちしたら、むしろ驚くほど心がスッキリした。
 小さい頃からずっとモヤモヤしていたし、薄々気づいていたけれど、ようやく納得することができた瞬間だった。

 そうなったところで親を責める気はない。

 だいたい自分の性格は他人に好かれない。
 例えば共感性が低く、思いやりがない。
 知らずに人を傷つける言葉を使う。
 自信のなさからマウントを取りたがる。
 自分が弱いと気づいたら、途端に下手に出て媚びへつらうようになる。
 などなど、理屈っぽさも含めて私の短所は人付き合いにおいてわりと致命的だと思っている。そういった経験から嫌われる人間という自覚はあったから受け入れやすかったのかもしれない。 

 それに、親に求めるものが大きすぎたのかもしれない。
 私が50mプールいっぱいの愛情を求めたのに対して、父は200cc位、母はペットボトルのキャップ1杯分の愛情をくれたのかもしれない。
 感じ方は人それぞれ。そんなことで両親を責めたいわけではない。私が愛情を感じられなかっただけかもしれない。
 
 もちろん、親のせいにしたこともあるし、生まれつきの性質のせいにしたこともある。何もかも自分が原因で私が悪の元凶だと考えたこともある。
 でも、今となってはどうでもいい。誰のせいとか、愛されたとか、どうでもいい。今あるのは養ってくれた親への感謝だけ。

 親に愛されても、好かれても、
 嫌われても、苦手と思われても
 私は私
 大丈夫

 この状態に至るまで長いことかかったので、最初から説明していくと軸がブレる。なので、この記事では大人になってからのことを中心に進める。後日記事で書くとして、まず私の現状について説明したい。
 私は三姉妹の一番下。既婚で子どもがいて一軒家に住んでいる。姉たちにも家族がある。私の父はすでに亡くなり、一人暮らしの母はワケあって入院していた。
 私は、母が退院したら一緒に暮らすかもしれないと考えた。父が亡くなり、母一人で暮らすのが心もとなくなったとなれば、子どもと同居するという流れは不自然ではない。
 そこであの言葉を知ることになった。

「あの子と一緒にいるのは嫌なのよね」 

 もちろん、突然出てきた言葉ではない。
 母は会うたび、ちゃんと態度に示していた。話すとき私の目を見ないし、一緒にいると、度々わざとらしくため息をついていた。
 
 ちなみに亡き父はもっと露骨だった。私が実家に行くと直ぐ様自室にこもるし、会えば嫌味を言うし、それでもコミュニケーションをとろうとメールを送ろうとしても、「迷惑」と拒否されたから。

 親に嫌われているエピソードは他にも色々ある。けれど、ここではやはり助長になってしまう。
 なので、次はこの事実がどうして「片付けに」つながったのか。話していこうと思う。


家の中が空き瓶だらけだった

 小さい頃から私は親に「片付けられない」と言われ続けていた。
 汚い。散らかす。ついでに不器用。女の子なのに雑。がさつ。努力が足りない。人の気持が考えられない。不機嫌がすぐに顔に出る。結婚できなそう。などなど。ほほほ。その通りだったから、親を責める気はない。

 ADHDも疑った。今となってはどっちでもいい。特性はうまく活かせばいい。これも話すと長くなるから端的に言うと、自分の子どもが自閉症だからADHDも特別なことではないと知っているため。

 それより一番の問題は、親に「あなたは片付けられない」と言われたことをクソ真面目に守ってきたことだ。
 親との関係に迷っていた私はネットの情報をあさり、ユーチューブを観まくった。ユーチューブありがとう。結果、「自分は片付けられない」と決めたのは私自身だと気づいた。
 大人になった今、片付けられないのは親のせいではない。どうにだって変われる。もう大人だ。私を縛る人はいない。
 それなのに、中年になってさえ私は私を嫌いな親の言うことを律儀に守っていた。 
 うーん、もう守らなくていいのでは?
 そう思ったわけだ。
 もういい加減、嫌われる自分を捨てて、別の自分になっていいんじゃない? 
 周囲に言われ続けた「嫌われる」「片付けられない」自分でなく、ADHD疑いだから小さくなるではなく、自分の思うように動いてみたらいいのでは?
 私は自分の至らなさと向き合ったじゃない。 
 ダメな分、バカにされないよう努力もしたじゃない。
 嫌われる原因をちゃんと認めたじゃない。
 自分が悪いと認めたじゃない。
 大人になった今、夫と子どもたちは私と一緒に楽しく暮らしているじゃない。
 そうじゃないのか?

 猪突猛進、思い立ったら動けずにはいられない私は洗い物はソコソコにして、片付けを始めた。 注意散漫な私は翌朝の弁当のことを考えながら、台所、リビングの収納、洗面所などを思いつくままに片付けていく。いらないものを捨てていく。

 そこで気づいたのが、ジャムの空き瓶の多さだった。 箸立て、ペン立て、飴玉入れ、絵の具の水入れ。クリップや所属のわからない釘やらを雑に入れたり、使い終わった電池、歯磨き粉と歯ブラシ、体温計、ありとあらゆるところで、ありとあらゆるものを空き瓶に入れていた。
 私、どれだけ空き瓶を持っている? とりあえず瓶を回収していくと、15リットルのゴミ袋いっぱいに詰めて、3袋集まった。ひと袋だいたい30個入っていたから、総数は100近い。
 空き瓶のひとつひとつが、承認欲求を満たされない自分自身に見えた。さみしくて、誰かに褒めてほしくて口を開けて待っている。

 「くれくれ、何かくれ」

と、人に求めるばかり。
 しかもひとつひとつが小さい。なんでもいい、誰でもいいから埋めてくれ。さみしいから埋めてくれ。たくさんたくさん埋めてくれ。大きなことは求めていない、ほら、私は謙虚でしょ?と、自己顕示欲の塊のくせに慇懃無礼な自分をさらされた気分になった。
 大丈夫。今の私は、そんなに求める必要ない。
 親に好かれてなくても大丈夫。
 だから、このみすぼらしい瓶を捨てていこう。
 そう思ったら片付けはますます加速していった。 


くれくれ

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