Jヴィレッジでボランティア後夜祭を
1年以上前に書いたものですが、今も気持ちはあまり変わってないなと思います。
Jヴィレッジをスポーツボランティアの聖地にもしたい、というと「なんで?」と返ってきます。当然です。Jヴィレッジは日本サッカーの聖地です。それをなぜあえてスポーツボランティアの聖地にもする必要があるのか? その疑問は自然で率直です。
Jヴィレッジは1997年に日本サッカー協会と福島県、東京電力の3者が福島県浜通りの地に作った日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンターです。年間50万人の来場者があり、サッカー日本代表の合宿はもちろんのこと、日韓ワールド杯の時はアルゼンチン代表が合宿地とするなど「日本のサッカーの聖地」として根付いていました。
しかし、2011年3月11日、東日本大震災によって状況は激変します。事故をおこした福島第一原発から20kmの距離にあるJヴィレッジは直ちに営業を休止、政府と東京電力の事故対応拠点となります。グラウンドは車両除染場、ヘリの発着所となり、スタジアムには作業員や東電社員の宿舎が建ち並びました。
あれから7年、ついにJヴィレッジは本来の姿を取り戻します。スタジアムを含め10面のピッチ、プール、体育館、雨天練習場、そして定員476名の宿泊棟を兼ね備える新生Jヴィレッジが誕生するのです。
しかし、課題は尽きません。東京電力の状況が変わった今、財政的にも人的にも負担はより大きくなります。また、周辺は避難地域であったため、人口は完全に戻っておらず、根強い風評も解消されていません。もちろん事故を起こした原発周辺はまだ立ち入ることができない区域がほとんどです。
私たち福島でスポーツに関わる者は、このJヴィレッジを福島復興のひとつのシンボルとして、なんとしても成功させたいと思っています。私たちスポーツに関わる者が、そして福島県民がささえていかなくてはならないと思うのです。
スポーツボランティアという切り口から考えたのが、「Jヴィレッジをスポーツボランティアの聖地にもする」というプランです。聖地というからには、「場所」と「物語」が必要ですが、サッカーの聖地であり、復興の拠点ともなったJヴィレッジにはそれがあります。聖地という言葉には「巡礼」というイメージが付随しています。行ってみたくなる、何度も行く、そんな地にできればと思うのです。しかし、Jヴィレッジのある地域に足を運ぶには意思と勇気が必要です。原発事故は完全に収束したわけではありません。近くには放射性廃棄物の中間処理施設が作られています。世界中に知られたフクシマという言葉のイメージはまだまだ不安を伴うものです。それでも「復興」を目指して日々汗を流している人がここにはいます。こういった特別な事情の中でも、意志と勇気を持って足を踏み入れる人として、スポーツボランティアは適任だと思うのです。
では、現実的にどのような方法でどのような聖地を作っていくのかということです。
① 2019ラグビーW杯、2020東京オリンピック・パラリンピックのボランティア研修をJヴィレッジでも開催できないでしょうか。
この二つの世界的スポーツイベントのボランティアはいずれも2018年に募集となります。当然何度かのボランティア研修会が企画されることと思いますが、その一部をJヴィレッジで開催してもらえないでしょうか。ボランティアに応募する人は全国に散らばっているでしょうし、選択肢のひとつに入れてもらえれば、ここへという人が必ずいると思います。
② 毎年、地元の人も多く参加できる形で「福島スポーツボランティア祭」的なイベントを行う。
福島の人は、スポーツボランティアにもなりうるし、スポーツボランティアをもてなす、ささえるという立場にもなりえます。ささえることで自らも楽しむ、ボランティアの魅力を多くの人に感じてもらえればうれしいです。
③ 2019ラグビーW杯、2020東京オリンピック・パラリンピックの終わった後、ボランティアの慰労と打ち上げを兼ねた『後夜祭』をJヴィレッジで開催。
ビッグイベントの最後のボランティア行事として、人々の目に、心に残るメモリーは、その後の「スポーツボランティアの聖地」の始まりとなるでしょう。
④ その後も、ビッグイベントの「スポーツボランティアの研修」にはJヴィレッジが候補地となっていくと最高ですね。
私たちは、福島県で12年活動を続ける小さなスポーツボランティア団体に過ぎません。いろんな意味で力足らずです。だから、たくさんの人にと一緒にじゃないと何もできません。たくさんの人の小さな意志が集まることで何かが動き出す。そういう草の根からの、住民主体の、ボランティア主体の活動こそが福島の復興に必要だと感じます。上から降ってくるお金をうまく受け取った者が勝ち、といったような状況は本当の復興、本当の地域活性化にはならないと思います。それは「自ら手を挙げて」「見返りを期待せず」「自分のため、社会のため、地域のために」「まずは自分が楽しんで」活動するボランティアの形に通じると思います。年齢や資格、地位などに関係なく、「面白そうだな」「自分もやってみたいな」という人に等しく、広く、門戸を開くスポーツボランティアの精神。それが福島の復興に、風評払しょくにつながれば最高です。