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【エッセイ】:親に嫌われ、そしてそれ受け入れるまで③親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました

 腹落ちには、もう一つステップがある。それは、どうでもいいことだと気づくこと。

母は私を見ない

 母は私を見ない。しかもそこに悪意がない。ごく自然におこなわれる。
 退院して三姉妹と母の4人で何度か会うことがあった。母は姉2人と話すけど私を見ない。私もそれに気づいていなかった。多分、母も気づいていない。挨拶はする。「やあ」くらいは話す。でも、蚊帳の外。私が話し始めると顔をそらす。
 でも、やっぱり悪意はない。
 私は自己中心的だから気づけなかった。
 私と母は、目が合わない。
 私は私しか見えていない。
 母も母しか見えていない。

 これに気づいて5、6歳の頃の記憶が引っ張り出される。 

「人の目を見て話しましょう」

 園の先生に言われて、母の目をみて話そうとして、苦しくなったこと。
 母と私は自宅の廊下にいた。覚えている。天井の変な柄や、筒型の電気のカバー、白いドア。母の顔を見ようとすると、目の奥がギュッとなった。顔をしかめるしかできなかった。小さい頃、母の目を見ることができなかった。
 理由はわからない。
 その頃から私と母の関係は変だった。
 歪んでいるとか、悪いとか、ではない。
 なーんか変だった。他に言いようがない。

父の文句を言うけど言わせない

 父は何を言っても何をしても否定から入る人だった。それは母に対しても同じだった。母は否定ばかりする父の文句を言い、その直後、

「お前はお父さんに似ている。理屈っぽい話し方とか、性格が」

と私に言う。一度ではない。何度も。小さい頃から家を出るまで続いた。
 そして、私や姉が父の文句を言うと、
「父親にそんなことを言ってはダメ」
「お父さんは優しいよ」
と、いって父のフォローをする。母は直前まで父のことをボロカスに言っていたりする。

「小さい頃、理屈っぽい父親に似ていると言われて嫌だった」

と、母に話したことがある。20代後半くらいだったと思う。
 もちろん、母は「はいはい、わかりました。そーですね」と言って席を立った。
 母は綺麗にキレていた。
 仕方ない。
 誰だって嫌だろう。
 過去のことをほじくり返してなじられたくなんてない。
 誰だって悪者になりたくはない。
 誰だって人に責められたくはない。
 だから、もう母と向き合うことはしない。そう決めた。
 母も私と向き合うのをやめたのかもしれない。
 私と話しても不快で、責められたり傷つけられるから自然と目をそらすのかもしれない。私を避けるのかもしれない。

嫌われて繋がる関係を手放せ

母はいつから私を嫌いなのだろう。
割と最初からだと思っている。

母を責める気はない。
ここで話すのは私側からの視点のみだから、
親側からの見た景色は違うかもしれない。
だから、私が正しいと言いたいわけではない。
といって、私一人を悪者になる気もない。
私だけが悪く、母は何も悪くなくて、私のせいで何もかもうまくいかなかったとも思わない。逆もない。
良い悪いでない。

そこにあるのは
悲しかった
淋しかった
という私の中の事実だけ。

親に嫌われている。
ちゃんと嫌われている。
運良く腹落ちして親から切り離された。
それを受け入れて、ようやく力が抜けた。

このエッセイの一番最初の記事にも書いたこと。

親に愛されても、好かれても、
嫌われても、苦手と思われても
私は私
大丈夫

そう腹に落ちて、ようやく親から自立できた。
自立していないから嫌われていたのかもしれない。
だとしたら、笑ってしまう。
親を切り離せば、親が私を嫌う理由なんてどうでもよくなる。
母が私を嫌う理由も、「ただ父が嫌いだったから私も嫌い」とか、そんなつまらないことかもしれない。
別にいいんだ。なんだって。

親が私を嫌おうと、私には何の損失もない。
親には感謝している。私のことが嫌いなのに育ててくれた。期待通り思う通りに育たなくて申し訳ない。
それでも、私は私。
今年もネジバナは咲いたし、月は満ちかける。
キジバトが来て、やっぱりあの声で鳴いた。

性格が悪く、
見た目が悪く、
頭も悪く、
不器用で、
期待外れで、
居てもいなくても、どっちでもいい存在。
どうせ私なんてそういう存在。

それを握りしめていたのは私。
それが私の存在意義で役割だと勝手に思っていた。
親が本当にそう思っていたかより、
親が本当に嫌っていたかより、
私が勝手に握りしめていた「どうせ私なんて嫌われる」

自己否定していれば現状のままでいられる。
かわいそうでいられる。
親の文句を言って楽できる

でも、それを手放した。
今、親は関係ない。
親に嫌われていても、いないほうがよかったと言われても、今の私には関係ない。
ただ悲しいだけ。

どうせ私なんて、を捨てていい。
嫌われ者じゃなくていい。
それ誰が決めたの?
もう捨てて良し。


新しい考え方で片付けを始めたら
私の周りはゴミだらけだったと
ようやく気づいた。

そして、初めて自分は自分になっていいんだ、と思えた。












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